8月 6日78回目の広島平和記念日

広島原爆忌 忘れ得ぬ出来事

 
広島原爆忌
 
また今年もこの日が巡ってきました。

一瞬で広島の街が廃墟と化したあの日です。

もしかすると若い人の中には
日本が仕掛けた戦争だから
終わらせるために原爆を落とされたのだ…

といった考えや思いがあるかもしれません、
戦後生まれがほとんどになりましたからね。

であるとしたら それはGHQの
施した勝者による戦後教育が
大成功を収めたということになるでしょう。

実際米国では今でも 上記のように教えて
原爆の使用を正当化しています。

日米開戦と絡めて教育することで
なかばお仕置きのような感覚が
混ざっているように感じることがあります。
 

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最終兵器の使用は正当化できることか?

 
「勝者が書いた歴史」という原則があるとしても
やはり自分たちのしたことを正当化せずには
いられないし そういうものだとも 思います。

自分たちの側に正義があったことにしないと
極めて都合が悪いですからね。

そのまま敗戦国にも お前らが
悪かったんだからなと徹底して教育しました。

これに乗っかり尻尾を振った日本人も多くいて
自国のやり方が悪かったなどと教え続けて
今日にまで至るのは 日本だけだと思います。

どのような考え方があってもいいですが
自国を全否定するところから始まるような教育は
必要ないと思うのですが…。

なぜなら たった70年ほど前の戦争に
ただ1度負けただけであり それ以前も含めて
全否定されるいわれなどないからです。

日本を否定するような論調は間違いなく
「勝者が書いた歴史」の入れ知恵で

そうあってほしい別の他国も
相乗りしているだけのものです。

全否定されるべきは 最終兵器の
使用とその決定の方だと思うのですが

それを回避するためにも
「勝者が書いた歴史」を実践したんですよね。

原爆を投下した方もされた方も
とてもたくさんのことを学びました。

一瞬で何もかも焼き尽くす兵器の
本当の姿を見たからです。

広島の街にいた多くの民間人の犠牲のもと
学ばせてもらったのです。

原爆投下をした側は 現実の惨状を隠ぺいして
勝者の教育を本国でもやらかしているし

退役軍人の方々の反対もあって
何年経とうとも きちんとした原爆資料展などを
米国で開催できないでいますよね。

一般の米国市民に本当の惨状を
知られるのが怖いのではないでしょうか。

実態を知れば どんな詭弁をもってしても
原爆使用を正当化できる要素など
全くないことを軍はもちろん政府の方が
よくわかっているからでしょう。

大切なのは過ぎたことをぐだぐだ
問題にすることではありません。

そこから何を学び どのようにこれからに
生かしていくか…なのですが。

日本を叩き潰した後になって
中国や朝鮮半島まで共産主義の波が
押し寄せていることに気が付いた米国は

自分の傘下に日本を入れることで
東アジアが真っ赤っかになるのを
何とか防ぐことができました。

しかし二大勢力が直接にらみ合うことになり
共産国に核兵器を持たせ 結果的に

人類は両陣営合わせて 地球を丸ごと
何回も吹き飛ばせるほどの
核兵器を持つことになったのです。

核を持つことで 核の抑止力になると
いわれる綱引きが続いた結果ですね。

広島の犠牲が 何ら意に介されることなく
反対に恐ろしく数が増えちまいましたよ。

どうみても学び方が間違っているとしか
思えない展開です。

だから「実際に使ってみたかった」んだろうと
言われちゃうんですよね。
 
 

最終兵器の使用が正当性を持つなら

 
核の威力がわかったのなら 戦後すぐに
共産国にも使えばよかったのに。(こらっ)

当時のソ連だって盛んに研究はしていただろうけど
まだ実用段階ではなかったみたいだし

中国はほぼ無政府状態だったから 芽のうちに
摘んでおけば 世界情勢が全然違うものに
なっていたと思うんだけど…。

まあ実際にマッカーサーは朝鮮戦争にも
原爆を使いたかったみたいだけど
議会だかに反対されて実現しなかったんだよね。

早い段階で核を使っていれば 米国の若者の犠牲が
3万人を超えるようなことにはならずに
済んだかもしれないと思うのだけれど…。

自国の若者より 共産主義者が
大事だったのだろうか?

うへえ 今気がつきました
私、平和について全然考えていませんね。

ただ平和とは それを念仏みたいに
唱えるだけでは実現しません。

それを踏まえて 人の心に訴えていくことが
大切なのではないかと。

多くの時間が過ぎてしまいましたが
当時の惨状はもちろん
せっかく生き延びることができても

辛い症状に長年 苦しめられている
大勢の方々がいらっしゃることを
もっと世界に発信すること 原爆惨禍の現状を
知らせることが大切ですね。

平和記念式典の映像を見ていて思うことがあります。

あの日 原爆がさく裂し轟音と共に
熱波が全てを焼き尽くした瞬間

そこにあって普通に聞こえていた様々な音が
すべて消えて ものすごく
静かな時間があったのだろうな…と。

そしてその静寂は それまでとは
全く違う音に破られることに…。

崩れ落ちる建物や熱波で起きた火災の音
人々のうめき声や水を求める声など…。

式典は毎年 蝉しぐれでにぎやかですが
蝉の声はしなかったと・・・。合掌。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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