今日10月17日は ピアノの詩人ショパンが天に召された日

ショパン忌 ガラス窓

 
ショパン忌
 
今日10月17日 ピアノの詩人
ショパンが 静かに天に召されました。

傍にいて看取った友人で
彫刻家のクレサンジェによって

デスマスクと数々の名曲を生んだ
左手が型に取られたそうです。

まだ39歳だったんですけどねえ 
どうしてこうも天才は体が弱いのか…。

死因は肺結核とされているそうですが 
そうじゃないかもという
研究もあるそうです。 

でも残念ながら
死因がわかったところで
天才がよみがえるわけじゃあ
ありませんけども…。

あの小難しい曲を作るのですから 
自分だって上手に弾けたわけで
演奏家としても一流だったんですね。
 

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ピアノの詩人は自身も演奏家

 
今ある楽器はある程度
完成を見ているものですが 

ショパンが活躍していたころは 
ピアノもどんどん向上している
時期だったようで

彼自身作曲することで技法なども
開拓していったんでしょうね。

繊細な音の連なりが華麗というか流麗で 
何となく女性っぽいというか

どちらかというと たおやかな
曲風に感じるのですが 
弾く方は相当に大変なのだろうなと…。

私は楽器は全然扱えないので 
ただの想像なのですが。

あの音が本当に楽譜で
表現されているのか 
理解できないです。

でもみんながああいう風に弾くので 
きっとそうなんだろうなと
思っているだけという体たらくです。

どうやったらあの速さで 
指を動かせるのかも全くわかりません。

ひたすらのトレーニングと 
演奏者がピアノ大好き人間で かつ

偉大な才能の持ち主だ
ということだけはわかります。

私のように楽譜が読めない者から見ると 
あの謎の譜面を楽器を使って

音で再現する演奏者こそ 
最大の功労者かなと思うのです。

ショパンの曲は技巧的であるからこそ 
コンクールなどの課題に
選ばれるのでしょうかねえ。

華やかで流麗な旋律と
重厚さもある美しい和音… 

そう審査も聞くので 聞いていて
気分のいい曲がいいですよね。
(そこじゃないと思う)

この天才が生を受けた頃 
ポーランドはまだ
ワルシャワ公国だったのですねえ。

おや?よく見ると お父さんは
あらま16歳でフランスからポーランドに
移住して来たんですって! 
おフランス人ということなのね。

でも フレデリックさんは 
しっかりポーランドで生れております。

お母さんはポーランド貴族の
出らしいけれど 残念ながら
没落の憂き目にあい

他人の屋敷で侍女をしていて 
そこで二人は知り合ったようです。

7歳でポロネーズを作曲するとか 
小さなころから才能が爆発してますね。

それもそのはず お父さんは
フルートとヴァイオリンを 
お母さんはピアノが得意で

…というか お父さんが仕事として
フランス語を教えるので一家は学校の中に
住んでいたようなのですが 

寮の少年たち(欧州は寄宿制の学校が多い)に 
お母さんはピアノの指導をしていたみたい。
 
 

図らずも胎教になっていたのね

 
生れた時から 音楽に浸りながら
生活していたんですよ。

ピアノが弾けるようになったら
即作曲なんですねえ 天才さんたちは。

で、7歳のピアニストは演奏旅行を
するようになっていったそうで

かの神童モーツァルトなどと
比較されるようになったのだそうです。

フレデリックさんは 
モーツァルトとかバッハが
好きだったようですね。

そういわれてみると 
ショパンの作品たちも
モーツァルトのように
細かい音をたくさん
奏でる感じがします。

単なる素人の感想ですが 
オーケストレーションと
ピアノでは違いますけれど 

あの軽やかで華のある音は
イメージが重なる気がします。

小さな男の子が 小難しい曲を
すらすらと弾きこなしたら 
そりゃ注目されますわ。

11歳の時には会議のため
ポーランドに来ていた 
ロシアの皇帝アレクサンドル1世に
御前演奏をきめていますねえ。 

やっぱりモーツァルトの再来ですよ。

ワルシャワ音楽院に入ったのは
16歳で 主席の卒業は19歳ですか。
 
 

短い生涯を駆け抜けた天才

 
ちょうどフレデリックさんが卒業するころ 
一家はポーランドの肖像画家に肖像画を
描いてもらっているらしいのですが 

オリジナルは第二次大戦で失われて
残っているのはモノクロの
写真だけだそうです。

ショパン研究家でパリに
ショパン協会を設立した一人は 

その写真からフレデリックさんが
結核に罹っていると言っています。

偉大な作曲家は よくわからない
病状に悩まされ続けていたのですね。

それでも才能がその人を通して 
表に出て来たがっていたというか 

肉体的に辛い状態でも 
作曲への情熱として本人を
突き動かしていたいうか
芸術家の性(サガ)みたなものでしょうね。

持っている人にしかわからないというか 
才能があるからこそ 
生かされていたというべきか…。

とにかく作曲など何かを創作している時は 
体の不調や具合の悪さから
解放されていたのかもしれません。

体調が思わしくなく 
それ以上に人間関係も複雑奇怪だったら
なおさらのこと…。

でもフレデリックさんの最後の時は
わりと穏やかだったみたいです。

だけどもったいないですよね 
もっと生きていてくれたら 

素晴らしい曲をたくさん
残してくれたかもしれないのに。

ショパンの墓石はデスマスクを取った
クレサンジュによって彫刻されました。

ギリシャ神話に出てくる音楽の女神が
嘆き悲しんでいる姿です。

その早すぎる死と惜しまれる才能に 
献花が絶えることは無いそうです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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