8月15日78回目の終戦の日

終戦の日 忘れ得ぬ出来事

 
終戦の日
 
私は戦後教育を受けた者ですし 

これまでに何となくもやもやしたものを
抱えつつもメディアなどの言うことを 
そうなんだ…と思いながら受け入れてきました。

たまたま親族に戦争へ行った人が
いなかったこともあり

戦争とは学校で習ったこと 
何かある毎にメディアが騒ぐこと…
そんな印象で過ごしてきました。

本当にここ数年です ネットによって
自分の中に抱えていた もやもやしたものが

少しずつ晴れたり 輪郭を正しく
捉えられるようになって 

初めて心から「そうだったんだ!」と
思えるようになったのは。

物事は立場によって どんな様にでも
変わると思っていますので

右だの左だのといった
二元論など以ての外です。
 

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なぜ 何のための戦争だったのか

 
「負けた」という事実が どれだけ
当時の日本人の心を砕いたかよくわかります。

一生懸命であればあるほど 
望まない結果は受け入れ難く 失望感と
報われなかったことに対する
恨みが生まれるものです。

そこに付け込まれ すべて
大日本帝国が悪いことにされてしまいました。

巧みに操作・教育された結果 
長いこと正気に戻れませんでした。

2発の原爆も それ以前から続いていた
日本の主要都市への執拗な空爆も

徹底した破壊がもたらす失望感を 
大きくするためのものだったのでしょう。

「殲滅(徹底した破壊)」と「歴史は勝者が書く」

時間が経ち 歴史的な事実として
冷静に見つめられる世代となった今こそ

起こった事実から その裏にあったであろう
思惑も含めて もう一度
あの戦争を見直す必要があると思うのですが…。

ただ単に「勝者の書いた歴史」を
受け入れるだけでは 敗戦から
立ち上がったことにはならないと思うのです。

いえ「勝者の書いた歴史」にすら
気づいていない人が 日本には大勢います。

誰だって一つしかないのに その命を的に
戦わせるのが戦争ですから
「Go」の命令にはたいへん重いものがあります。

一方で そのたった一つの命をかけてでも 
守ろうとしたものがあったということも 
まぎれもない事実でしょう。

先人たちが何を守ろうとしたのか 
何のために散って行ったのか

後世の人間がきちんと知ることは
絶対に必要で 子孫なら尚更です。

この手の話をすると 戦争賛美だとか 
軍国主義を賛美するとか

戦争を検証することにさえ 
異を唱える向きがいるようですが 

検証され 表向きに伝わっていることとは
違うことが判明したり あるいは 

何かわかっては困ることでも 
あるのでしょうかねえ?

推理劇が好きな私は つい余計なことを
勘ぐってしまうのですが。(笑)

大いにあるので 必死にこれまでの
情報を繰り返しているのだろうとかえって
怪しい行動に見えちゃいますけどねえ。

私は個人や家族親族の単位で 
理解が進めばいいことだと思っています。

最小単位で起こり始めると 
自然と日本中に広がると思うから。
 
 

先人たちは 何のために命をかけたのか

 
「一人ひとりが思うことは 愛する人のためだけでいい」

これは「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」
という劇場版アニメの
主題曲の歌詞の一節です。
(創作と現実を一緒にするなと怒らないで)

人の行動には必ず理由があるものですが 
上記の歌詞のように
自分が大切に思うものを
守るためなら命もかける 命がけで守る 
こういう理由は 人間を最も強くするものなのです。

先人たちは愛するものを守るために 
命をかけて戦ってくれたのです。

だから物量で軽く済ませられるとタカを
くくっていた米国軍を心底ビビらせました。

負けたと言わせるまでに4年もかかったのです。

しかも大急ぎで作らせた「最終兵器」を使ったのは 
彼らのオツムでは日本兵の強さの意味が 
理解できなかったからではないでしょうか。 

人間は自分に理解できないものに 
恐怖を感じると言いますので 

まるでエイリアンみたいな 得体の知れない
怖いものに感じたのでは…?と思うのです。

だから1発じゃ足りなくて 
2発も投下しやがったんですよ。

で、あとはひたすら「勝者が書いた歴史」を
実行したということです。

負けてしまったので心持ちの正しさまで 
毀損されてしまいました。

武装している相手に対して「平和憲法」とやらを 
念仏みたいに唱えているだけでは 
何も起こらないし それどころかただの
「捕虜」や「人質」になるだけです。

戦争は国が起こす政治の形のひとつで 
相手のあることです。

日本だけ「平和憲法」を守っていても 
飛んでくるミサイルは跳ね返せませんよね?

おっとっと… 終戦の日に思いを巡らすとしても 
次はどう戦うかとか そういうことを
考える日ではなかったはずなのですが… 
どうも性格が過激で…。

あの戦争の後 日本は敵国だった米国と
安全保障条約を結び 結果的に彼の国の
核の傘下で 何事もなく過ごしてきました。

日本の牙や爪を削ぐために押し付けられた
「平和憲法」を 逆手に取って
実戦への参加を拒むこともできたと言えます。

しかしやはりできるだけ早く
自分で自分を守ることができる
方向に転換すべきかと。

そういう時代に来ているのでは
ないかと思うのです。

あまり知られていませんが 戦時下なら
戦時下での国際法というものがありますし

自衛隊のみなさんも その身分や行動を
法によって守ってやればいいのです。

人間を戦闘に巻き込みたくなければ 
予算を増やしてロボットを最前線に送ればいいし

その研究は 例えば極端に人手不足の
介護などの現場でも役に立つはずです。

自分の国は 自分の家族を守るような
気持ちでないと 守れないのです。

先人たちと同じように 大切な人のために 
大切な人を守るためにと…。

そういった思いを今こそ掘り起し 
私たちが語り継いでいかなくては…。

先の戦争のすべての戦没者に対して
哀悼の意を表します。合掌。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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