3・11「東日本大震災」忘れまじ

 
東日本大震災
 
今年もまたこの日が巡ってきました。

犠牲になった御霊に哀悼の誠を
捧げたいと思います。

そしてふるさとを復興しようと 
ひたむきに努力を重ねておいでの
すべての皆さんにあらためて 
心からお見舞いを申し上げます。

あの日あの時 たまたま家にいた私は 
立っていられないほどの大きな横揺れに 
家が壊れやしないかと本当に怖かったです。

震源からは直線距離で 
500km以上も離れた場所でしたが

あんな大きな揺れは
生まれて初めての経験でした。

そして真っ黒な波が あの美しい田畑を
飲み込んでいくTVの映像を見ていて

ただただ悔しくて悲しくて
涙が止まりませんでした。
 

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忘れようにも 忘れられない

 
この経験で思ったのは
こういう大きな揺れ、津波や火災が

もしも自分の身に起こったら
正常な判断ができるか
自信がないということ。

立ち上がって数歩で行ける玄関へ
移動するのがやっとでしたから。

あの警報の音も聞いただけで 
かえって身がすくみます。

慣れることはできなけれど 
備えはしておかないとと思っています。

巨大な自然の力の脅威もさることながら 
被災地のみなさんの振る舞いも 
外国の人たちには驚きだったようですね。

避難所の何かの配給でも長い列を作り 
整然と待つ様子に驚いたようですし。

災害が起きたら 困ったことが起こったら 
みんなで助け合うのは

私たち日本人なら当たり前のことですし 
海外の災害だって そういう姿は
ちゃんとあるように思うのですが。

まあ外国の場合 人がいなくなった町で
悪さをしたり 強盗まがいに

人々から金品を強奪したりする 
不埒者が多いのも事実ですけど。

平穏な時でさえ犯罪が多いですからねえ…。

「トモダチ作戦」で孤立した場所に 
支援物資を届けてくれた米軍の方が

届けた先で 他のもっと困っている人の方へ
回してくれと言われて とても驚いたと
話しているニュースを読みました。

海外の被災地などでは 我先に
支援物資に群がる様子が見られますが

この米軍の方もそういうのが 
当たり前だと思っていたのでしょうね。

自分よりも困難な状況の人がいるなら 
そちらを先に助けてほしい。

極限状態なのは同じなのに 
こういう発想がないのはなぜですかねえ。

日本は白人をして「成功した社会主義国」
という言われ方をします。

国民性が従順で協調性が高く 
器用で勤勉なのでいい方へ向かったと。

あらためて書くと 何だか
少しくすぐったいですが 

ではこの国民性とやらは
どこから来たのでしょうねえ?

もしも人類が共通して生まれ持っているなら 
他国あっても 日本と同じような国民性に
なっていても 良さそうなものですが

その要素は否定せざるを得ない現実が 
多々ありますので違うと断言します。

では たまたまそういう人ばかりが
寄り集まって来た?…んなわけはないです。

場合によっては あるいは他国から見れば 
お人好しにさえ感じるほど

周囲に気を配り、思いやりを
分け合う日本人の精神はどこからきたのか

私も常々不思議だなあと思っていました。

ある方のブログでそうだったのか 
そうだよね!と納得しました。

その方のお考えによれば 
日本人が極限状態におかれても
互いに思いやる気持ちが強いのは 

古来から日本が他に類を見ないほど 災害の
多い土地柄だったからというものです。

考えてみれば本当にそうですよね。

ほぼ毎年集中豪雨などで 
堤防の決壊などが発生し 多くの田畑や
市街地が水に浸かるなど被害が出ていますし 

場合によっては 同じような場所が
連続で襲われることも少なくありません。

日本には110座もの活火山が
点在していますので いつでもどれかが

噴煙を上げ続けていることになり 
時折大きな噴火を繰り返しています。

毎年必ず台風がやってきますし 
冬になれば普段雪の少ない地域に

突然大量の雪が降ったりして 
車や電車が動けなくなるなど 

一歩間違えば 人命にかかわる重大事故に
繋がりかねない事態になっています。

最近のことですが ムダに強い風も
吹くようになりましたね。

そして最大の災害は日本各地で
毎日起こっている地震です。

これだけ災害が多い国は 
世界的に見ても本当に珍しいでしょう。

このてんこ盛りの災害大国に
住み着いてしまった 
私たちのご先祖さまは 

それでもこの地に根を張り 
生きていくことを選んでくれました。

自然災害は誰にでも平等に襲いますから 
持てる者はより多くを失うことになります。

そして動ける者はみなで協力しないと 
生きていく基盤すら復興できないのです。

こういうことが大なり小なり 日本の各地で
ずっと繰り返されて来たとすれば 緊急時の
態度も自然と訓練されてきますよね。

それは数多くの尊い犠牲を出した上での
教訓と学習からきています。
 
 

共助と自助 どちらも共に

 
そしてもう一つ重要なのが日本の社会は
「信用」または「信頼」で
成り立っていること。

長い歴史の中で繰り返されてきた災害に際し 
人々は互いに助け合ってきました。

「困った時はお互い様」という
言い回しにもあるように 

助ける、助けられるは ごく普通のことで 
社会全体が「信頼」で成り立っていたのです。

たいへんな思いをしてきているからこそ 
人にも優しくなれる典型ですね。

もちろん今でも日本の社会は
「信用」が第一で 

実際にそれが機能していますが 
このことも世界的には
そう多くない事例のひとつなんですね。

例えば諸外国で 災害時の支援物資に
群がる様子にしても 今確保しなければ

次がいつなのか 次があるかどうか
人や国などを信用できないので 
みんな必死になるのでしょう。

日本人は 必ず助けてもらえると
無意識に人や国を信じているので 

並んで待てるし 健康上問題がなければ 
自分は少しくらい後回しでも
大丈夫と思えるわけです。

実際 必ず助けはやって来ますので 
そこも信頼ですね。

ただ同じ日本で起こったとは思えない
残念な事象が 人の多い都会でありました。

過度な不安に陥り一部の人が 
買い占めなどした結果 

直接被災したわけでもないのに
本当に必要な人に 行き渡らなくなった
というニュースをみて驚きました。

人が寄り集まっただけの環境では 
たとえ日本人でも
こんな事態が起こるのだなあと。

ひょっとすると人間関係が濃い
「地方」が被災したことで 

古き良き日本人の行動が
世界に発信されたと捉える方が
いいのかもしれません。

もしも日本が大陸と陸続きだったら 
災害の種類も規模も違っていたでしょうし

自然災害などの困難が人を鍛えてきたのなら 
だいぶ違う日本人になっていましたね。

そもそも人の往来が激しく混血が進み…
あ その時点ですでに
日本人ではなくなってるか…。

ともあれ圧倒的な破壊力で
襲ってくる自然災害が そこに

住む人間に少なからず与えた影響が 
今の私たちに結実しているのかな…と。

繰り返しになりますが 
災害は慣れることはできませんけれども
備えだけはしておくようにしましょう。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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