今日は名高い「桶狭間の合戦」があった日

 
桶狭間の合戦
 
今日は 織田信長さんが 一躍
名を上げることになった
「桶狭間の合戦」があった日です。

昔のことなのに 時系列で
合戦の様子が記録に残っていることに
少々驚いている私がおります。

いったい誰が記録したんだ?なんて言うと 
戦国知らなすぎと言われそう。

日本の多くの合戦は 
ちゃんと記録係がいたそうですね。

誰と誰が切り結んだとか 
首をあげたとか そういうことが

恩賞や戦死の場合 残された家族に対する
補償などに直結するので
記録がとても大切になってくるのですって。

生きて戻った場合も 受けた傷の
大きさとかでも恩賞が違ったみたいで

戦に出るということは 命がけの
「仕事」だったんですね。

鉄砲みたいに野蛮で危険な武器が伝わって
実戦配備された後でも 派手で目立つ

甲冑を身に着けたのは それが誰なのか
遠くからでもわかるようにしていたのかなあと。
 

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記録と記憶と歴史に残る戦い

 
そういうものにお金をかけられない
足軽とか雑兵といわれる人たちは

敵・味方がわかるように背中に
家紋入りの旗を立てていたりしますよね。 

まあそういう係だったのかもしれませんけど。

あと 甲冑などの色を揃えて 
味方の紅組さんとか黒組さんとか

布陣の形を考え 作戦をたてるために
やったようです。

日本人ってつくづく記録魔ですねえ。(笑)

まあそのおかげで数百年も経った
私たちにも合戦の様子がよくわかるので
よくぞ残してくれましたという感じですが。

さて「桶狭間の合戦」ですが 
織田側の奇襲攻撃だったとされています。

今川勢は2万を超える
大軍勢だったそうですが 

対する織田勢は
5、6000ほどだったそうです。

当日の午後1時ごろ 視界を遮るほどの
土砂降りの豪雨になったそう。

石が混ざってと書かれているそうなので 
もしかして雹が降ったかも。

兜とかかぶっているから
大丈夫だったとは思いますけれど 

雹って危ないので外へ出るとか 
やめておいた方がいいです。

当たり所が悪ければ それだけで
命を落とすことにもなりかねません。

良い子は絶対に真似をしないように。

そんな大雨の中でも織田勢はひるむことなく 
むしろこれに乗じる形で進軍して 
今川勢に奇襲をかけたんですと。

総大将めがけて 一気に突っ込んで
いったという方があってるかも。

なんせ平安貴族みたいに輿(こし)に乗って
戦場に来てるから目立つ 目立つ。

でもね この時代 輿に乗るとか
誰でもできることではなかったそうで 

一説には 足利将軍から
特別に許可をもらっていたとか…。

義元さんは正室腹だったけど
五男坊なもんで 小さい子供のうちに

都のお寺に預けられてしまったそうで 
すごーく熱心にお勉強したんだそうですよ。

お兄さんたちが相次いで亡くなって 
今川家の家督が転がり込んできたけど

その時だって一悶着あって 義元さんが
それを鎮圧しているんですって。

今川家の領地も過去最大に広げているし 
内政も合理的だったので 駿府は
とてもにぎやかで豊かな街になりました。

武田や北条といった手強い相手とも 
上手に渡り合い 婚姻の形をとって

同盟関係を組むとか 領主として
大変優れていたんですと。

自分が子供時代を過ごした都のイメージを 
自分の領内でも再現して 屋敷の佇まいなども
京風だったのかもしれませんね。

私ってば 何も知らずに義元さんは
ただの公家かぶれだと思ってました。
ごめんなさいね 義元さん。
 
 

数の劣勢を 奇策で覆す…

 
豪雨の中 突然突っ込んで来られたから 
足場も悪いし人が多くて
対応しきれなったのかもしれませんね。

輿って人が担いで しずしずと
進むことを前提に作られているから

整えられた道とかでないと 
すごく動きづらくて大変だと思います。

敵襲でも放り出して逃げるわけにいかないし。

一方の織田勢にしても わずかな人数で
敵の真っただ中を一直線に
突っ込んでいくなんて怖い戦法ですよねえ。

雨ニモ負ケズ 奇襲したのが功を奏したのか 
意外なほどあっけなく 総大将の
首をあげることができちゃったのよね。

これによって 関東の勢力図が
大きく塗り替えられることになります。

豪雨の進軍なんて あまり人がやらないことを 
あえて実行したから 首尾よく
ことが運んだのかもしれません。

後世の私たちだからわかることではありますが 
こういう歴史的な転換というのは 

本当にさらっと何事もないような
顔で現れるんですね。

後の「本能寺の変」もそうですけれど 
どうしてあの時あの人がそうなった?と

不思議に思うほど当たり前のような
様子で起こるのです。

とはいえ名のある戦国武将が現役存命か 
その時すでにこの世にいないかでは
雲泥の差が生じたことでしょう。

まして今川の領地を最大にした
功績の大きな義元さんが あまりにも
あっさりと首を取られてしまったことは 

今川の家臣たちにも激震が走ったでしょうし
同盟関係にも大きな亀裂が
生じたに違いないのです。

大きなクマさんに猟犬が飛びかかったら 
なぜかクマさんが気絶しちゃったみたいな

普段は起こりそうもないことが起こっている…
そういう時は歴史の歯車がガチッとかみ合い 
次のステップへ移る時なのかもしれません。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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