カレンダーは作るのも変えるのも大変

 
グレゴリオ暦
 
今日 2月24日は その昔
ジュリアス・シーザー
(ユリウス・カエサル)が作った

ユリウス暦からグレゴリオ暦に変わった日で 
1522年のことでした。

時の教皇グレゴリオ13世が 
昔から使われてきたユリウス暦に代わる

暦の制定をしたので 
グレゴリオ暦と呼ばれるようになりました。

今では ほぼ全世界で使われています。
いわゆる太陽暦のことですね。

長い時間の経過で
大きなズレが生じてしまい

使いにくくなったので
がんばって 作り直したのでしょう。

グレゴリオさんだけじゃないと
思うけど みんな 頭がいいのね。
 

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カレンダーは権力の象徴…

 
細かいことを言うと若干の違いはありますが
ユリウス暦とグレゴリオ暦の差は 
そんなに大きくはありません。

一日の長さも小数点以下第4位までの違いで 
今からざっくり2000年も前に 計算して
出された数字とは思えない正確さです。

それでも1600年も使い続けていたら
小数点以下の数字が積もり積もって
10日もずれてしまったのだそうです。

太陽暦は太陽の動きで春分 夏至 
秋分 冬至と分けています。

中でも基準になる春分点は 
3月21日ごろが普通なのですが 

1522年当時で 3月11日にまで
ずれてしまったのだそう。

こんなにずれてはやっぱり都合が悪いですよね。

それで暦を直そうということになったようです。

その中で閏年と閏日というルールを作って 
ずれが生じるのを防ぎ かつ永年にわたって
使える工夫をしたのが後発の知恵と言えます。

そうはいっても やはり暦を変えるというのは
簡単なことではありません。

しかも1500年にもわたって
使われ続けてきていましたからね。

教皇さんの鶴の一声で ぱっと
切り替えられたのはカトリック教徒の国。

ここは 当然みなさん素直に
従ったことでしょう。

ですが当時はすでに プロテスタントの
国もあった時代です。

これらの国々では カトリックの号令に
従いたくないという思惑が
あったみたいでした。 

そんなに嫌わなくてもいいような
気がするのですがねえ…。^^;

ただとても重要な「復活祭」の祭事の
日付などが カトリックの影響を
受けることが 嫌だったみたいですねえ。 

だからそんなに嫌うなってば。

ごちゃごちゃ言ったところで 
根っこが同じで枝分かれしただけでしょ。

カレンダーもずっと使ってきたんだし 
祭事も今さら止すわけにいかないんだから 
逆らったって仕方ないでしょうに…。 

宗教こじらせるとこれだから…。 

どんなに否定したところで 
日付が10日もずれちゃったら 

カレンダーとして使い難いんだから 
素直に直せばいいでしょうが 

面倒くさい人たちだねえ 本当に。

それでも渋々妥協案が示されたらしくて 
1753年までには

すべてのプロテスタントの国が 
グレゴリオ暦を導入したそうです。

で、正教会というまた別の一派があるのですが 
こちらはさらに導入が遅れ…というか 

この方々は今でもグレゴリオ暦は
使っていないんですって。(◎o◎)

ユリウス暦とグレゴリオ暦の月日が
修正されたものを使っているそうで
その名も「修正ユリウス暦」というそうです。

どえりゃあ石頭なのねと思ったら 
正教会ってのは ロシアがロシアになる前から

一部の地域で信仰されてきた
一派なんだそうですね。

大きな国というのは時間をかけて 
離合集散を繰り返した末に
形が定まるものですので。

ですからほとんど建国と同じくらい 
信仰の歴史があるということなのです。

それはプライドも矜持もお持ちでしょうから 
教皇さんがなんか言ったくらいで
ほいほい従ったりしないかもしれませんね。

考えてみるとロシアくらいですよねえ 
大航海時代以前から 国内に時差がある国は。

皇帝や正教会の偉い人がいる帝都と
辺境の地域では いつだって時差があるんで

カレンダーの日付がずれるくらい 
気にしなかったのかもしれませんよ。 

その「修正ユリウス暦」とやらは 
なんでも2800年までは

ふたつの暦のずれがないように
修正を加えられているのだそうです。

ふうん…あと780年くらいは
安心して使えるんだね。
 
 

かなり強引だった太陽暦の採用

 
一方 日本で太陰暦から太陽暦に変えたのは 
明治5年のことだそうです。

この明治の改暦では 突然 
暦を変えることにしたので

一般の人も巻き込んで 結構な
ドタバタが生じたようです。

それまでどおりの暦だって なんら
問題はなかったはずなのですが

次の年明治6年は閏年に当たり
1年が13か月あったんですと。\(◎o◎)/!

生まれたばかり明治政府は
財政がひっ迫していたので

強引にでも太陽暦にしちまえば
1か月分給料を払わなくて
済むんじゃね?と踏んだ模様。

そうきたか!
でもってそれを実行したんかい!

公布されたのが12月になってからだったので 
もう世間には翌年の暦が行き渡っていたのに 

急に変えるからね~と
言い出したもんだから もおたいへん!

いくら新政府のお達しでも 
突然そんなこと言われたってねえ…。

ここで後世の私たちは覚えて
おかなくてはいけないことが…。

数字の上では 明治は45年までありますから
45年あったと思うじゃないですか。

でもですよ 実際には明治5年と6年の間は
数日しかなかったのです。

だから明治時代は正確には44年ほど
しかなかったのではないでしょうかね?

太陽暦に合わせて変えたことだから 
いいっちゃあいいけど…

シーザーさんもグレゴリオさんも
びっくりな変更ですよね。(笑)

でもそういうことやっていいんかい?

みたいなことを平然とやってのけて かつ
反発を招くとか大混乱にも陥らず 

収まってしまうというのも
いかにも日本らしいなと思いますけど。

元号もそうだけどさ やっぱ面倒くさいから
皇紀に統一しちゃうの どうよ?
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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