今日はドストエフスキーが死刑を免れた日

ドストエフスキー 死刑を免れる ガラス窓

 
ドストエフスキー 死刑を免れる
 
1849年の今日11月16日は 
ロシアの文豪ドストエフスキーが
もう少しで銃殺にされる寸でのところで 

特赦でもって死刑を免れて減刑され 
シベリア送りになった日なのだそうです。

そもそもミヒャエルなんとかが 
空想的社会主義とかいう
サークルで勉強会を開いていて 

そんな所へ入会しちゃったのが
間違いのモトだったんですよね。

何なんでしょうかねええ
空想的社会主義ってえのは。

まあ社会主義ってえのが
空想の域を出ていないのは 
後に証明されてしまいますが。

禁書を回し読みしていたみたいで 
憲兵に一網打尽にされたとか。
 

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何がどうして そうなった?

 
えええちょ…ちょっと サークルで本を
(禁書だけど)読んでただけなのに

逮捕されるは しかも極刑だなんて 
とんでもない環境なんだけど…。

さすがに帝政ロシアの時代は違うのね…
と思ったのですが 時代的なことを考えたら 

厳しい締め付けは皇帝側の不安というか 
民に広がる自分たちへの否定に対して 
言い知れない恐怖を持っていた
のかもしれませんね。 

ですが話には続きがありまして 
逮捕もその後の死刑判決も 
執行の直前での停止も減刑も 
みんな仕組まれたこと
だったみたいですけど。 ???

ニコライ1世が仕組んだのか 
若者をびびらせたかったのか
よくわかりませんが 
手の込んだ退屈しのぎだったかも。

時代的には社会主義の思想が 
少しずつ人々に忍び寄ってきていた
そんな背景が見え隠れしているような気がします。

それにしてもシベリア送りが
減刑っていうのもねえ… なんだかなあ

まあ命があっただけ
よかったのかもしれないけども。

このシベリア送りは5年にも及んだんですよね。

何だかよくわからないうちに 
苦労をさせられたドストエフスキーさんですが

最初に発表した作品「貧しき人々」は 
すごくいい評価をもらったそうで。

ネクラーゾフとかいう人は感激して 
夜中にドストエフスキーさんちに
訪ねてきたそうです。 

名前もすごいけど 
それって迷惑行為だと思うの。

デビューが華々しかったのに 
その後の二作が酷評されっちまったので
悩んじゃって うっかりヘンな
サークルに入っちゃったのかな。

しょっ引かれたり 殺されかけた上に
シベリア送りになった経験は 

ドストエフスキーさんの目を
覚まさせることにつながったようで 
この点に関してはよかったと思います。

社会主義で救われるものは何もないですし 
宗教なら心の平安や救済は
なされると思いますので 

そういう方向に作品が向かったのは
酷い思いをしたことが 
肥やしになったのかもしれませんね。

危うく殺されるところだったのは 
まだ28歳のころですからね

それから5年間も ただ寒いだけの
シベリアで過ごしているのです。

人生の中で気力体力ともに 
最も充実しているはずの時期を
強制労働させられていたんですから 
気の毒すぎますよ。

作品が重厚で若干暗く荒んだ部分があるのは 
このせいかもしれない。

ただドストエフスキーさんの場合は
ちょっと本人にも悪いくせがあったようです。

賭博が好きだったんだそうで 
これはねえ生活が荒れますわ。

借金の返済のために一生懸命小説を
書いたみたいですけれども あまりにも
スケジュールが過密すぎて 

有名な「罪と罰」、「賭博者」などは
口述筆記で書かれたんだそうです。 

その手があったか!

タイピストだった女性は 
2番目の奥さんになっています。
 
 

冬の鉛色の空のような文豪さんたち

 
ドストエフスキーだけでなく 
ツルゲーネフもトルストイも
ロシアの文豪さんたちは ちょっと
暗くて重たい雰囲気を持ってるんだよね。

もちろん明るく華やかな表現とかシーンは
あるけれど どこか陰りがあるというか 
あ…あくまでも個人の感想です。

重厚でリアルな人間ドラマが 
展開されているということですね。

光ばかりではなく
影も闇も同時に内包している 
それが人間というものなので
そこをきちんと
描き切っているといえば いいのかな。

だから必ずしも ハッピーとか 
いいねーといった軽薄っぽい救いが
あるわけではないということですね。 

現実の方がよっぽど残酷なこともありますし…。

当然読み手によって様々な受け取り方があり 
はまる人はドツボにはまると。

今でもたくさんの人に読み継がれ 
研究されているドストエフスキーです。

で、ドストエフスキーは日本の作家さんたちにも
大きな影響を与えているそうで。

特に明治の文豪と呼ばれる人たちは 
ほとんどドストエフスキーさんの作品に
何らかの影響を受けているみたいですよ。

私は文学はまるっきり暗いものですから 
人の受け売りですけども。(をいっ!)

で、ドストエフスキーさんの方でもですね 
日本に興味があったみたいで 

日本にロシア正教会を紹介した
ニコライさんと会うなどしているそうで 

作品にも少しだけ日本のことを
思わせる記述があるそうです。

大作にして代表作の一つでもある
「カラマーゾフの兄弟」は亡くなる数か月前に
脱稿したそうで 遺作でもあるんですねえ。

この1849年の減刑がなかったら 
ドストエフスキーも文豪とは
呼ばれなかったと思うので 

皇帝の気まぐれだったのか何なのか
よく分かりませんが この点については
結果オーライということで…。(~▽~)

というか そもそも罪もない人を
逮捕したりしないでちょうだいませ。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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