9月 2日「連合国側」は 今日が「終戦の日」

降伏文書調印 忘れ得ぬ出来事

 
降伏文書調印
 
今日 9月 2日は1945年に
大日本帝国の全権大使を含めた代表が
米国の戦艦ミズーリの艦上で
降伏文書に署名調印した日です。

日本では8月15日を終戦の日にしていますが
この日は陛下の玉音をもって国民に
日本国として降伏すること、そして

戦闘の停止と武装解除をするように
通達された日なのです。

終戦とは「条約」を交わすこと
本当の意味での終戦というのは

当事国同士が「講和条約」などを
取り交わした時をいいます。

ですから「連合国側」は今日 9月 2日を
戦勝記念日とする国が多いのです。

中には国家が存在せず
戦争などしなかったけれど後付けで
しれっとお祝いの日にしている国もありますが。
 

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ミズーリ号で起きたこと

 
実はこの調印の席でちょっとした
ハプニングがあったそうです。

日本側用文書の サインの欄を一行ずつ
ずらして署名をしてしまっていたみたい。(わざとか?)

全権大使の重光葵外相が こんなの
うちの議会では認められないよと文句を言ったら

マッカーサーは もう祝賀会が始まってるしとか言って
拒否しやがったそうです。

なおも やり直せと外相がつっぱねたら(当然)
マッカーサーの参謀長が
んじゃあ 私が代わりに直すからさ…と言って

国名の部分をサインに
合わせて書類の方を直してくれたので
日本側も納得して引き下がったそうです。

そういう大切な文書に 1行ぬかしで
サインをこいたおっちょこちょいは

カナダとおフランスの代表だったそうで
ちょいと字が読めなかったのか?

それともわざとやったのか?絶対忘れないからな。

70年以上も経ってるから へえそんなことも
あったんだ…で済ませられるけど
ばかにしてるよね ほんとに。

戦争の根っこにあるのは人の気持ち
まあ当時の白人どもは 黄色人種は

傷ついても痛みを感じないとか
本気で思ってたようだし そのおかげで

どこの戦線でも日本人の捕虜は一切取らず
ほぼ全員殺されてるんですよ、
ほら「連合国側」は物資が豊かだったから。

あまりにも捕虜の数が少なすぎるんで
戦争を監視する委員会みたいのから
そういうことはしない方がいいんじゃないの~とか
クギを刺されてやんの。

それでようやく ほんの言い訳程度に
捕虜をとるようになったんですよ。

ともあれ(1行ずつずれたれど)
調印の瞬間に 戦争は終結しました。

そして日本は「勝者が書いた歴史」を
巧みに刷り込まれて 現在に至ります。
 
 

「勝者が書いた歴史」を伝えよう

 
しっかり爪も牙も角も翼も抜いたはずだったのに
たった20年ほどで復興を遂げ
オリンピックを開催するまでになりました。

国を荒廃させられ最貧国で
米国にすがるしかない小国のはずだったのに。
ほーんと白人サマの思惑が外れて残念でしたねー。

苦境に立たされるほど
困難な状況であればあるほど
それを跳ね返そうと み~んなが
協力したり努力したりするですよ。

何度も言いますが 度重なる自然災害で
鍛えられていますので 大変な時こそ
力を合わせて もとの生活を
取り戻そうと必死で努力するのです。

もともと日本人が持っていた
より良くしようとする心がけ
努力の精神があってのことで 間違っても
あんたたちのおかげなんかではないから。

言っとくけど 日本は大昔から
「シラス国」という民主主義だったんだからね。

「勝者の書いた歴史」なのに
もの凄く勘違いしてるというか

モロにWGIPの刷り込みのまんまの
人たちが多いので 声を大にして言っときますが

欧米型「民主主義」がすんなり定着したのは
それ以前に基盤がしっかり整っていたからなんで。

つまりは日本人の優れた感覚の賜物だということ。

…まあどうせ見たいものしか見ていないのが
人間なので 都合の悪いことは 一切
見えないし 聞こえないんだろうけどね。

自分たちの理解の範疇を超えたものなんかは
全く理解しないどころか排除しようとさえするし

それをしない時は「勝者が書いた歴史」のように
自分たちの都合のいいように捻じ曲げ
糊塗しちまうという暴挙を働くんですね。

面白くないのは刷り込みが効き過ぎてて
当の日本人ですら勘違いしていること。

何歳だろうと「勝者の書いた歴史」から
脱却してほしいものです。
 
 

「勝者が書いた歴史」を正しく認識する

 
この戦艦ミズーリでの調印に始まる
「勝者が書いた歴史」を実行するため

WGIPによって当時学童期だった人たち以降の
日本人から 誇りと自信を奪い 植え付けられた
自虐史が 綻び始めている今だからこそ言えます。

世界で最も長い歴史を持つ この日本という国の
ほんの一部分に 安物のセロテープで
切り張りしたような「勝者の書いた歴史」なんて
いつまでも保てるものじゃありません。

きちんと過去に向き合い 固定された
一方向からの概念だけでなく それとは違う
視点からの歴史的事実を学び直すことで

どこからどこまでが「勝者が書いた歴史」で
それに覆い隠されてきたものはどんなものなのか
見直す必要があります。

そうすることでしか 自分たちに
自信が持てないでいる状況を 打破すること
自己肯定のできる人間になる方法は
ないと思うのです。

起きたことを真摯に学ぶことは
必ず未来への肥やしになります。

今は様々な情報が個人でも簡単に
手に入るようになりました。

周りの人にこう言っていただくだけでも
違うと思います。

「古今東西 歴史というのは 勝った方が
自分らに都合よく書いたものなんだよ」って。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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