今日は 聖徳太子のお誕生日

 
聖徳太子
 
574年 2月 7日は厩戸皇子 
後の聖徳太子の誕生日です。

用明天皇の第二皇子で
いらっしゃいますが 

実はこの用明天皇 在位期間が
非常に短くておいでだったので 

厩戸皇子をはじめ他のご兄弟も 
父君が親王殿下でいらした頃に 
生まれていました。

母君は欽明天皇の皇女でいらしたので 
まあ両親ともに

皇族でいらしたわけで 
とんでもない出自ですねえ。
 

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まだ黎明期だったので 才人も戦いに巻き込まれる

 
昔の皇族方はみな変わった
お名前でいらっしゃいますけれど
何がどうして「厩戸」なのでしょうか?

諸説あって 定かではないのですが 
私はこちらを取りたいと。

実は母君が蘇我氏の出身で 
馬子さんの姪にあたるお方なのです。

当時も母君の実家で生まれるのが
普通でしたので 馬子さんちで
生れているんですね 

だから馬の家で生まれた皇子 
つまり厩戸皇子と…。

天皇も短い在位で入れ替わりましたから 
ものすごくたくさんの皇子や皇女が
いらしたわけで お名前で
わかるようにしておかないと 

誰が誰だか混乱が生じたのかなあ…と 
自分レベルでの発想なんですが…。だはっ。

で 皇子さんがたくさんいたことと
天皇の在位が短かったのは 
切り離せない密接な因果関係で 
どの皇子が即位しても皇統は正しいんです。

後は後ろ盾となる豪族の力が
大きくモノを言った時代でしたので

いろいろやらかしては 
主に自分たちの血縁のある皇子か 
言うことを聞き易い皇子を
即位させて権力を握りたいと 
みんなが思っていたのです。

この頃は主に渡来系を祖に持ち 
仏教を広めようとしていた蘇我氏と
日本古来の神祇(しんぎ)系で

新興の仏教を排除しようとしていた
物部氏とが激しく対立していた時代でした。

黎明期の政治において 方向性を決めるのに 
同じ考え方を持つ者は自然と
集まってくるものですし 
それが力を持つということでもあります。

そこへさらに「信仰」が
参戦してきていますから 
激化は当然ですね。

八百万の神さまは 
ああしろこうしろと具体的に
おっしゃっていないので

「モノを言う」形で人間に
伝わって広まる信仰より 
弱い印象があるんですよね。
(個人の感想です。)

用明天皇が病で崩御されると 
その対立は表面化し とうとう全面戦争へ。

若い頃の厩戸皇子も
この戦いに参加されたそうですね。 

物部氏の方は神祇系ではあるものの 
よく訓練された兵士の集まりだったそうで 

強くて 馬子さんたちは
3回も押し返されたんだそうです。 

厩戸皇子は なかなか決着がつかない中 
自ら四天王像を彫って 
必勝を祈願したと伝わっています。
 
 

本当に形が整うには まだ時間が…

 
で、この戦いに勝って 蘇我氏全盛の
時代がやって来るのですね。 

馬子さんの計らいで推古天皇が即位し 
その摂政として厩戸皇子が
中心になって政治を動かすようになります。

厩戸皇子はあの戦いの
必勝祈願の時の誓いを守って 
方々にお寺を建て 朝鮮半島から
高僧を呼ぶなどして 
深く仏教に帰依していきます。

ところがその一方で 
実は神祇の方も ちゃんと
保護に努めていたそうで 

並外れた才人は 信仰というものを
どう扱うか心得ていたのかなと思います。

私たちが歴史で習ったような
数々の功績を残されるわけですが

自ら武器を取って戦に臨むなどした経験から
「和を以って貴しと成す」のような
発想に向いたのではないかなと思います。

みんなで協力しなくちゃ 
政はできないんだよという考え方です。

ちなみに仏教は決して戦いを
否定していませんのでね、馬子さんたちも
武器を取ったわけですし 

ずっと後世になりますが 
広まった信徒たちも度々 過激な
行動に出ちゃっているわけですよね。

社会の基盤が定まりきらない時代でしたので 
隋のような律令を基本とした いわゆる
「法治国家」を目指したのだろうなと。

お手本になる国が「適度な距離」に
あってくれて ラッキーだったと言えます。

近すぎるとただの属国に
されてしまいますからね。(笑)

厩戸皇子は仏教に帰依する中で 
たくさんの本を書いているのですね。

ですが残念ながら 
皇子が亡くなった後の政争で 
皇子の一族が滅ぼされてしまい

せっかくの労作 貴重な書物が
全部灰になってしまいました。

何という勿体ないことを やらかして
くれたんでしょうねえ まったく。

そこら辺りは凡人の起こした政争なので 
優れた一族はただの脅威でしかなく

一族郎党一人残らず 
この世から消し去らなければ
安心できなかったのでしょう。

どこかに一冊くらい
残っていないものでしょうかねえ…。

不世出の頭脳が経典の注釈書とか
書いているので 理解できるかは別として
読んでみたかった気がします。

それにしても厩戸皇子は 
馬子さん一族の出自で
本当に良かったですね。

もしもよその生まれだったら 
間違いなく馬子さんに
暗殺されていましたよねえ。

こんなに優れた人間が 他の生まれだったら 
それこそ一族を滅ぼしかねない危険人物 
ただの邪魔者でしかありませんから。

冒頭に1回しか書きませんでしたが 
「聖徳太子」というのは厩戸皇子が
亡くなってから 贈られた号ですので 
生前のことを書きましたため
厩戸皇子で通させてもらいました。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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