今日は第一次世界大戦のきっかけ「サラエボ事件」が起きた日

サラエボ事件 ガラス窓

 
サラエボ事件
 
今日は第一次世界大戦勃発のきっかけになった
「サラエボ事件」が起きた日です。

1914年 6月28日のことでした。

当時 この地はオーストリア=
ハンガリー帝国といって

二つの帝国が二重に治めていた場所で
さらにセルビア王国でもありました。

この状況をどのように理解すればいいのか 
正直よくわかりません。

1908年にはオーストリアに
正式に併合されていたそうですが

これに住民の多くは反発していて 
セルビアをはじめ他の南スラブ諸国の方へ
統合されることを望んでいたそうです。

民族的に近い人たちの方へ 
まとまりたかったんでしょうね。
 

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どうしてよその王族に危害を加えるかな

 
それまでの長い歴史の積み重ねで 
民族が分断されたりくっついたりと

モザイク模様のようになってしまったのでしょう。

隣の家の境界がどうのとか そういう
レベルの話ではありませんからね。

まあ支配者たちの都合で勝手に
国境線を引いたせいで

現地の住民が迷惑をこうむるのは 
欧州だけに限りませんけれど。

白人たちがやらかしたアフリカでも 
部族や民族の分断を招くなどして

それが後の紛争にまで影を
落としているのですから。
ま、それはおいといて。

この事件で暗殺されたのは
この帝国の皇位継承者の夫妻で

至近距離からピストルで撃たれて
ほぼ即死の状態だったそうです。

どうやらオーストリア政府にも
セルビア政府にも 不穏分子の情報が
寄せられていたらしいのですが 
相当ずさんな対応だったみたいです。

というか真剣に警備しようと
してなかったんでないの?

犯人たちはすぐに取り押さえられるなど 
逮捕されていますが 取り調べで

そのうちの一人が武器などは 
セルビア政府から支給されたとか

言っちゃってるんですけども… 
そっ…それって・・?

怒ったオーストリア政府は
セルビア政府に対して
最後通牒を突きつけました。

48時間以内に無条件で
受け入れなければ宣戦布告するからねと…。

セルビア政府は慌てて10ヶ条のうち2つを
除いて受け入れたのですが

無条件受諾しろって言っただろうがあ!と 
宣戦布告されちゃうのです。

この「サラエボ事件」から
およそひと月後のことでした。

そして複雑な同盟や敵対関係のおかげで 
欧州の国々が次々と戦争へと
巻き込まれて行くことになります。

もお どことどこが戦ってて 
どことどこが味方なのか わけわからん。

何となくぐだぐだ具合がまるで
「応仁の乱」みたいだわあ。

大国や時の支配者の都合で
翻弄されてきたとはいえ 

とくに迫害されるとか 
皇太子夫妻を暗殺してまで 

状況を変えようとしなければならないほど
市民感情が切迫したものだったのでしょうか?

セルビア政府が一枚かんでいたようなので 
警備に手心を加えるなどして

そちらの方面からも暗殺を支援したと取られても 
仕方のない状況ではありますが。

結果的に自分たち全員が戦争に駆り出され 
祖国が戦場になるという誰も望まなかったで
あろう状況に陥ってしまったわけですけれども。

今もって無辜の人を巻き込む破壊活動に 
精を出す連中がいるようですが

破壊活動では何も変わらないということが
学習できないのでしょうかねえ。
 
 

仕方なく大日本帝国も参加しましたよ…

 
先に宣戦布告したオーストリア=ハンガリー帝国、
ドイツ帝国、オスマン帝国とブルガリア王国の
4つの国のことを「中央同盟国」っていうんですと。

で その他大勢…じゃなくて英、仏、露、伊、
ポルトガル、ベルギー、セルビア、ルーマニア、
ギリシャ、モンテネグロ、中華民国、米国、
そして大日本帝国も参戦したですよ、

こちら側を「連合国」といいます。

このころ欧州の列強はみんな
「植民地」を持っていましたから 

それこそその他大勢のほとんどの国が
戦闘状態に陥ったんですね。

機関銃が普及したので「塹壕戦」(ざんごうせん)といって 
人の背丈もある深さと長さの壕を掘って 

隠れながら前進する方法になったために
戦争が長期化したともいわれているそうです。

そして戦争が始まると新兵器の開発が
加速するものなんですね。

迫撃砲や毒ガス 火炎放射器や戦車 
戦闘機まで次々と開発されました。

当時大日本帝国は英国と
「日英同盟」というのを結んでいました。

なので英国が ねえ日本さんも派兵してくれない?と
要請してきたので 当時の内閣総理大臣 大隅重信は

御前会議や議会 軍の偉い人たちにも
相談しないで勝手に参戦を決めちゃったんですって。

ちょ…ちょっと…もしもし? 

そういう大事なことを独断で決めちゃうとか
やり過ぎじゃあないですか…? 

これは知らなかったので私も驚きました。

でも御前会議や議会に諮っていたら 
日本の会議は頂上から下々に至るまで

決定におっそろしく時間がかかるので 
参戦する前に戦争が終わっていたかも?(笑)

もし仮に第一次世界大戦への大日本帝国の
参戦がなかった または参戦しなかったら

そうでなくても列強は東洋人が嫌いで
何とかはじき出そうとしていたことを考えると

その後の世界情勢への日本の立場などにも
影響が出そうですよねえ…。

白人は状況に応じて態度が変わるので
付き合いにくい相手なんですよ、昔も今も。

裏切り者とか卑怯者呼ばわりするとか 
どんな難癖をつけられていたことか…。

「議会が紛糾して 参戦が間に合いませんでした…
遅れてごみんね。」というのは結構使えそうな
言い逃れだと思うんだけどなあ…。ぷぷぷ…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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