江戸城は松の廊下で刃傷事件勃発!「赤穂事件」の日

 
赤穂事件
 
えっと すみません、
日付が1日遅れてしまいました。

この「赤穂事件」は 1701年
 3月14日に起きています。

赤穂藩主浅野内匠頭が 江戸城は松の廊下で 
吉良上野介に切り付けた事件ですね。

後にわんさと出てくる創作物と
区別するために 史実を取り上げる時は

「赤穂事件」とするのだそうで
(生意気にも)私もそれに合わせます。

創作物がたくさん出てくるということは
それだけ人々に広く知られていたと
いうことですし 

事件当時は関心も高かったのでしょうね。

江戸時代も半ばの 平和な時期に
起こった刃傷事件なだけに
注目が集まったのかもしれません。
 

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「赤穂事件」はどうして起こったのか?

 
江戸城中に勤務していた武士たちは 
刀を預けていて丸腰だったことは
みなさんご存知の通りです。

浅野内匠頭が持っていたのは 
脇差よりもまだ小さな儀礼用の刀でした。

そして現在に至っても 
その理由がわからないそうですが 

殿中にも関わらず 上役に当たる
吉良どのを切り付けてしまうのです。

年齢的にも若い方でしたし 
わりと短気な性格だったという
話もあるそうですが 

この時仰せつかっていたお役目の
「朝廷勅使の接待役」というのが
相当なストレスだったみたいです。

お公家さんの接待なんて 考えただけでも
窮屈な感じがしますねえ。

色々と小難しいというか 
聞きなれないような作法も

多かったと思いますし 初めて
見聞きするようなことであっても 
粗相は許されないし…。

ちょっと想像しただけでも 
胃がきゅーっとなりますわ。

本来ならそういう接待とかは上の方で 
やるべきことなんじゃないの?

自分たちも神経を使ってヤなもんだから 
回り番みたいにして外様大名に
押し付ければいいやとか 
やらかしたんでしょうね。 

そしてこの事件は 4日間ほどあった
お役目の 最終日だったそうで ストレスも
頂点に達していたのかもしれません。

被害者の吉良どのにも 
強欲だの悪口(あっこう)だのという
証言があるので 

後世の創作で描かれているように
お役目の立場に乗じて
暗にわいろを要求したのに 

その意味を理解しなかった 
正直というか真っ直ぐな内匠頭に

わざとつらく当たったり 
悪しざまに罵ったりした
のかもしれませんねえ。

自分の思い通りにならないからって 
いじめるとか すごく自己中な上に 

立場を利用しているので 今でいう
パワハラそのものですよね 告訴もんだわ。

とにかく 何かこうど~うにも
堪忍ならないことが直前にあって 

殿中とか 自分の立場とか
全部ぶっ飛んで 突発的に
やらかしちまったと。

取り押さえらた後 一応 
事情聴取をされたのですが 

一切の申し開きをしなかったらしくて 
刃傷の理由を明らかにしないまま
切腹してしまいました。

ただ本気で殺そうと思ったのなら
「切り付ける」よりも「刺す」方がよほど
実効性があるというか 

飾りみたいな刀でも
可能だったはずという意見もあります。 

実際、後に起きた別の刃傷事件では
「刺す」ことできっちり相手を
仕留めているそうです。
 
 

謎と不公平な裁定が…

 
計画性はもちろん 明確な殺意も感じられず 
中途半端というか単に感情的な行動なので

何かにムカついて それまで
抑えていたナニカが
一気に爆発してしまった感じです。

本来なら喧嘩両成敗になるところでしたが 
吉良どのは抜刀していなかったし 

逃げようとしたところを 執拗に複数回
切り付けられていることなどから 
何のお咎めもなかったようです。

えええ~? そりゃあびっくりしたかも
しれないけど ただの腰抜けじゃん。

また時の将軍綱吉の親戚筋でもあったし 
そこら辺も内匠頭には分が悪かったのね。

どこをどう考えても殿中だったのが 
一番まずかったとしか…。

どこか他の場所だったら 一刀のもとに
ばっさりと…カタをつけられたのに。

おっといけない 史実に則ってと
思っていたのに 
つい妄想に走ってしまった。

でも半ば常識化した禁を破ったとはいえ 
片や切腹の上 家名断絶なのに 

片やお咎めなしというのは いささか
バランスを欠いた裁定のような
気がしますねえ。

当時の人々も釈然としないものを
感じていたので

後の赤穂浪士たちの行動に
拍手喝さいを送り

長く語り継がれることに
なったのでしょう。

封建制の時代だというのに 
幕府にとってこんなに
体裁のよくないことも

庶民に知られてしまっているし
これでよかったんでしょうかねえ? 

もしかして驚くほど情報公開されていたとか
それはそれですごいですけども。

そしてすぐにお芝居などに書き起こされて
大人気を博し 今に至っているわけです。

ただ終戦直後の7年ほどは
白人に占領されており 
その意向が強く働いていました。

彼らには「支配と隷属」から
「大流血の権利奪還」という
歴史くらいしかないでしょうから

「君主の無念を晴らす」なんて心根が
全く理解できないことなので 禁止しました。

残酷だとか寝ぼけたことを言ってたようですが
ただ単に 征服した民族の伝統を禁じて
悦に入りたかっただけでしょうね 

大した意味はないと思います。

ですが簡単に人の気持ちが変わったり 
よそ者が差し出口をしたくらいでは 

長い歴史に裏打ちされた文化が
消え去るようなことは 
起こり得ないのですよ。

彼らが去るのを待っていたかのように 
しっかり完全復活してますからね。

おっと またもや脱線。

不公平な裁定だったからこそ 
そして一切の申し開きをせずに

その裁定を受け入れた君主の
気持ちを無念と受け止めた元家来衆。

それぞれの立場で 物語性が大きくて
大衆には受けるでしょうね。

もしかして最初に浅野内匠頭が
切り付けた理由をべらべらしゃべっていたら
全然違う話になっていたかも…。

ともあれ この「赤穂事件」と呼ばれる
刃傷沙汰からすべてが始まっているのです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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