8月14日の「宮城事件」つい最近知りました

宮城事件 忘れ得ぬ出来事

 
宮城事件
 
本当に恥ずかしい限りですけれども 
つい最近知りました。

しかも宮城(きゅうじょう)を
「みやぎ」だと思っていて 先の戦争の時
宮城で何かあったの?と 
一層謎を深めていたという…。

すごいですよね、時系列で克明な
記録が残っていたりして 記録なのに
何だか映画の脚本みたいに思えるほどで 

ざっと目を通しただけですが
どきどきします。(動悸じゃないですよ)

映画の公開でこの事件のことを
知ったのですが 最初に映画化されたのは

1967年のことで もう56年も
前になるのですね。 

2015年の方の作品は 
戦後70年の節目の年に公開され 

いろいろな映画の賞を
数多く受賞していました。
 

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時は1945年の 8月14日…

 
1945年の 5月には空襲を受けて
お城は焼けてしまっていたのですね。

陛下の居城を空襲するとか 
本当に罰当たりどもなんだから。

陛下にはこの御文庫と呼ばれる
鉄筋コンクリート製の建物にお移り頂いて 

御前会議などは 御文庫の傍に掘られた
防空壕で行われていたのですね。

この御文庫は1トン爆弾にも
耐えられるような設計だったそうで
屋根の厚さだけで3mもあったそうです。\(◎o◎)/!

そんな頑丈な建物を あの時代
(1941年~42年)に
わずか1年と8ヶ月ほどで 

しかも秘密裏に 完成させちゃう
集中力というか それもすごいなあと…。 

そういえば長野県の松代にも
「大本営」を移せるようにと大規模な
地下壕が建設されていたそうですね。

東京を離れてでもゲリラ戦で 
徹底交戦の構えだったわけです。

当時は戦争中だったわけですし 
とりわけ軍人さんなら命を賭して戦うという
精神を叩き込まれているので 

降伏するなんてことは
許せないことだったのでしょう。

それぞれがそれぞれの立場で思うことは 
職務に忠実であればあるほど

先鋭化するというか 
鋭く対立することになったでしょうから

後の世に生まれ戦争を知らない
私なんかが あれこれいうのは
おこがましくて申し訳ないと思うのですが…。

上に立ってたくさんの命を
預かる人たちにとって 始まった戦争を

どのように終わらせるかは 
開戦よりも難しいことなんですね。

繰り返されきた戦いの歴史がそう言っています。

振り上げたこぶしの降ろし方もそうですが 
すでに交戦しているわけで

その幕引きこそが最も悩ましく
大きな決断が必要なのですね。

ただ…この時はすでに広島と長崎に
「新型爆弾」が投下された後でしたし

陛下は日本人が滅ぼされてしまうと
お考えになったかもしれませんね。

別に臆病風に吹かれたという意味ではなく 
白人がやってきたことを
単純に振り返っただけでも 
そのくらいはやりかねないという危惧です。

陛下が許可されなかった
「最終兵器」を2発も使ってきましたから

3発目 4発目も十分考えられる
ことだったと思われます。

そもそも敵地ですので どんなに
核物質で汚染されようが 人間が死のうが

米国には何ら影響がない(と思われていた)
ことなのですから。 

実際に命令ひとつで死地に向かう兵士の
立場の人たちはどんなことがあっても 

戦い抜くことを繰り返し訓練されているので
負けを認めるなど到底できない
相談だったでしょうし。
 
 

意志が正面衝突した事件

 
降伏の発表を阻止しようとした
首謀者たちは 一部の陸軍将校と
近衛師団の参謀だったということですが 

実は他の場所でも少々血の気の多い人たちが 
首相官邸を襲撃したり 宮様のお屋敷に
放火するなど 結構やらかしていたようです。

訓練を積んだ軍人さんだけでなく 
徹底抗戦を望んでいた人たちが
わりといたことがうかがえます。 

多くの同胞を失う 血を流すというのは
そういうことなのです。

情報統制がされていた時代だったとはいえ 
米国との圧倒的な物量の差とか

一般の人たちには本当に何も
知らされていなかったのですね。

都合の悪いことは一切知らせないのが
「大本営の発表」でしたっけ。

閣議決定されて 陛下のお声が
録音されることになったのは
14日の午後のこと

NHKのトップが呼び出されて
準備を命令されています。

すぐできるものだったんですねえ 
その点はすごいなと思いました。

でも 陛下が直々にお伝えになると聞いて 
クーデターを目論んでいたみなさん 
びびらなかったのかしら?
(ヘタレのお前と一緒にするな!と叱られそう)

有無を言わせないための
玉音放送決定だったと思うのですよ。

陛下がおっしゃることなら 
日本国民は素直に聞きますからね。

発表を阻止するためなら 
陛下にも襲い掛かる覚悟だったのかなあ?

まあ時期が時期なだけに 陛下が
みだりにお城の外へお出ましになる
ようなことはないだろうから 

そんな畏れ多いことまでは
考えていなかったでしょうね…

結果的にこの事件は失敗に終わっていますし。

戦争というものがもたらす破壊は 
思いもよらない所にまで波及するものですね。

この事件で重要なポジションにいたはずの
人物らが 明らかな違法行為を
働いたにも関わらず 罪に問われることもなく
生き延びていることは

まさに戦争による破壊以外の
何物でもないと思います。

まあこれも歴史が見せる不思議な
現象なのかもしれません。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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