「重陽の節句」は「節供(せっく)」でもあることについて

重陽の節句 暦・季節

 
重陽の節句
 
「重陽の節句」こちらは主に戦後の書き方
「節句」と読ませる文字から入りましたが

「節句」の文字は主に 戦後に新聞や雑誌などの
文字メディアから広まったようです。

「句」も「供」も教育当用漢字に入っていますので
まあどちらでも間違いではないということでしょう。

ただやはり「用法」としては微妙に違いがあるので
こだわる方は しっかりと分けて使うのだろうなあと。

私はどちらでもいいんじゃないかと思っています。
(根が鷹揚なので。)

書き方もさることながら「重陽の節句」について
知っている人は 多くなさそうな感じ。

忘れ去られてしまう前に 書き残さなきゃ。

忘れちゃうのは私だけだと思うけど てへ。
 

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「重陽の節供」は「五節供(ごせっく)」の一つ

 
では「重陽の節供」とは何か?ですけれども
ほとんどの方は察しがついていると思いますが
彼らですよ。

昔々中国が まだ隋とか唐とかいって
今とは全然違う国だったころ

日本からはるばる海を越えて
(文字通り命がけの大航海でしたね。)
これらの先進国へ国の基本となる事柄を
学びに出かけた若者たちがいました。

遣隋・遣唐使どちらの誰が持ち帰ったのかは
定かではありませんけれども

「暦」という優れた考え方を即、
取り入れたであろうことは想像に難くありません。

特に農作業にとって 時間の概念、季節の巡りは
どうしても外すことのできない事柄です。

国のトップとしては「暦」にある
特に重要な日をお祝いすることを
しっかりと踏襲したわけですね。

日付で奇数日が重なる日を「節」と
呼んでいたのです。

1月1日は別格だそうですが、3月3日桃の節供、
5月5日端午の節供、7月7日七夕の節供、
そして今日9月9日重陽の節供。
これらを総称して「五節供」と呼んでいました。

ちょうど二ヶ月ごとですし
それぞれに咲く花を愛でたり 宴を催したり
特別なお料理をいただくなどして

「節」を無事に過ごせたことと
お祝いしたのではないでしょうか。
(正しくは邪気や穢れを祓うことなんですが
美味しいことはいいことだ。)

花はきれいだし 特別なお料理とかも楽しいので
「節供」はとてもいい伝統行事と
いえるでしょうね。(そこなのか)
 
 

それぞれの「節供」には特別な食べ物がある

 
「重陽」とはどういうことでしょうか。
なんでも奇数は陽の数字で 良いことを表すそうで
その陽の数字のうち「9」が一番大きいのです。

そんないい数字が二つの「9月9日」は「陽」が
「重なる」ので「重陽」となったみたいですな。

不老長寿や一族の繁栄などを
願うようになっていったのでしょう。

で、当然旧暦なので 菊の花の季節なのです。

平安貴族などの間では「菊づくし」なんて
優雅にきめて「重陽」をお祝いしたのだそうです。

そんなわけで「重陽の節供」を
「菊の節供」ということもあります。

菊は薬草として日本にもたらされたと
言われていますので

暑い夏を過ごして疲れた体に
何やら薬効を期待したのかも…?
(だから邪気を祓うんだってば)

「重陽の節供」をお祝いする
お料理としては まず「菊酒」。

本当は菊の花を煮て作るのだそうですが
今ですので 清酒に花びらを浮かべて
いただくのがいいかなと。

季節の食べ物「栗」を入れた「栗ごはん」
ほんの少しだけ塩味で
栗の甘みが際立つデリケートな味の
「栗ごはん」は秋ならではの味わい。

「ハレの日」には欠かせない
「お餅」も一緒にどうぞ。

ちょうど収穫の時期ですから
美味しいものがたくさんありますね。

先述した平安貴族の「菊づくし」は
食べ物だけではないようで

菊の花にかぶせておいた布を羽織る
「被せ綿(きせわた)」や「菊まくら」
「菊湯」なんていうのもあったそう。

1000年も前の人達ですけど
「アロマ」や「ハーブ」のような使い方を
していて興味深いです。

それから 知らなかったので少し驚いたのが
この「重陽の節供」には
「後の雛(のちのひな)」という
風習があったそうです。

雛人形の虫干しなどを兼ねて
この時期に再び飾るのだそうで

こちらは大人の女性たちの健康や
長寿を願うものでもあったとか。

なるほど雛人形には大人の女性たちの
願いも込められていたんですね。

これ、もっと大々的に宣伝したらいいのに。

「重陽の節供」について
ちょっと考えが変わったなあ…。

もっといろいろありそうで
また調べてみようっと。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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