今日 7月16日は「後の藪入り」(のちのやぶいり)

後の藪入り 帰省 くらし

 
後の藪入り 帰省
 
今日 7月16日は 1月16日と並んで
「藪入り」と言い習わします。

タイトルにある「後の藪入り」とは
お正月の「藪入り」に対して
お盆の「藪入り」をさす言葉なのです。

季語にもなっていますので
ご存知の方も多いと思います。

江戸時代に入ってからでしょうけれども
商家などに住み込みで働いていた
丁稚さんや女中さんなど いわゆる「奉公人」達の
年に2回しかない「公休」だったんですね。

なんて働き者なんでしょうねえ
昔の日本人たちは。

今も みんなが揃って働き過ぎなのは
DNAなんですかねえ…。

住み込みということは
衣食住のすべてを世話になると
いうことですから お給金も
出たでしょうけれど 生活の心配が
ないということでもありました。

昔は「口減らし」といって
貧しさから自分の子供を余所へ
預けることは珍しくありませんでした。
 

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「他人の釜の飯を食う」子供たちの休日

 
その子の将来のためもありましたが
大勢子供がいたので 食べさせて
いかれないというのが実情でしょう。

小さな子供などの場合 寂しい思いを
しただろうなと想像します。

そういうことを辛抱として
ぐっとこらえて見よう見まねで
商売などを覚えたのでしょう。

また商売などをする場合 読み書きや
計算もできる必要がありますから
上の者に教わるか 寺子屋に
通わせてもらう子もいたのかな。

女の子は子守や下働きなど
奥向きの仕事をしたのでしょうね。

大人の奉公人は「藪入り」で実家に
帰ることは あまりなかったようです。

その代わり 芝居見物をしたり 買い物をするなど
シティライフ いわゆる都会暮らしの休日を
楽しんだのだそうです。

一方で 武家屋敷やお城などに
行儀見習いなどという名目で 商家の令嬢などが
奉公に上がることがありました。

こちらの場合は実家に戻ることを
「宿下がり」と言っています。

上手いことお殿様の目に留まったりすれば
そこから別の将来が開ける
こともありましたからねえ…。

このパターンの最大にして最高バージョンが
江戸城の大奥だったのです。

誰でも入れた訳ではありませんでしたが
女ばかりの厳しくて美しい
そして怖~い世界だったのではと思います。

そんな親もとへ帰る習慣が 今の帰省に
つながっているのかもしれないですね。
 
 

今日が「藪入り」の理由は…

 
どうして「藪入り」が16日なのかというと
1月は15日を小正月といって
年明けと同じくらい大切な日だったので

この日を奉公先で過ごし
翌日には実家に帰って 家で親と
ゆっくりするという習慣になったようです。

7月はお盆ですので やはり実家で
親に顔を見せるというのが
預かっている奉公先の見栄や
心意気でもあったんでしょうね。
お土産まで持たせたりしたそうです。

「藪入り」の語源については
諸説あるそうですが 私は「宿入り」がなまって
「藪入り」になったというのが押しですね。

あと帰る場所のない子供や帰れない子が
藪に入って泣いていたから…という話を
聞いたような気がするのですが…。

江戸時代では人間関係がとても密だったんですね。
縁あって知り合ったとか 同じ長屋に
住むようになったとか そういうことはとても
大切にされていたようです。

本来は親戚でもない限りは
他人の家に奉公するするのですが

預かる方もきちんと責任を持って
預かるというのが 当然だったようです。

で、預けられる子供も実の親同様
奉公先の主人などへも迷惑をかけないように
恥をかかせることがないようにと

自らを律することが自然と そして
当たり前のように しつけられていったのですね。

親も子供も 預かる奉公先も
それぞれがきちっと筋を通すというか

そういうことが暗黙の了解のように
あった時代だったのかもしれません…。

大人がきちんとした態度を取るとか
通すべき筋は通すという姿を見て育つことが
何よりの教育だったのではないでしょうか。

江戸時代は平和だったので 庶民のレベルでも
立ち振る舞いや人への思いやり
共同体としての連帯意識など

内面や人としての在り様のようなものが
しっかりと磨かれた時代でも
あったのかなと思います。

もちろん耳が痛いし 目が痛いです。おほほほ…。
 
お読みいただきまして ありがとうございまいした。
 

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