強制収容を忘れない 日系人が強制的に収容され始めた日

 
強制収容所
 
最初に申し上げておきますが 

今日のテーマについて
私は単に歴史的事実と認識し
記事にしています。

個人の感想に過ぎませんので 
おおらかに受け止めてください。

1942年と言いますから 
今から81年前になります。

随分長い時間が過ぎたものですね。

この年の今日 
アメリカに住む日系の人たちが
敵国の出身者だからでしょうか 

強制的に収容所へ
送られるようになりました。

こういうものって開戦当初から
用意しておくものなのかしら?

突然言い出されて対応したのなら
さすが軍隊というべきでしょうか。

様々な理由が考えられますが
複雑な気分になるのは
自然なことだと思いたい…。
 

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やっぱり人間が作り出したもの

 
前年の12月に大日本帝国から
真珠湾を攻撃されて 

日米が戦争状態になりましたので
仕方なかったのかもしれません。 

それにしてもすでに
アメリカ国民であったはずなのに
どうして日系人だけ
こんな目にあったのでしょう。

私は最初に日系人の強制収容があったと
知った時 移民によって出来ている
アメリカでもいざ戦争の相手国になると

そういう対処の仕方を
するんだなと思いました。

同時にドイツ系やイタリア系など 
当時日本と同盟関係にあった国からの

移民に対しても 同じ処置を
したのだろうとも思ってました。

そうでなければ出自が敵国であるという 
収容の理由に反しますから。

それともうひとつ 大抵の日本人は
どこへ行っても日本人で 大人しくて

従順で反抗も少なく 扱い易かったからかも
しれないとも想像しました。

ですが 実際に強制収容所に入れられたのは
日系人だけで 他の国からの移民には
何のお咎めもなかったときいて 

アメリカの上層部の「ダブルスタンダード」を
垣間見た気がしたものです。 

とても立派な差別主義者の集まりですね。

そののち あの大東亜戦争の様々な話を
見聞きするうちに この戦争そのものも

アメリカ側には人種偏見による 
あおりのようなものが根底にあって

色濃く反映されていたんだなと
感じるようになりました。

まあ…はっきり言ってしまえば 
人間を家畜のように売買したり 

勝手に故国から連れ出して 
自分ちの庭先の畑で奴隷働きを
させるような人たちを先祖や
親に持っている人たちなわけですよ。

宣教師を送り込んで洗脳し 軍隊を送って
占領した後は 自分たちの農場を作り

現地の人を奴隷として働かせて 
人の作ったもので商売をして利益をあげ 
自分たちは着飾って遊び暮らしていた…

そういう人たちが先祖の人もいたでしょう。

有色人種である日本人のことを 
普通に本気で猿だと思っていたわけです。

移民一世、二世の皆さんは 
本当にご苦労をされて 彼の国に溶け込み

自分たちの生活を切り開いて来られたと
思いますが その新天地アメリカに

こんな仕打ちをされて
さぞ落胆なさったことでしょう。

日本人は 長く隔絶された島国に育ったので
外国に暮らすことの厳しさ

特に人種が違うという本人にとっては
どうすることもできないことすら 

問題になるという面倒な面を 
あまり考慮せずに あるいは知らないままに

現地へ行ってから直面するケースも 
多かったのではないでしょうか。

どんな困難な中でも
辛抱された皆さんの心情と 
時間はそれなりにかかりましたが

きちんと非を認めた後の政府の行動は
価値あるものと思います。

繰り返しますが「日系人だけ」に
そういうことをやらかしましたからね

その意味で非を認めることには
大変に意味があるのです。

そして済んだことはそれとして 
歴史的な事実として 後世に伝えることも
また とても大切なことだと思います。
 
 

立派な理念に近づけますように…

 
せっかく根を下した日系の人たちと 
移民先の国とに分断を引き起こしたのは

戦争なわけですけれども 
戦争にしてもこれは政治形態のひとつです。

子供のけんかではないのだから 
戦争に至るまでの背景だけでも

複雑にして奇々怪々な裏交渉の末 決裂 
極めて政治的な判断で戦争になるのです。

そして一旦戦争状態に陥ると 
今度は国威発揚のため 表向きには

単純明快なスローガンで人心をあおり 
戦場へと送り込みます。 

たくさんの場所から 
様々な人が寄り集まってできた国とか 
集団というものは 何か不都合なコト
(紛争、自然災害など)が起きると 

もともと互いの信頼が希薄なので 
それぞれのルーツ毎に寄り集まり 

相互に猜疑心が芽生えるし 対立や
不和の空気が起こり易いことも事実です。

とても根源的な意識 
自分を守ろうとする本能が働くため 

無意識のうちに同族を求め
自分とは違う者を排除しようとする
意識が芽生えるからです。

また自分だけは生き残ろうとする 
あるいは人を押しのけてでも 

自分だけが生き残れればいい
というような意識が強いのも 
行動に表れていますよね。

それだけ生存本能が強いので 
どんな所であっても生きて
行かれるだろうとも思えますけれど。

そういう人しかいない中に 助け合うとか
大変なのは自分だけではないとか

日本でしか通用しない感覚のままで
入って行ったら踏みつけられるだけかも…。

知らない者同士で構成されている 
新天地という場所柄が持つ
リスクのひとつでしょう。

そういうものを含めて 
清濁飲み込んで収めていくのが政治だと

思うのですけれども 海を隔てて
みえる限り 数の多い方に迎合しやすい

民主主義だけで 収めて行くのは 
何だかすぐには難しそうだなあと感じます。

長い時間をかけ様々な試行錯誤を繰り返せば 
より良い方向に歩み出せるかもしれません。

それにはあと2~300年くらいは 
かかりそうな気がする…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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