七十二候 草露白(くさのつゆしろし)

草白露(くさのつゆしろし) 暦・季節

 
草白露(くさのつゆしろし)
 
今日は七十二候の草露白(くさのつゆしろし)に
当たります。

二十四節気の白露と同じなんですけどね。

現在ではまだ暑い盛りの場所もありますけど
七十二候が定まったころは もうすっかり
秋の気配に包まれていたんでしょうね。

実際 現在だって秋のところはあります。

高い山とか北の大地とかは もう立派に
秋を迎えているはずですね。

草に露がころころとついてきらめく様は
本当にきれいです。

今くらいの時期は 早朝に出会えたり
しますけれど もう少し季節が進めば
草の葉全体が白くなるでしょう。

うちのあたりでは露霜(つゆしも)なんて
呼んでいますけどね。

別に空から降ってくるわけではなくて
温度差でできる…いわゆる結露なんですよ。

人の住む家で起きれば 厄介な現象も
屋外の自然がやることなら風情があると
思っちゃうところは… にんげんだもの。(笑)
 

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色がついていて見えても 儚い露

 
とても儚いものなので すぐに消えてしまって
ずっと見ていることはできません。

でも白く見えるなら それは露の中に周りの
風景が映り込んでそんな風に見えているのかも。

草の葉の色がそのまま見えていても
何かを反射していても 細かな露なら

尚のこと ちょっとした温度の変化で
すぐに見えなくなってしまいます。

ちいーーさな粒がびっしり並んでいることも
ありますよね…。

あ 私 わりとこういうものが好きで
顔を近づけて まじまじと見てしまう方です。

ぼーーっと空を見上げるのも好きですが
足元の小さな草に小さな露がついているのを
見ているのも好きです。

ちょっと日陰の場所があるんですけど
そこに「コケ」が生えているのです。

なんていう種類とか名前とかは知りません。

でも「コケ」のちいーーさな葉っぱに
小さな露が付いているのは とても
きれいで 感動しますよ。

これは想像なのですが 私たち人間が
顔を近づける程度でも 彼らの周りの温度が
変化するんじゃないかと思うのです。

だってそうじゃなきゃ見えなくなる理由が
わからないので…。

先ほど今くらいの時期は露がつき易いと
言いましたけど 見ることができるのは
あまり多くないです。

それよりも 小さくて美しい露たちを
堪能できるのは雨上がりですね。

このタイミングの方が 露がたくさんある
可能性が高いと思います。

降りかかった雨とか しずくがついたり
するのではないかと考えてるのですが。

厳密に言ったら露ではないけれど…
儚いものは美しい!それでいいんです。(キリッ
 
 

露の儚さを愛でた日本人

 
七十二候に入れるほど 気に入ったのでしょう。
あるいは多くの人が共感を持ったか…。

季節が人の生活にとても近い時代だったから
いえ関わり合いが濃厚だったから わずかな
季節の変化にも 敏感に反応できたのでしょう。

場合によっては人の命さえも露のように
儚いものだという認識だったと思うのです。

あるいは人生も露のごとく儚く潰えてしまうと。

一方で そういうこともまた
自然の営みの中の一部であり、
人も決してそれに逆らうことはできないのだという
一種の諦観のようなものもあったかもしれません。

たとえ儚く消えていく露でも一身に光を受けて
美しく輝くその刹那的なきらめきに
命の輝きを見出したり 一瞬であっても

きらめいて散っていきたいという
憧れのようなものもあったかもしれませんね。

儚いもの 小さいもの 声なきものなど
日本人の感性を捕らえて離さないものの中に
露もあったのでしょうね。

厳しい暑さを 日々の営みの中に乗り越えて
ふと涼気のたった朝 足元の草の葉に
いくつも露がきらめいているのに目が留まる…。

あるいはもう朝もやが出ていたかもしれません。

その露は差し込む朝日に輝くけれど
見ている端から 姿を消してしまいます。

暑い暑いと思っていたけれど もう草の葉に
露が下りる時期になったのか…。

そんな情景をイメージさせてくれる
七十二候の草露白。

ひそやかだけど確実に訪れる秋の気配です。
あー、今 気が付きました。

露が好きなのはきれいなのはもちろんですが
見た目 涼やかで潤いそのものなんですよね。

そして何よりも 露が発生する時期は
とても涼しい時期に当たるということ。

厳しい暑さが過ぎて やっとほっとできる
そんな時期に見ることができるからです。

うん やっぱり気候は涼しいに限る!
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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