今日は織田信長が生まれた日だったのね

織田信長 生誕 障子窓

 
織田信長 生誕
 
今日 6月23日は 
あの織田信長さんが生まれた日だそうです。

根拠はルイス・フロイスが著わした
「フロイス日本史」にある記述だそうで 
計算すると今日になるのだとか。

もともと昔の人は「誕生日」の
意識が低かったのでしょうね。

よほど筆まめな親か家族 記録魔の
家臣などが 手紙や日記などの私記か

業務日誌など公務の記録でも
残さない限り 辿れないことが多いです。

フロイスさんは宣教師ですし 
信長さんは彼らによってキリスト教の風習に
早くから接していましたので
「誕生日」を意識してたかもしれません。

「己の誕生日を祝わせた」と
記されているそうですから。
 

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「大うつけ」「傾奇者」は本当か?

 
ともあれ 傑出した人物が誕生したわけです。

信長さんについては 敬愛してやまない
みなさんが多くいらっしゃり

ど素人の私がぐだぐだ書いたら 
お叱りを受けてしまいそうですので 
いつもの通り 妄想でかましたいと思います。

歴史上の重要人物は様々な伝承に
彩られていて実像は分かりにくいものですが

信長さんは人物像として極端に隔たりのある
記述表現が多い気がします。

傍にいた人全員に
恐れられていたのは共通項ですね。

感情の沸点が一定ではないので 
いつ何に怒り出すかわからない所が

仕えていた人たちには とても
付き合いにくい上司だったと思います。

一方で研究者さんの評価の中には 
信長さんなりの正義を持っていたと
おっしゃる方もいらっしゃいます。

忠義に対しては例え敵対した後でも 
きちんとした対処をしているそうです。

基本支配者気質だったので
逆らうことは許さないけれど 

忠節を尽くした相手には
それ相応に答えたということですかね。

軍事軍略には天才的な感覚を
持っていたようですし 

人に対して もとても論理的な
思考の持ち主だったのかなあと。

もしかするとあまりにも論理的で
決断が早かったので 感情が入り込めずに 

エネルギーのやり場を無くしてしまい 
それらが時々あちこちで 爆発を
起こしていたのかもしれません。

ただ一旦「敵」と認識されると 
それを排除すべく徹底した作戦行動を取り

それが苛烈を極めたので そちらばかりが
強烈な印象として残ることになって

恐怖を持って人々に知れ渡ったのでは
ないかと思われます。

正式に家督を継いだころから 
武力だけでなく政略結婚など

硬軟取り混ぜて支配地域を
拡大していきますよね。

「うつけ者」とか「傾奇者」などは 
やっていたことへの評価であり 

だれも信長さんの本当の姿を
知らなかったんだろうなあと…。

私個人としては 若様はお城に
こもっていないで お忍びで市井に出て 

物事を見聞するくらいの
やんちゃがいいと思いますけど。

え?あ…もちろん 関わりには
なりたくないです 怖いので。

人の言うことは聞かない人
だったみたいなので 当然ですが 

何事もすべて 信長さん一人で
決めていたそうで軍師とか
参謀とかいないんですって。

これはこれで すごいことだなあと思います。

新しもの好きで好奇心が強かったそうなので 
フロイスさんたちから 

欧州の「ヒストリー」とか
聞いていた可能性もありますよね。

そこらあたりから日の本の王とかう
発想が出てきたんだろうなと。

フロイスさんはポルトガル人だけど 
どこの「ヒストリー」を話したのかな?

欧州式の「支配」と「隷属」をどこまで 
どのように解釈し説明したか

非常に興味がありますが… 
どなたか研究して下さいませんかねえ…?

私が知らないだけかもしれないけど。^^;

あとバテレンさんたちから
地球儀を贈られていて 

地球が丸いと説明したら 信長さんだけが
理解したようなことを
書き残されているようですが…

当時のバテレンさんたちの説明だって
キリスト教に都合のいい範囲だからねえ。

キリスト教めがねを三つくらいかけた目で
見た人たちが伝えた話なので 

期待するのは かなり間違っていると
思いますけども。
 
 

好奇心が強かったというのもあるでしょう

 
昔 学校で日本史を勉強したころから
信長さんが天下統一を目指した根っこには

バテレンの影響が少なからず
あったでしょう?
という印象を持っていました。

宣教師たちは最初に目をつけた将軍 
足利義輝さんが殺されちゃって
慌てたでしょうね。 

取り込む相手を探していたら 
弟の足利義満さんを持ち上げて
台頭していた信長さんが目に入って来たと… 

「外の目」ゆえ冷静で見る目はあったかも。

その勢いを見て 信長さんに
取り入っておけば

日本をキリスト教国にできるかもと
目論んでいたかもしれませんねえ。(-.-) 

だけど今みると信長さん自身は
キリスト教に
かぶれることはなかったみたいね。

宗教を甘く見るとヤバいって 
信長さんよく知ってたから。

利用できるものは利用して
ドライな関係を保つ
バランス感覚は素晴らしいですね。

このあたりにちらほら見えるのは 
欲得ではなく純粋に戦乱の世を 
終わらせようとしたのかも
しれないと思わせる点なのです。

とにかく器が大きいというか それまで
登場したどんな日本人とも違っていて

計り知れないものを持っていたため 
触れた人の立場や感覚によって 

振れ幅の大きな人物評として
残ったのかもしれませんね。

恐らくは時代が呼んだ
不世出の人物だったのです。

コレは間違いない。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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