今日は「奇跡の人」ヘレン・ケラーの誕生日

ヘレンケラー 生誕 ガラス窓

 
ヘレンケラー 生誕
 
今日は「奇跡の人」
ヘレン・ケラー女史が生まれた日です。

1880年のことで 米国の南部の
比較的裕福な家でした。

生後19ヶ月といいますから
1歳7ヶ月の時に 高熱とともに
髄膜炎にかかってしまいました。

これが原因でその瞳と耳から光と音がそして
言葉さえも奪われてしまうのです。

今ではしょう紅熱だったのではないかと
言われているそうですが。

小さな子供が自分の意思を伝えることも 
親や兄弟の声や姿を見聞きすることも
できなくなったなんて 

本人はもちろんのこと
周りも困ったことでしょうね。
 

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過酷な人生を運命づけられた少女

 
しつけができなかったため 
わがままに育ったとされていますけれど

表現が悪くて申し訳ないのですが 
動物のような状態だったのではと…。

真っ暗闇で何の音もしなくて
話すこともできない…そんな状態を自分で
作って真似してみますが 

だめ…5分も保持できないです。

わずかの時間でもヘレンさんと
同じ状況が我慢できないことを思うと

視覚や聴覚に障害があることの大変さを 
あらためて思い知るとともに

みんなが安全に普通に暮らせる
社会のあり方を 考えさせられます。

今の社会に暮らしていても 
まだ障がいのある方々には様々な面で生活が
しずらい状況はあると思いますが 
ヘレンさんの時代なら尚更だったでしょう。

この時困ったヘレンさんのご両親が
救いを求めたのが あの電話を
発明したベルさんでした。

このベルさん人っては聴覚障害のある
子供の教育を研究していたんですね。

実はベルさんのお母さんは 彼が
12歳の時に音を失ってしまったそうで 

それ以来ベルさんは手話を覚え 
お母さんの傍で同時通訳をしたそうです。

実際「電話」の発明も
音響の研究が主だったようで 

どちらかというとベルさんの研究の
「副産物」みたいな感じだったらしいです。

ちょうどこの頃米国では 
しょう紅熱の後遺症で聴覚障害を
負ってしまう子供が後を絶たず 

その教育が盛んに
研究されていたのだそうです。

ヘレンさんのご両親はベルさんを訪ね 
盲学校の校長先生を紹介してもらいました。

そしてこの盲学校から家庭教師を
派遣してもらうことが決まります。

この家庭教師が若干20歳の
アン・サリバン先生で 

ヘレンさんの師であり 導き手、
そして生涯に渡るよき友人となる人でした。

実はサリバン先生自身も弱視で 
派遣された盲学校を
よい成績で卒業したのでした。

彼女はヘレンさんに根気よく「しつけ」や
「指文字」「言葉」を教えました。

たった一行で済ませていますけど 
意思の疎通を図るものが何もない状態から 

ヘレンさんにそれを理解させるのは 
本当にほんとうに大変だったと思います。
 
 

本当に「奇跡の人」なのは 誰?

 
ちょっと想像してみましょう。 

あらゆるものには名前や呼び名があること 
自分の意志や思いを伝えるために
言葉があること 

言葉には意味やルールがあること…。

そして恐らくこれが一番
大切だと思うのですが 

いつでもどこでも私(アン)は
あなた(ヘレン)の味方で
いつも一緒だということ…。

光も音もない孤独な世界から 
一人の少女を救い出したサリバン先生。

両親すらも手を差し伸べる方法が
見つからなかったヘレンさんは 
サリバン先生の登場をどう感じたのでしょうか。

最初は物事の良し悪しをしつけることから
入ったと思うので きっと怖くて
いやなやつだと思ったに
違いないと想像するのですが…。

それでも愛情を持って 辛抱強く
寄り添い続けた その態度と情熱にこそ 
真の教育者たる姿を見る思いがするのです…。

もしもこの出会いがなかったら 
世界的に知られる「ヘレン・ケラー」は
存在しなかったかも…レベルではなく
本当に存在しませんでしたね。

サリバン先生の存在は 
ヘレンさんの光であり 
外の世界の音だったことでしょう。

もちろんヘレンさん自身の努力も
あると思いますが 

彼女はついに言葉を取り戻し 
人とコミュニケーションを
取ることができるようになります。

サリバン先生の母校で学び 
さらに別の聾学校では発声法を学びます。

また今のハーバード大を卒業して
文学士の称号を得ていますし 

発表した自伝が映画になり 
それに出演するなど 
活躍は縦横無尽だったのですね。

ヘレンさんが生きた時代は
まさに激動の時代でしたし 

彼女は当時としては
進んだ考え方の女性でしたので 
いろんな社会運動などにも参加しています。

ところで私たちが知る
「奇跡の人」というのは
実はサリバン先生の方らいしのです。

英語を言葉通りに訳すと
(何かに働きかけることで)
「奇跡を起こす人」という方が
ニュアンスとしては正しいのだそうです。 

最初にヘレンさんが来日した時(1937年)
サリバン先生はすでに故人だったので

日本人でサリバン先生の存在を知る人が
少なかったことが理由みたいで

みんながヘレンさんのことと
勘違いしたようですね。

まあどちらにしても尋常ならざる
粘り強い努力と 決してあきらめない心が 

共鳴し合った結果 二人の人生そのものが
「奇跡」の存在になったのです。

だから当然ヘレンさんも
「奇跡の人」で間違いないかと。

そして1968年6月 87歳の
生涯を全うしたヘレンさんは 

恩師のサリバン先生らとともに
静かに眠っています。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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