今日10月25日は「台湾光復節」

台湾光復節 忘れ得ぬ出来事

 
台湾光復節
 
1945年の今日10月25日は 
大日本帝国の統治下にあった
台湾が中華民国という国に
戻った節目の日です。

その時から50年前 
日清戦争に勝利した大日本帝国は 
台湾の統治を始めました。

「カイロ宣言」では 日本がまるで
盗み取ったかのように書いてありますが

あんたたちのご先祖が戦争に負けて
差し出したんだからね。

日清戦争は細かく見ていけば 
散発的な戦争でしたので
大日本帝国も清国も大変でした。

とにかく「カイロ宣言」の言い回しは
すごくカチンとくるけれど

それを根拠に中華人民共和国と
中華民国の双方が 

台湾の領有を主張するのは
もう日本には関係ないので
気が済むまで勝手にやっててください。
 

スポンサードリンク

 

台湾とは海上交通で知り合いだった

 
日本の終戦の50年前と書きましたが 

台湾と関わりができたのはそれよりも
更に前の日清修好条規が結ばれた年
(1871年)まで遡ります。

日本 台湾双方で
決まった呼び名はありませんが 

ウィキペディアには
「宮古島島民遭難事件」という
項目があります。

民間の漂着事故だったのですが 
宮古島の人たちが強風に流され
航路を外れて 台湾に
流れ着いてしまったらしいのです。

その漂着民を台湾の原住民が
殺害するという事件が起こりまして。 

日本がどうしてくれるの?って
抗議したんですね。

この時の清国ときたら台湾のことは
「化外の民」とかいって 
ばっくれてたくせに

じゃあ報復してもいいよねって
日本が派兵したら 
びびって手のひら返し。

口先き人間の白人を味方に引き入れて 
みっともないったらありゃしない。

4千年の歴史とやらが培った精神は
強いものにはおもねることだけかい。

そういえば大東亜終戦時 
日本が戦艦ミズーリで調印する前に 

なぜか手回しよく
台湾に出先機関おいたよねーーー。

さすが米国の援助がなきゃ
戦争も出来ない人たちだわ。
 
 

「光復」を喜んだのに…

 
台湾の人たちは「祖国」の人たちが来るって 
最初はとても喜んだみたい。

でも船から降りてきた「本省人」たち
国民党軍は 隊列も組まず

整わない身なりでみすぼらしくて 
ただの難民みたいだったそうですな。

台湾の人々はえらく落胆したようで 
日本が負けたとは思えなかったと。

そうですよ 日本が負けたのは
連合国の米国であって 

その米国からこっそり支援して
もらっていた国民党軍でも 

まして山賊崩れの共産党は
八路軍なんかでは ありませんから。

世界一綱紀の厳しい皇国の正規軍と 
行く先々で人を連行して来ては

後ろから銃で脅しながら 
前線に駆り立てていくような

山賊みたいな連中と
一緒にしないでほしいんですけどね。

でもって台湾の人たちには
「犬が去って豚が来た」と
言われたそうですね。

日本人はああしろこうしろと
うるさいことを言ったけど
自分たちもよく働いた、

だけど本省人たちは
わいろは要求するわ 
仕事はしないわで
ずいぶん違うと言われたようです。

だ・か・ら~ 真っ赤に染まった
拝金主義者と一緒にしないで下さいな。

…というかそれは今に到っても
1ミリも変わっていないように
お見受けしますので 

何千年も中国大陸に住んでいる人たちの 
本当の姿なのだと思いますよ。

「台湾光復」の後
焼け野原から立ち上がって 
今の繁栄を築いたのが日本人。

ほぼ同時にスタートを切っているけれど 
なぜか眠れる獅子のまま
ずっと過ごして

親玉が崩壊した後は
その技術や知識をしれっと
手に入れて軍拡をかまし

さらには共産主義のくせに
資本主義のいいとこどりで
「経済成長」するとか…。

よくもまあこれだけちゃっかり
成果だけは掠め取るのが 
上手な方々ばかりでそういう遺伝子が
ぎゅーっと煮詰まって
できているんですよね きっと。
 
 

「光復」ってやっぱり豚がよかったのね

 
政府のやり方も 日本は
まず猶予の期間を与えて 
国籍の選択を台湾の人に任せたのに 

中華民国は鶴の一声で否応なく
全員が中華人民であると宣言。

さすがは共産主義国、有無をも
言わせぬ力の行使でご立派です。

まあ白人のまねっこだったけど 
一応日本は選択の自由を保障する国なの。

だけど共産主義者には 選択の自由とか
そんなもの微塵もないのです。

蒋介石は毛沢東と結託して 
大東亜戦争に
勝利したことになってるんで

この人も共産主義者で
いいと思うのですが
だめでしょうか?

だから日本色を払しょくしようと 
強引なやり方しかできなかったんですよ。

どんな体制の国であろうとも 
台湾にとって本省は祖国なので 
祖国に戻れてよかったのではないですかね。

そのわりには「光復」した初期には
衝突もあったみたいですよねえ…。

不思議だなあ… 日清戦争が終わって
日本が統治を始めた頃も
反抗にあい 結構手を焼いたと
聞いていますけれど 

本来の祖国に戻れたのに 何がどう不満で
衝突したんでしょうねえ?(すっとぼけ)

憤懣やるかたないのは
日本の方ですよ、
一生懸命 共産主義と闘っていたのに。

中華民国が戦勝国なのはいいとしても 
どうして八路軍なんかに負けるかな。

もう少し踏ん張って共産化を防ぐ
方法はなかったんですかねえ。

とはいえ結局は中国人同士で
結託しちゃってたんだから 無理か。

ただ台湾の人たちには 
日本の統治時代の
インフラなどを今も大切に
使ってくれていて 
とてもありがたくうれしく思います。

また先の東日本大震災の時には 
驚くほどたくさんの義捐金を
送って下さって
心から感謝しております。

いろいろあって日本は今のところ 
中華民国を国として
承認できていませんが

何時の日か 正式な国交が
樹立できるといいですね。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

スポンサードリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました