7月10日浅草の風物詩「ほおずき市」はわき役だった?

ほおずき イベント

 
ほおずき
 
今日 7月10日は浅草 浅草寺で
「ほおずき市」が開かれます。

普段から365日お祭り騒ぎみたいに
賑わっていて 人 ひと ヒトで
ごった返していますけどね。

人ごみが苦手な私は
テレビの映像だけで充分です。ごちそうさま。

もともとは観音様のご縁がある日
とされる縁日の人出に 屋台などが出て
次第に様々な市も立つようになったようです。

日本で町ができた原風景のひとつとして
神社仏閣があるのですね。

多くは集落から少し外れたところに
あったと思われるのです。

一応神聖な場所なので「俗なる世界」
とは少し分けられていたのかなと。

これらの神社仏閣に何らかの形で
かかわる人たちが近くに
小さな集団で住むなどしていたのでしょうが

縁日や例大祭などは 一般の人も混ざって
賑わうようになり いつしか集落と
神社仏閣をつなぐ沿道にも
人が住むようになっていったのかなと…。
 

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神さまや仏さまの縁日はとても賑わった

 
「門前町」などという地名が残る場所は
恐らくこういう形で発展してきた
場所なのではないかなと…
「門前」とは神社仏閣の門前なのですね。

お城の場合は門前ではなく「城下町」に
なると思いますし その「城下町」の中でも
神社仏閣の沿道はやっぱり「門前町」なんですね。

で、その縁日なのですが 観音様の功徳を
授かりたくて お参りするわけですけれども
功徳日(くどくにち)といって

その日にお参りすると 何百日も
お参りしたことになるという
功徳の無料配布みたいな特別な日があるのです。

お寺さんによって功徳日の日にちも
何日分かの設定も違うのですが
浅草寺では 7月10日がその功徳日にあたり

な、な、なんと この日にお参りすると
4万6千日分もお参りしたことになるんですと!
ちょ…ちょっと大判振る舞いが過ぎるような…。

まあ観音様だし 深い慈悲の心を
何かの形で衆生に現わしてくれると
みんなが思っていたというか
願っていたのかもしれません。

当然江戸時代から大都会だった江戸ですが
せっかちが多かったのか 10日の朝
一番乗りをしたくて 前日から人が
押し寄せたとかで仕方なく 9日も縁日に
加えたという すごい経緯もあるですが。

すみません 観音様の功徳というのは
一番乗りとか 早い者勝ちとか
そういうものではないと思うのですが。

どうしてこうなんでしょうねえ
おかしな所に闘争心を持つんだから…。

数に限りがあるならともかく
まったく日本人ときたら こんな昔から
徹夜組がいたんですかい…。

何だかよく似た情景が
今でも繰り返されているような…?

ゲームソフトとか何時買っても同じだからね。
私なんか機械ものはバグが嫌なので
発売からしばらくたって トラブルがないか
様子を窺ってからじゃないと買わないし。

それにしても4万6千日とは
えらく張り込みましたよねえ。

約126年に相当しますので
軽~く人の一生分ということですね。

途方もない功徳で守ってもらえるから
徹夜組も出るのかな。(笑)

というか…そんなに大きな功徳があるなら
一生に一回だけ行っておけば充分でしょうに…
と思うのは 出不精で人ごみが嫌いで
不信心者の私だけ…かもね。
 
 

人が人を呼び あらゆる縁を結ぶ

 
で、そんな賑わいを当て込んで市が立つようになり
いつしか市の方も 主役レベルに
人の口に上るようになっていったんですね。

たくさん人が集まれば そこには
たくさんの物が集まってくる。

そういう中ではいい取り引きができて
また来年も…という感じで続けられて
さらに話題を呼んで
市そのものが有名になっていく…と。

んでもって どうしてほおずきなの?ということで
ほおずきの理由ですが もともと漢方薬の一つで
わりと知られていた存在だったみたいで

愛宕神社の千日詣りのお土産として
粉末が売られていたものだそうです。

こちらの方が先だったし 定着していたんですね。
でも今日「ほおずき市」で見られるのは
多くは鉢植えのほおずきです。

江戸時代には鉢植えを楽しむ文化が
すでにありましたからね。

太古の昔 生き物が爆発的に進化した
カンブリア紀みたいに 江戸時代には
様々な植物を鉢植えで楽しむのが
これまた様々な種類の植物で流行りました。

ここでも流行りを陰で煽っていたのは
ムダな闘争心かもしれませんけど…ぷぷぷ…。

またほおずきの実はガクに包まれている姿が
提灯に似ていることから それに見立てて
枝のまま お盆の棚に飾る所もあるそうなので
その風習の影響もあるかもしれませんね。

江戸には地方からたくさんの人が集まっていましたし
お殿様の参勤交代もありました。

遠く離れた地方の風習などが 少し形を変えながら
広まることもあったのでは…?

江戸の町衆は 噂話が大好きだったみたいですし
実際話はすぐに広まったそうです。

江戸の華やかな町人文化は 神社仏閣ごとの
賑わいが基本にあって発展したのかな。

街道沿いの宿場町や 商人などが店を構えた
商店街もみんな繋がりあっている感じだし。

時々あった大火事などは 一気に区画整理が
整っていく要因の一つだったのかもしれません。

仏さまも神さまもみんな一緒って
さすが日本だとしか言いようがないです。

色々な功徳が働いて だからソフトパワーが
さく裂して発展するのよ~! ねえ?

日本らしく何でもお祀りしちゃう
テキトーな混ざり具合が大変よろしい。ぷぷぷ…
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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