奈良の大仏さまの頭が落下してしまいました!「大仏修理」

 
大仏修理
 
855年の今日 5月23日に 
以前から傷や傾きが生じていた

奈良の大仏さまの頭が 
とれて落ちてしまうという
事故が起こりました。

開眼法要から数十年が過ぎていましたし 
実はこの日より少し前の 5月10日と
11日に続けて地震があったそうです。

傷みが進んでいたところへ
規模はわかりませんけれど 

揺れが2連発で襲ってきたため 
重たい頭が落ちてしまったのでしょう。

当時の人々も驚いたと思いますが 
こんなに大きくて重たいものを
どうやって直したのでしょうね。

どうやらこの修理をしたことで
名を遺した人物がいるようです。
 

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みなさん さぞ驚いたことでしょう

 
この記録は「日本三代実録」
というものに残っていたのですが
誰が書いたかご存知ですか? 

あの菅原道真公ですよ。

私の大好きな在原業平さんも
びしばし現役でプレイボーイしてました。

で 修理をした人ですけれども
斎部文山(いんべのふみやま)といって
工芸に優れていた人だそうです。

もちろんグループを組んで
やったのでしょうけれど 陶芸とか

木を加工するのに使う
「ろくろ」ってありますよね? 

回転させる動力はいろいろですが 
あの回して使うやつです。

その「ろくろ」と長いはしごを使って 
落ちてしまった頭部を元のように戻し 

出来た当時のようにきれいに
修理したのだそうです。

持ち上げるどころか 動かすのでさえ
大変だと思うのですが…
いったいどうやったんでしょうねえ。

当時に「ろくろ」と呼ばれたものが 
今の私たちが知っているものと

同じ形をしていたり 
用途が一緒かどうかはわかりません。

文字だけで残っている事柄って 
想像するしかないんですよね。

仮に今ある「ろくろ」というものと
同じだとしても その「ろくろ」を

どんな風に使ったのか 
ぜ~んぜんわかんないです。

強引に想像すると 丸くて回して
使う物だから…イメージできるのは
滑車くらいですけど…

それにしたって上手く使うには
一定の条件が必要だったような…?

う~んと…中学くらいかな 
理科でやりましたよね、滑車の理屈。

支点 力点 作用点というやつ 
確か…滑車を複数使えば

比較的小さな力でも大きなものを
動かすことができたような…。

ただ大仏さまの頭の場合 
とてつもなく大きくて重いから

それを支えられるだけの
頑丈な天井や足場 そして

なによりも丈夫な縄というか
綱が必要になってきますけれども。

冷静に考えれば あの大きな頭を
丸ごと持ち上げるとかは

重機でもなければ無理なので 
おそらく小さく分解して 足場を組んで

上に持ち上げてから もう一度
組み立てる方法だったのではないかと。

「ろくろ」は小さく分解したものなら 
滑車のように使えたと思うし

小さくて軽いものなら 支える場所も
そんなに頑丈でなくても大丈夫だし

同時に幾つも使えるし…という訳で 
小さくして首のあたりから

少しずつ上に向かって 
組み上げていったのではないかなあと。

修復には6年という歳月が
かかっていまして 

私の妄想どおりかどうかは
わからないのですが 
とにかくちゃんと修復できました。

そして861年には
修復開眼法要もされてますから 
元に戻せたのです!
 
 

造るのもたいへんだけど 修理も…ねえ

 
当時はすべて人手で馬 牛なんかの
力しかなかったですけど すごいですね。

こうして蘇った大仏さまでしたが 
その後2度の戦乱に巻き込まれて 
創建当時の大仏殿は焼失してしまった上 
大仏さまもやけどを負いました。

最初の戦乱は1180年治承・寿永の乱の
時に火災に遭ったんですね。

以仁王と源頼政が平氏を倒そうと
挙兵したのですが わりとあっさり
負けてしまって そのあおりで
大仏さまはえらい目に遭われたんですよ。

すぐに都の人たちが
再建に乗り出してくれました。 

2度目は1567年の室町時代でしたが 
モロに東大寺の大仏殿の近くで 

罰当たりどもがチャンバラしたもんだから 
せっかく建て直されたのに 
また大仏殿が焼けてしまったのです。

しばらくの間 大仏さまは野ざらしに
なっていたという話も聞きました。

たぶんね そのまま戦国時代に
突入してしまったので 

誰も大仏さまのことを顧みる余裕が
なくなっていたんだと思いますよ。

そうして江戸時代になってようやく
大仏さまの修復と大仏殿が再建されました。 

創建当時からのあるのは 
ハスの花の台座とお体の一部に
なってしまいましたけど
今 私たちも見ることができるのです。

大仏殿の横幅は再建される度に 
小ぶりになっていって 今は創建当時に
建てられていた建物の3分の2の
幅なのだそうです。

それにしても大仏さまの頭が
落ちてしまうような 地震の揺れで 
しかも2連発だったのに

その揺れに大きな大きな大仏殿は 
しっかりと耐えたのですね。

さすがに木造建築なので
戦乱の炎には 太刀打ち
できませんでいたけれども 

このことは 当時でも建築の技術が 
優れていたことを示していると思います。

ずっと大仏殿と書いてきましたが 
大仏さまは東大寺のご本尊さまなので

正しくは金堂とお呼びしなくちゃ
いけないんですね。

そのお寺のご本尊さまが
安置されている建物を
金堂と呼ぶのです。

大仏さまに使われている材料ですが 
記録によって多少の差はあるものの 

およそ500トンもの銅が
使われているそうです。\(◎o◎)/

これだけの量の銅をどこから
調達したのと思っていたら

実は今の山口県にあった銅山から
産出したものだったようです。

思っていたよりも日本には
鉱脈があったんですね。

もしかしたら大仏さまは
桁外れに大きかったので 

長い時間を超えて残ることが
できたのかもしれませんね。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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