今日は中江兆民の亡くなった日

中江沢民 忌 障子窓

 
中江沢民 忌
 
今日取り上げる人は「東洋のルソー」と
いわれているそうです。

今日12月13日はそんな
中江兆民が亡くなった日です。

1901年のことで
彼はまだ54歳でした。

まあ…ルソーという人も か~なり
破たんした人生を送っていますが

この兆民さんも 何といいますか 
ちょっと壊れています。

ですが大変に広い学識をお持ちのようですし
一筋という形ではないですが

勉強の量としては ものすごく
たくさんしておられたと思います。

そうした中でフランス語を
習ったことがきっかけで 
欧州に行く機会を得、

そこで習得した語学のおかげで 
ルソーを日本に広めた…というか
翻訳して出版したんですね。
 

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よくわからん行動が偉大だったの?

 
恐らく日本人がフランス語から
直接翻訳したと思いますので 

ルソーの思想とか 「自由民権運動」の
理論的な指導者となっていったのだろうなと。

生れたのは1847年ですから
明治維新の時には21歳でした。

同郷ですので生前の坂本竜馬にも
面識があるそうです。\(◎o◎)/!

面倒なので書きませんが(こらっ)
出来たばかりの政府の仕事とか

新聞やら出版社やら 学長やら
はたまた政党やら 

とにかく著述系でいろいろな所を
ほぼ1年単位で 務めたり辞めたり 
立ち上げたり止したりしています。

人の塾などにも出たり入ったり 
自分でも塾を立ち上げたりと忙しい忙しい。

センセイ、本当は何がしたかったのですか?
と聞きたくなるくらい。

土佐藩の高知城下で生まれているくせに 
大阪の部落に本籍を移して

そこから第一回衆議院議員総選挙で 
当選するとかしています。

でも翌年の2月に政府の予算案が
成立したことに腹を立てて 
辞職しちゃいました。

まあこの頃の選挙権は成人男子で 
納税者のみというものでしたけども。

うむむ 仕事が続かないのは
病かなにかですかねえ。

この時の辞職願には
「アルコール中毒だからごめんね」と
書いてあったそうですが

えっと…中毒って突然起きる
病気ではないですけどねえ。

選挙で選ばれる公職の意味 
理解されてますう?

演説は上手だったみたいですけど 
選挙戦では何と言って
支持を集めたんですかあ?

ですが視点を変えると 
それだけいろいろなことが
できたということですね。

考えてみると不思議な人ですね 
はっきり言ってきちんと成し遂げた仕事は
数えるほどしかありませんし 

起業に至ってはいくつか
手を出していますけれども 
残らず失敗に終わっています。(艸)

とんでもない口先人間だったとも 
言えるのではないでしょうか。

なのに 次々にやりたいことを
始めることができていた
ということは どういうこと?

時代的におおらかな時代だったのか 
人々が太っ腹なのか 兆民さんが人を
惹きつける不思議な力を宿していたのか 

巧みな話術でたぶらかしたのか
いつも誰かが支えてくれていた
ということですよね。

恐らく上記のすべてが揃っていたのでは
ないでしょうかねえ。

一つくらいなら偶然かもしれませんが 

これだけ揃ってしまうと もおたぶん
時代が必要としてたとしか 
言い様がありません。

私塾なども開いていたので 
門下生の中には成功した人も
いたかもしれない。
 
 

思想家って職業なのかなあ?

 
基本的に思想家といわれる人たちって 
どえらく変わった人が多いし 

人としても生活が破たんした人もいたりして 
もしかするとそういう目に合わないと
なれない職業なのかもしれません。(笑)(?_?)

冒頭の「東洋のルソー」ですけれども 
ルソーという人物と一緒にされるのは

光栄~と思うか げげっあんな破綻人間と
一緒にするかい?と思う人と
こちらも両極端になりそうですね。ぷぷぷ…。

本家のルソーさんも「東洋のルソー」
こと兆民さんも 相当な無茶ぶりで
思想家のところが共通してますけども。

兆民さんの場合も何だかよくわからないけど 
明治の元勲に知り合っていたり

後の世に影響を与える人物と
関わっていたりしています。

本人が少なからず後世に影響を
与えていますけれど 偉人には
二つのタイプがいます。

一つは幼少のころから
一つのことを積み上げてきて 
誰にも真似できないレベルの
業績を残す神童タイプと 

兆民さんのようによくわからないけど 
後からみると …あ…凄い人
だったんだなと言われるタイプ。

どちらも一緒にいると変わってて 
面白いかもしれませんけれど 

長く付き合えるタイプ
ではないと思いますな。

下手をすると巻き込まれて 
大変な目に合いそうですので 

遠くからそおっと
あるいは草食動物のように

大きな群れに紛れて 影の方から
じっと観察するだけにしておくのが
無難だろうなと思われます。

1901年のこととはいえ 
54歳はちょっと早過ぎる
人生の終焉に思えます。

咽頭がんだったそうで 日本で初めて
告別式が行われたのだそうです。

もしかすると若い頃から
何かと無理を重ねて
来たのではないですかねえ。

もう少し長生きしていたら 
また何か別のことを
やらかしていたかもしれません。

ああ そうか… 兆民さんという人は 
実業家というよりは思想家なので 

本人の実績はともかく 
その言動で影響を与えた人の方に 
注目すべきなのかもしれませんね。

思想家とは人の考え方に強く影響を
与える話や著書などのことすから。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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