9月 3日 御年7歳の千姫様 秀頼君にお輿入れ

千姫 輿入れ 障子窓

 
千姫 輿入れ
 
今日は徳川家康さんの孫で 
秀忠さん江さんの長女 千姫が

たった7歳でしたが 
豊臣秀頼君の元へ
お輿入れなさった日です。

時代とはいえ 7歳では
まだ両親とかも恋しい
年頃だったでしょうに。

おじじさまには ちょっくら胸に
一物ありましたけれども

秀頼君もまだ11歳でしたから 
小さい頃から一緒に居て

ほとんど兄弟みたいなもんで 
とても仲のいい二人でした。

そうですよ よく考えたら 
千姫と秀頼君はいとこ同士ですよね。

だって千姫の生母は江さんだし 
秀頼君の生母は茶々さんで
お母さん同士が姉妹ですもんねえ。
 

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きっと内裏雛のようだったのでは…?

 
なんでも祖母に当たる 
お市の方ゆずりの美貌と
聡明さを兼ね備えた 
それはきれいな姫君だったとか。

その方向でいけば秀頼君だって 
浅井長政ゆずりの堂々とした風格の
若武者に成長しますので 
一歩も引かない互角ですねえ。

後に二条城で初めて
家康さんと対面した時 

狸親父にして 
こ…こいつはやばいと
思わせたくらいでしたからねえ。ぷぷぷ…

マキャベリも言ってますが 
上に立つ者は見栄えが大切なんですね。

立派そうに見えればいい 
良さそうに見えるのが
いいんです。(~_~;)

私たちが知っている秀頼公の絵姿は 
どことな~くなよっとした
ヤワな感じのする絵姿ですけれども 

本当は体格もよく 見栄えのいい
立派な若武者だったようです。

美男美女でめでたし めでたし。 
おっと終わっちゃいけない。

もちろん実家でもそして嫁ぎ先でも 
大切にされていたのでしょうし
本人も穏やかなお人柄だったのでしょうね。

仲が良すぎたのか 
子宝には恵まれなかった上に 

後になって おじじさまが
本気で攻め込んできましたから 
姫君の心中いかばかりだったか…。

でも当時のお姫さまたちは 
みんな覚悟を持って嫁いできていますし

千姫も秀頼公と一緒に果てようと 
心に決めていたみたいですね。

ですがおじじさまにしてみれば 
かわいくて大切な千姫を
放っておくわけはなくて 

彼女だけ無事に徳川の陣営に
救い出されます。
 
 

戦国の姫たちのあるある

 
1616年に千姫は 桑名藩主の嫡男 
本多忠刻の元へ輿入れするのですが

この時 大阪城から千姫を
救い出したとされるお人が 

姫を奪取しようと
企んでいることが発覚し 

自害に追いやられ お家は
改易されてしまいました。

このお人は粘着気質だったようで 
救出第一で家康さんが言ったことを
か~なり本気で受け取っていた
フシがあるとかないとか…。

まあ…ねえ… 千姫を救い出したい
一心で言っちまった…というか

そのくらいのことを言わないと 
燃え落ちて行く大阪城から救い出そうとか
誰も思わなかったかもしれません…。

狸親父さんのことだから 
とにかく姫さえ無事なら 

後はどうとでもなると
踏んでいたのかもしれないですね。

他方 実は別のルートで救い出された千姫は 
このお人の陣に送り届けられ

無事におじじさまの元へ
帰ることができたという説もあります。

で、戦が終わった後 姫の処遇について 
このお人があれこれ尽力していたのに

突然本多家へ輿入れすることに
なってしまい 面目が丸つぶれに…。

おのれええと粘着気質に火がついちゃって 
千姫を強奪しようと企てたと…。

どのような経緯があったか
知る由もないのですが 

このお人 千姫を強奪して
どうするつもりだったのでしょうかねえ?

今更 将軍家に楯突いたところで 
得るものなんか何もないのに…。

一国一城の主(少なからず彼に仕える
家臣たちとその家族がいる立場)なのに 

何だか 今一つ よくわからない
行動なんですわ。

企てはバレバレだったみたいだし 

もしかすると初めから仕組まれた
「事件」だった可能性も
否定できませんねえ…

歴史は勝者が書くものですから。

想像もあらぬ方向に向くと 
それはすでに妄想になっちまいます…。
 
 

太平の世になったらからこそ…

 
ともあれ千姫は無事に輿入れし 
本多家で一男一女を設けています。

そうそう子供と言えば 
秀頼君の側室に
姫がいたらしいのですが 

千姫はその姫を自分の養女にして 
命を救ったりしているのですね。

さすがのおじじさまも 
千姫の養女にまで手を
下せなかったわけですなあ。 

どれだけ千姫のことが大事なんですか。

…といっても この姫君は幼くして
出家していますので 
豊臣家の血は断絶しています。

たぶん出家することで
命だけは助けられたのでしょう。

預けられた先は「縁切り寺」として
名高い鎌倉の尼寺 東慶寺でした。

さてお話を千姫に戻しましょう。

一悶着あったお輿入れでしたが 
本多家では男の子を3歳で亡くしてしまいます。 

その後同じ年のうちに夫、姑、実母らが 
次々に亡くなるなど不幸が相次いだため 

長女の姫を伴って江戸に戻ることになり 
出家すると天樹院と号しました。

どのくらいの関与かわかりませんが 
弟 家光さんの側室や彼の三男坊などと
一緒に暮らすなどした縁からか
「大奥」でも力があったと言われています。

この後は娘を父の養女にして嫁がせたり 
鎌倉のお寺を再建したりしますが 

ずっと江戸で暮らし 波乱の生涯を
穏やかに終えることになります。

千姫をめちゃくちゃ
かわいがっていたと思われる
家康さんは どんな手を使ってでも
絶対取り戻すと決めていて

あえて豊臣家に輿入れ
させたんだろうなあと…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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