今日は天神様こと菅原道真公が亡くなった日

 
道真忌
 
今日 2月25日は天神さまこと
菅原道真公が亡くなった日です。

903年といいますから享年は59 
今ならまだ若いと感じる年ですね。

菅家というのは学問を通じて 
天皇家に仕える家柄だったそうで
貴族としては中流だったようです。

でも道真公は神童の誉れも高く 
そのまましっかり勉強もしたので

若くして難しい試験に合格し 
文章博士(もんじょうはかせ)になりました。

本当は若くしてなれるような
官職ではなかったのですけれども

やっぱり道真公は 持っているモノの
レベルが違ったんでしょうね。

才能を素直に伸ばせる環境も
よかったのかもしれません。
 

スポンサードリンク

 

真面目に勉学と政道に励む

 
それから出世街道をまっしぐらに
突っ走るわけです。

もともと優れた頭脳の持ち主でしたけれども 
それに慢心することもなく 

さらにその頭脳に磨きをかけることを
忘れなかったんですね。

文系のみならず 武系の方も弓術など
かなり腕前だったとか。

中央・地方それぞれの政の場で 
その優れた頭脳を如何なく発揮した
公の功績は数えきれないほどあります。

私が道真公に感謝するのは
遣唐使に任命されながら 

これを丁重にお断りして さらには
遣唐使そのものを廃止することを建議し 
実現したことですね。

そのころの唐には もうすでに学ぶものは
なかったこと(唐は907年に滅亡) 

彼の国の情勢が悪化していたことなどを 
冷静かつ的確に判断しています。

優秀な人材だけでなく 莫大な金品を
国費で持たせて行きましたから

廃止することは ずいぶんと
倹約になったはずですね。

何よりも道真公のような優れた人物を
危険な目にあわせたり ご政道で

しっかりと仕事をしてもらう前に 
失ってしまうようなことにならなくて
本当によかったと思っています。

このおかげで国風文化が大きく
花開くわけですし。(←これは非常に大事)

一方で道真公を讒言で追い落とした
藤原時平あたりは 遣唐使とかで

ちゃっかり裏金や密貿易など 
何かしらの美味しい思いをしてたのに

あっさり止められちゃったから
面白くなかったのかもしれませんね。

いくら贈り物が普通だったからって 
何かよからぬことでもやらない限り 

あんなに隆盛を究められるはずが
ありませんよ 普通じゃないもの。 

こいつのせいで道真公は お気の毒な
最期を迎えることになります。

とても思慮深く誠実な人柄だったようなので 
さぞ気落ちされたことでしょうし 

何の落ち度もないのにハメられて左遷ですから 
その分憤りも大きかったでしょうね。

そもそも帝に対して忠節をつくしているのに 
その帝を排して自分の息子を

帝位につけようとか そんなこと
許されるわけないじゃないですか。

皇族と臣下では一緒にならないことなんか 
当時の人だったら誰でも知ってるはず。

ただ道真公は頭が良すぎたのか 
真面目すぎるきらいがあったみたいでしたし

あまり高いとはいえない家柄から 
右大臣にまで出世していますので

人から妬みを受けやすかったことは 
否めないようです。

宇多天皇は道真公を高く評価し 
お傍近くにおこうとされましたから

家柄ばかりよくても使えない連中からは 
妬まれてしまったのだと思います。

そういうやつほど 自分は
何の努力もしないで人のことばかり 
うらやむんだよね。

そんなだから出世もできないのは 
当然なんだけども それが分からない。

臣下にある者が帝の地位を狙うとか 
お手本にした大陸の国みたいなことを

言い出す方が 往々にして
そういうことを企んでいるものです。

ただ宇多上皇が醍醐天皇に譲位してもなお 
道真公を厚遇したことや

醍醐天皇ご自身にお子がなかったことなども
複雑に絡んでいるようで

道真公を陥れた奴らも 天皇のそういう
ウイークポイントを上手く突いて

讒言をかましたので 道真公の
申し開きを聞こうともしなかったんですね。

実際 この後藤原家はむちゃなことを
やらかしながら 巨大化していきましたから。
 
 

優れた頭脳も功績も努力の賜物

 
公が大宰府で亡くなって間もなく 
都で起こった様々なトラブルを

道真公の祟りにされちゃったけど 
それは公のような優秀な人を陥れた

謀に加担し 都から追放同然に
田舎へ叩き出しちゃったことに

少なからず後ろめたさを
感じていたからに違いないでしょう。

道真公を大宰府に追放してから 
4人の子供たちもそろぞれ流刑にされていて

いわゆる政敵は 本人だけでなく
親族まで徹底して排除したのですね。

当時の人々は呪詛で人が殺せるとか 
祟りや怨霊など本気で信じていましたから

祟りを鎮めるため 人々は熱心に
道真公をお祭りするようになりました。

日本にはたくさんの神さまがいらっしゃいますが 
その中には祟りなどを お鎮め頂くために
祀られている神さまも少なくないと思われます。

朝廷もあの時はごめんねということで 
最高官位を授けていますし

流刑にされていた子供たちも許されて 
都に戻って来たりしています。

当然ですよね もともと無実で
悪いことなんて何もしていないのですから。

今では学問の神さまとしてご利益を頂こうと
大勢の人々がお参りしています。

1100年以上も前の偉大な人物なので 
時間の経過だけでも すでに道真公の生涯は
神話になっていますけれども 

亡くなられた後は本当に神さまとして
お祭りされ 人々を見守って下さっています。

試験などに合格できるようお参りをする…
そうそう神頼みもいいですが 

やっぱり勉強は自分でやらなきゃだめですよ?

天神さまのご利益は努力することに
対してのものですから。

道真公は生前 都の官僚たちが
不正や汚職にまみれていることを
大変嘆かれていました。 

うそや不正はお嫌いでいらっしゃいます。

お勉強は自分のために自分で努力することで 
それを天神さまにお約束すること

それがお参りをする意味ですので 
きちんとお約束は守ってください。

そして願い事が叶いましたら 
お礼を申し上げに行きましょうね。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

スポンサードリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました