今日はあのマルティン・ルターの誕生日

M.ルター 生誕 ガラス窓

 
M.ルター 生誕
 
1483年11月10日 
当時は神聖ローマ帝国でしたが
ドイツのアイスレーベンという街で 
マルティン・ルターは生まれました。

有名な肖像画はクラナッハが
描いているせいか はたまた 
実物に似ているのか

ちょっと怖そうなおじさんに
仕上がっていますね。

…と思ったらお父さんと
うり二つじゃあありませんか。ぷぷぷ

近寄り難い人たちな印象だなあ…。

おっと人を見た目で判断しては
い・け・ま・せ・ん。

農民だったお父さんは
向上心が強くて 子供たちには
しっかり勉強させたそうで 
教育の大切さは理解していたようですね。
 

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宗教者への道のりはひょんなことから

 
後にマルティンさんの神さまに
対する感じを 厳格で時に
冷酷であるみたいに表現したのは
このお父さんの影響らしいです。

マルティンさん自身も
そういうお父さんの期待に応え 
熱心に勉強したそうです。

優秀な成績で 法律家になるために
家から離れた大学で 哲学を学び始めます。

そして法学部に入学したころの
ある日 学校へ向かう途中
激しい雷雨にあい 

命の危険を感じたマルティンさんは
「助けて下さい!修道士になりますから!」
思わずそう叫んでいたそうです。

もちろん両親は大反対しましたが 
マルティンさんは修道士になってしまいます。

この時22歳で 翌年には
司祭の叙階を受けていますので 
やっぱり優秀ですね。

突然 宗教者に転身したわけですが 
なんとな~く違和感というか 
何か違うと感じるものがあったようで…

そうでなきゃ宗教改革者として
名前を残したりしませんわな。

カトリックの教えでは なにか
しっくりこなかったんでしょうね 
結構悩みます。

とても真面目で 何事も突き詰めて
考えるタイプの人だったんでしょう。

―いくら禁欲的な生活をして
罪を犯さないよう努力し、

できうる限りの善業を行ったとしても、
神の前で自分は義である、

すなわち正しいと確実に
言うことはできない。―
                   ウィキペディアより

これに悩んじゃったマルティンさんですが 
ふと発想の転換をします。

―人間は善行(協働)でなく、
信仰によってのみ (sola fide) 義とされること、

すなわち人間を義(正しいものである)とするのは、
すべて神の恵みであるという理解に達し、

ようやく心の平安を得ることができた。―
                   ウィキペディアより

これを「信仰義認」と言いまして 
プロテスタントさんたちの基本の「き」です。

このころ司祭として
告解を聞く立場にいたので 
同じような悩みにぶち当たる人が
いることをよく知っていた模様です。

さらに同じころ有名な
「免罪符」の販売が
行われていたことも真面目な
マルティンさんには
許せないことだったのかもしれませんね。

1517年10月31日 
これまた有名な「95ヶ条の論題」として

自分が勤めるヴィッテンベルク教会の門に
張り出したのです。

正面切って教会とやりあう
覚悟を決めたのかしらん。

ただ一説には この「95ヶ条の論題」は
マルティンさんが予想した以上の
大きな反響になったともいわれています。

書いてあった文字はラテン語で 
普通の人にはわからないものでしたが

すぐにドイツ語版ができて 
あっという間に全土に広がったとか。

宗教論争のつもりだったのに 
いつの間にか政治的な問題にまで
拡大解釈されちゃいまして 
この後はもお大変です。

破門の上に異端とされるはで 
当時では人として生きていけない状況に
陥ったんですけども 

あの肖像画の聞かん気そうな
面構えを思い出してくださいな。

そんなことでは
怯まなかったんですよ。

ここがすごい所ですね。
 
 

正に「宗教改革者」だった

 
いわゆるカトリックの教会とは
別の教会を立ち上げようとしていました。

視点を変えれば マルティンさんの
言っていることに賛同する人々が
一気に増えていたということで 

一部はカトリック教会などへ
暴力行為をやらかすなど 
やっぱり一神教徒でした。

神聖ローマ帝国(現ドイツ)は
小さな国の集まりでしたから 

帝国議会なる会議があって 
そこで折衷案が布告されたのですが 

マルティンさんたちは
これに対してプロテスト(抗議)したんですね。

で この後からこの人たちを 
プロテスタント(抗議者)と
呼ぶようになりました。

ローマ帝国がキリスト教を国教にしてから 
およそ1200年が経っています。

形骸化や拝金・権威主義に陥って 
かつての崇高さがほぼ失われていましたし

様々な論争や矛盾を抱えて 
不満も溜まっていたのでしょうね。

とにもかくにも 
心の拠り所であるはずの宗教に 

人そのものや生活にまで
踏み込んで来られちゃったから 
矛盾や不満が生じないわけがありません。

気持ちの問題だとか緩や~かに
受け止めておけばいいものを 

一般の人々まで修行僧のような
生活を強いられたら 

誰だって息苦しくて
逃げ出したくなりますよ。

普通の人間なのだから 
いきなり絶対者である
神と対峙したりすれば

恐ろしくいびつな出来損ないに
決まってるじゃないですか。

どんなに努力したって 
限界というものがあるんですよ、

だから人間なんですね。

憧れたり望んだりすることは自由ですが 
必ずしも自分の求める答えが
返って来るとは限らんのですわ。

むしろ望む答えが返って来なかった時に
どうするかの方が 重要だったりして。

かくてたまたま雷に怯えて
宗教者になったマルティンさんでしたが 

古い概念の教会と決別し
「信仰義認」などを核とした 
新しい信仰のスタイルを見出しました。

真正面から信仰に取り組むと
色々と見えてくるものがあるのですね。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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