今日は初の女性天皇 推古天皇が崩御された日

 
推古天皇
 
今日 3月 7日は 条件付きながら
日本で最初の女性天皇 推古天皇が
崩御された日とされています。 

西暦でいうと628年のことでした。

もともと皇女として生まれ、諸般の事情から
天皇の位につかれたお方なので 

しっかりと記録が残っていますが 
当時としてはたいへんな長寿と言える
75年の波乱に満ちた生涯を全うされました。

偶然にもこの5日前の 3月 2日には
日食が観測されています。

そしてこれは記録に残る日本最古の
日食の記述なんだそうです。

この時の日食は日本の南東沖を
月が通過したようで 実際に当時の

都だった飛鳥京では 太陽の一部分が
欠けて見える部分日食だったようです。
 

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数日前に起きた天文現象

 
推古天皇といえば セットで覚えた方も
いらっしゃるでしょうか…?

「摂政」という役職名や それが
聖徳太子だったということを…。

残念ながら この時聖徳太子は 
もうすでに亡くなっておいでなので 
この日食はご覧になっていないのですが…。

こういうのを見るとあらためて
文字を持たなかったことが
本当に残念でなりませんけれども 

これ以降はいろいろなものを
こまめに記録しまくり 

大切な文物を残しまくってきたので
プラスマイナスゼロということで。

昔の人は太陽がどんどん黒く欠けていき 
昼間なのに暗くなったりしたら
さぞや驚いたことでしょうね。

太古から天文観測などを通して 
時節を読むことができた者が人々を導き 

やがて農耕など自然の摂理を取り込んだ 
食料確保の方策を編み出しました。

世界のあちらこちらで古くから 
様々に考案されてきた暦は まさに

そのために整備され
収斂されてきた知恵の塊です。

でもそうだとすると弥生時代に 
稲作を始めたとされる日本なら

文字の代わりになるものが
あったと思えるのですが…

今の私たちにわからないだけで 
きっと何かあったのでしょうね。

暦を始めとする農事関係の資料や情報を 
整備・管理することや 

広く人々に知らしめたり 指導することが 
政の始まりだったのではないかなあ…と 
想像したりするのです。

少なくとも日本では みんなで
手を貸しあって 収穫量を高めれば

みんなに食料が行き渡るし それは安心して
暮らせることを意味しますから。
 
 

推古天皇は どんな方だった?

 
さて推古天皇に話を戻しますが 
なんでも大変おきれいな方だったとか。

しかも聡明で つまり才色兼備の
皇女様でいらしたのです。

普通はどれかひとつでも持っていたら
満足するものですがねえ…。

当時は天皇といえども 後ろ盾というか
豪族たちの力関係が
かなりモノを言った時代でしたので

有力者に対しても 上手にあしらい
かつ決して天皇の権威を

落とすようなまねもせず 
大変賢く立ち回ったようです。

優れていたからこそ聖徳太子のような
人物を選び 摂政としたのでしょうし

推古天皇の功績は「記紀」に
しっかり書かれています。

人生が長かったのでその分 
近しい人たちとの別れも多かったでしょう。

夫である敏達天皇に先立たれてしまいましたし 
今度即位するのは僕でしょう~?と

言い張る先帝の皇子が物部氏と
手を組んでやらかしたりしました。

結局 用明天皇(聖徳太子の父君)が
約2年間ほど帝位に就かれて後 
病で崩御されてしまいました。

そしてまたもや先のやらかし皇子が
ぐだぐだ始めたので 
馬子さんが成敗しちゃったの。

帝位を空けるわけにはいかないので 
先々帝の皇太后でいらした推古さんが詔で 

崇峻天皇を推挙して
(↑この時は別のお名前でした。)
帝位につけたのだそうです。

やっと静まったと思ったのに馬子さんてば 
自分の孫なのに暗殺させてしまうのです。

ちょっとややこしくて
なんて恐ろしい展開なのでしょうか。

この時まだ皇太后の立場で ご自分の息子で
竹田皇子の即位を望まれていたのですが 

馬子さんの要請もあり 中継ぎとして
自らが即位され推古天皇となったのです。

ところが残念なことに竹田皇子は 
まもなく亡くなってしまいます。

そんなわけで推古天皇は甥にあたる
聖徳太子を「皇太子」として「摂政」に任じ
実際の政務にあたってもらいました。

二人の二人三脚で 大変な難局を
乗り切ったという感じでしょうか。

いい仕事をするには 
いい仲間が要るものですし 

双方がきちんと役割を果たす 責任感や信頼 
真摯さといったものも必要ですね。

数々の荒波を乗り越えて
天皇としての責務を果たし

堂々と75年の生涯を全うした姿は
たいへん立派だと思います。

これに先立つ6年ほど前に 頼りにしていた
聖徳太子が先立っていきました。

20歳も若かかったのに どんなにか
気落ちしたことでしょうねえ。

中継ぎのはずでしたが 傑出した人材が
揃ったおかげで良き御世だったのでは…?

下手に俺が~俺が~とでしゃばるような奴が
政治をやっても 上手く行くかどうか

上手にさばけるのかどうか 
知れたものではありませんから。

当時では天変地異と
受け止められたであろう日食を

人生の最終盤にご覧になって
もしかしたらショックを
受けたかもしれませんねえ。

いや昔で人の上に立ったような方は
肝が据わっているので ご本人はともかく

周りの者たちの方が不吉の前兆だと
うろたえて じたばたしたかな。

朝廷に仕えた高僧たちが護摩壇みたいのに 
火を焚いて祈りを捧げたりとか…。 

今となっては 古えのありし日の様子を
ただ妄想するのみ…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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