7月 5日に起きた「下山事件」を君は知っているか?

下山事件 障子窓

 
下山事件
 
今日 7月 5日は
「下山事件」が起こった日です。

どんな事件かご存知ですか?

それはまだ 日本がGHQの
占領下にあった頃の1949年のこと。

当時の国鉄総裁だった下山定則という人が
出勤途中で 行方不明となり 

翌朝 列車にひかれた
遺体となって発見されました。

国有企業のトップが
行方不明になっただけでも 

大変なのに亡くなっていたとか 
どんなに大騒ぎだったことでしょう。

しかも続きがあります。 

というのもこの事件 自殺なのか
他殺なのか結論がでないまま 
時効を迎えてしまったのです。

遺体の損壊が激しく正確な死因を
特定できなかったそうですが

他殺説 自殺説 陰謀説と当時は
相当世間が注目したようです。
 

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戦後間もない時期の「未解決事件」

 
そりゃそうですとも、国鉄の総裁が
「不審死」を遂げたなんて しかも
天下のGHQの占領下で、ですよ? 

どんだけ治安が悪いんだか…
いったいどこの国のできごとですか ねえ?

社会的背景からみると 他殺または
陰謀説もなくはないと思うのですが

ご家族など近しい人らの証言では 
自殺説が有力なのでは…と。

もう少し大きな背景として 
当時GHQは自分たちで

日本をぶっ壊したくせに 日本が何と
戦っていたか知らなかったんですよ。

大日本帝国は軍部がちょっとアレでしたが 
迫りくる「赤化」の脅威と戦っていたんです 
つまり共産化の波が押し寄せていたのですね。

終戦直後に起きた中国、朝鮮半島の情勢から 
ようやくそのことに気付いたGHQは

日本の赤化を阻止するべく 
経済の立て直しが急務になりました。

あんたたちが壊したんでしょうよ、
有り余る米国の国費とか 
がんがん注ぎ込めばよかったのに。ふん。

それなのにこいつらのやったことといったら 
財政引き締めのためとかいって 国営企業や
公務員に対して大量の人員整理を命じたのです。

経済方面は素人集団だったのですかあ 
ああ?GHQさんよ。

従業員の数が多いところには だいたい
労働組合があったでしょうから 

その力を封じるねらいも
あったのかもしれませんけれども。

でも組織に染まった人たちを 
無駄に野に放たない方がいいですよ、

あらぬ考え方が 拡散する
原因になりますからね。

失業者を増やす行為は 
あまり賢いやり方とは(素人でも)
思えないのですがねえ…。

他にやりようは無かったんでしょうかねえ 
えらくて賢い白人サマなのに。

幸い日本人は「労働」に対して 
共産主義を生み出した
白人たちとは違う感覚と

別の社会背景や歴史を
持っていましたから 全部赤くなる
とかいうことはなかったですが。

ま、白人どもと同じ感覚じゃあない
ということだけでも うれしいですわ。 

そんなわけで国鉄も人員整理を
迫られていたのだそうで 

トップである下山総裁は かなり精神的に
追い詰められていたらしいのです。

きっと日本人らしい真面目な
お人柄の方だったのでしょうね。

状況的には 下山さんが自ら命を絶った
感じが濃厚なのですけれども

当時の国鉄職員は
「鉄道マンが鉄道で自殺しない」
という矜持をもっていたそうです。 

そう言われると その点については 
なるほどそうかもしれないと思いました。

鉄道にお勤めの人って 鉄道が好きで
仕方ない人ばかりでしょうから

そんな大好きで大切な鉄道で
自分の命を絶つなんてことは 
できないのではと…。

でも立場上 たくさんの人を仲間を 
彼らの大好きな鉄道から引き離すこと 

人員整理を断行しなくてはならないことに対して 
武士のような責任の取り方を 
あるいはしたのかもしれません。

ただもしも覚悟の自殺であれば 
遺書のひとつも残すのではないでしょうか。

それとやっぱりそういう人なら尚更 
鉄道で命を絶つようなことはしないかな…。
 
 

辛い立場での自殺か?陰謀か?暗殺か?

 
妄想が炸裂してしまうのですが 

私としては亡くなる直前に
「行方がわからなくなった」
というのが 気に掛かるのですよね。

大きな組織はトップが誰であっても 
人員整理などの決定事項が変わることは

まずありませんし 実際前日の4日には
すでに数万人単位のリストラが
敢行されていたのですから。 

何らかの理由で下山総裁にお元気で
いられては都合が悪い何者かがいたとしたら…?

もしかして人員整理の人選に手心を
加えろとか圧力をかけていて

それに屈しなかったので
拉致・監禁の上 事故に見せかけて
殺害された…とか?

「行方不明」になったのは
「拉致」されたのではないのかなあ…と。

当時は終戦間もなくで 人の気持ちも
敗戦で落ち込み 混乱していました。

そういう時はろくでもない思想に
取りつかれ易いし 実際そういう
奴らが暗躍してました。

自分たちの目的のためには手段を択ばず 
このテのやり口が常套手段の人たちが 
日本人のような顔をして 普通にいましたからね。

たぶん…ですが 米軍の関与はない
気がするんですよ、

どんなことだって有無をも言わせず
押し付ければいい 
そういう立場だったから 
裏から手を回す必要はないので…。

下山総裁に良く似た人物の
目撃証言もあるのですが

出勤途中で公用車を降りた後に
目撃されている人物と いなくなったと
騒ぎになっていたころに目撃された人物が

本当に下山さんだったのか 
同一人物だったのか???

当時調べた人たちでさえ 
確たる証拠を集められませんからねえ…。

司法解剖を担当した先生も 轢断が
生前だったのか死後なのかで対立したとか…

現場にはあまり血痕が残って
いなかったといいますし

着衣には
謎の油の付着があったとか…。

状況証拠ばかりですが 
頭の中が適度にぐちゃついております。

行方不明になった当日は 重要な会議の
予定があったそうで ひょっとして

その会議に出席させたくなかったとか 
そんなことだったりして…? 

決定事項の変更は影響しないけれど 
これから決まることへの影響力ならあると思う。

下山総裁を轢いた列車は真夜中に
運行される貨物列車だったようです。

当夜は電気が不足していて暗かったため 
機関車は総裁を轢いたことに気付きませんでした。

運転士さんは後にストレス性の
胃炎で亡くなってしまいました。

何ともお気の毒なことです。

何も明らかにならないまま
幕引きをされてしまい

「未解決事件」になりましたが
もしかしたら それで良かったのかも…?
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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