「聖徳太子」はいなかったとか 言わないで~

 
聖徳太子
 
思わず本音がタイトルになっちまいました。

古い人間なので 日本史の教科書から
「聖徳太子」が消えるとか
載せないとか 辛いもの。

まあ教科書は何年かに一度ずつ
再考されることになっているそうで

昔 習ったことなんか
どんどん本物の歴史になっていって
しまうんでしょうねえ。

古い人間には 少し寂しい気もします。
 

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「聖徳太子」はいたけど いなかったの

わけわかんない小見出しで恐縮です。

「聖徳太子」というのは
後世の人がつけた「諡(おくりな)」で

実際にそういう人が生きていた
わけではありません。

「諡(おくりな)」というのは死後に
号されるものだからです。

なので「聖徳太子」という人は
いなかったけれど その「諡(おくりな)」を
贈られた人がいたことは間違いないです。

生きている時は「厩戸皇子」または
「厩戸王」と呼ばれていました。

ちらっと聞きかじっただけだと
この辺りがごっちゃになって

えええ?「聖徳太子」がいなかったことに
なるんかいーーっ?と思いました。

「厩戸王」がいたなら「聖徳太子」も
いたということになるのでは…?

より正確性を求めるなら「諡(おくりな)」の
意味を脚注などに併記すれば済むこと。

「聖徳太子」がいなかったことには
ならないと思うですがねえ。

まあ『「聖徳太子」いなかった説』を取る
学者さんは実際にいらっしゃるので

素人の私は なんだかなあ…と
思っちゃうですけども。

立派な業績も もちろんひとりでは
できなかったでしょうけれど

例えば「チームリーダー」だったか
業績の「言い出しっぺ」か あるいは

天皇に奏上する前に「最終決済」を
する人だったかも…。

何よりも当時の天皇の「甥」だし
「摂政」だし 蘇我氏の秀才だからねえ。

「厩戸王」の場合はこの出自がポイントかな。

蘇我氏の出身者が「摂政」に立って
事実上 政治を動かしているのに

他の人間の業績を集めて人物を
「ねつ造」する理由がないんですよね。

自分たちも権力の座についているし
むしろ他の者たちを排除する方向に
力を注ぐのではないでしょうか。
 

 

「聖徳太子」は信仰の対象に…

 
「厩戸王」が亡くなったのは
西暦622年のことでした。

まだ48歳だったんですけどね。

頼りにしていた「摂政」を失って
推古天皇は落胆したでしょう。

何か分かりませんが「病」に
臥せっていたようです。

人生そのものが伝説のような人でしたが
亡くなって 一層その大きさが
知れ渡って行ったのではないでしょうか。

深く仏教に帰依していたこともあり
徐々に信仰の対象になっていったのかなと。

「厩戸王」は「為政者」の立場なので
「仏」の力で国の安寧を…と
願っていたのでしょうね。

人心掌握も当時の国の安寧には
必要事項でしたから。

ただ仏教は後から入ってきた
外来の宗教でしたし 当時のは
「為政者向け」でもありましたね。

いくつもお寺を建立したりしましたので
もしも「聖徳太子」がいなかったなら
誰がおっ建てたんでしょうねえ…。

蘇我氏が建てさせたとも
言えるでしょうが… この一族が
仏に寄進なんかするかなあ…?

まあ確かに新興勢力としての仏教に
力を貸したというか 与したけども。

それは権力や富の独占という
目的があってのことだろうし。

そのためなら 流血も普通だったし。

そんな中にあって「和を以って尊しと成す」
みたいなことを言い出したりした

「厩戸王」の方が変わり種というか
真面目に仏教に帰依したんだろうな。

経典を和訳(?)した書物も
書いたようだけれど 焼かれちまったし。

立派な人で そういう風に真剣に
「仏」に向き合ったような伝説が残れば

時間の経過とともに その人自身も
信仰の対象になっていくものですよね。

当然 強烈なアピールになりますから
仏教界からのプッシュもすごいでしょ。

もしも『「聖徳太子」いなかった説』が
本当なら 居もしない架空の人物を
祭り上げたことになりますね。

一時的にはだませるかもしれないけれど
架空の人物だった場合は
長い時間が経つほど 難しくなりそう。 

「聖徳太子」という諡が いつ誰によって
号されたのか 私は素人なので
分かりませんけれども

生前、その他大勢のひとりだったら
あるいは 実在しなかったのに

そのような諡は用いないのでは…?
そんな風に思えてなりません。
 

 

本当はどうなのかしらねえ…

 
近年 歴史的な発見や検証が進むなどして
どんどん塗り替えられていきます。

長く定説になってきた事柄の中には
その時々の「大人の都合」もありそうで
ちょっと面白いし 注意も必要。

「聖徳太子」については
蘇我氏の出自ゆえ
実在は間違いないと思います。

例えば幼い頃から突出した優秀さを
大勢の前で自慢しちゃったとか。

耳目が集まり過ぎちまって
誤魔化せなくなって 逆に
最大限利用したのではないかしら。

だから「厩戸王」の息子の代で
蘇我氏の嫡流に滅ぼされたの。
とんでもない一族だわねえ。

こんな人たちが「聖徳太子」の業績を
ねつ造するとは到底思えないわ。

その意味でも逆に糊塗や粉飾があっても
『「聖徳太子」いなかった説』は
有り得ないでしょうというのが
素人の見解でございます。

「厩戸王」こと「聖徳太子」の
お誕生日なのでちょっと書いてみました。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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