二十四節気のひとつ「芒種」(ぼうしゅ)

芒種ぼうしゅ 暦・季節

 
芒種ぼうしゅ
 
今日は二十四節気のひとつ「芒種」
(ぼうしゅ)を取り上げます。

「芒種」って何でしょうねえ?
私は知らなくて昔からナゾだったんですよ。

ざっくり言うと種をまくという意味で
野良仕事で色々な種をまきますけれど
その時期が来ているよ…ということです。

芒の字はイネのもみ殻などに代表される
ツンととがった角みたいな殻がついている
種の総称みたいですね。

だから一種類の何かのタネじゃなくて
「そのたぐいのタネ」みたいな扱いというか。

主にはムギだったり ソバだったり 後は
イネ科の雑穀のことではないかと思います。

江戸時代もそれ以前も生産者である
お百姓さんは 白いお米なんてほとんど
食べられませんでしたからね。

今でこそ雑穀は健康食品の扱いですけど
昔は立派な主食だったと思います。
 

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水田と畑 どっちが多かったんだろう?

 
恵みの雨がたくさん降って 土を黒く濡らす頃。
イネはもう植え渡したころでしょう。

「芒種」を合図にまかれる種たちは恐らく
水田ではなく畑だったと思われます。

イネだってもしかすると畑に直まきするタイプの
陸稲(おかぼ)だったかもしれませんね。

水田を作るには大変な労力が必要でした。
引いてくることができる水源と用水路が不可欠で
それを整備するのが大変なのです。
昔は全て人力でしたから。

山の斜面にへばりつくように並んだ「棚田」とか
「段々畑」とかいったいどれだけの時間をかけて
あの形になったんだろうと思います。

野良仕事は自然と植物に頼りますので
人の力でできることは限られています。

でもフィールドそのものを作らなくてはいけない
水田は その労力に対して生産性って
どうだったのかなあと思うんですけどねえ。

でも昔の人ががんばって開墾に開墾を
重ねていたのだから やっぱりそれなりの
生産性が上がったのでしょうね。

場所によっては どうしても水田にはできない
向かない所だってあったことでしょう。

そんな場所は畑にして「芒種」の「芒」たちを
せっせとまいたのかもしれません。

イネもそうですけど 比較的丈夫でがんがん
芽を出して伸びるんですよね。

今はヒエなど水田では雑草扱いですけども
どこでも元気に伸びる強い子です。
そう、まかないけど勝手に生えてくるんです。

畔や土手に自生していて どんなに取っても
どこかにあって 絶対なくならないんですね。
ものすごい生命力です。

水田において雑草扱いなのは 放っておくと
イネが負けてしまうからなのです。

 

「芒種」から雑穀へ妄想は続く…

 
雑穀の場合 わざわざ種をまかなくても
雑草の形で生き残っていて どこにでも
生えてきまして…いいんだか 悪いんだか。

何もしなくても 勝手に生えてきて どんどん
大きくなって種を落として…を繰り返すので
雑穀って作るだけだったら 楽かもしれない。
(そういうのを普通 作るとは言いませんが。)

ただきちんと食用に栽培するとなると
今度は作物になるので…いろいろ面倒かな。

鳥さんたちなどの食害にあうかもしれないし
虫さんもたくさんつきそうだよねえ…。

収穫もイネみたいに専用の機械がないし
収穫するべき部分にあまり重みがなかったりして
刈り取り作業がすごく大変かもしれない。

茎も葉っぱもぐちゃぐちゃに交じって
えらいことになりそうだ わわん。

穂の部分だけ取れるようになってればいいけど
草丈があまり高くならないとか びろーんと
広がって穂をつけるようなのもかるかも…。

雑穀の収穫作業はみたことがないけど
今だからそれなりの機械とかあるんだろうな。

「芒種」の意味から雑穀に妄想を広げて
考えてみましたけど 人類は何でも食べちゃう
雑食の極みだから 放っておいても育つ
雑穀はちょうどいい食料かもしれない。

美味しいとか不味いとかそういうことではなくて
もっと健康のために努力すべきかな。

うちの近所では雑草で勝手に生えてくるけど
そういう植生ではない所だと「外来種」で
別の問題を起こすかもしれないけど。

ただ食料問題という観点では 作り易い作物は
人類の味方だと思うけどねえ。
素人考えだから 妄想に留めておくべきかも。

季節を表した二十四節気や七十二候は
野良仕事の目安を文字に乗せて示しています。

日々の暮らしと季節が密接に結びついていた
古き良き時代を今に伝える貴重な記録とも
いえる気がします。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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