今日はジョージ・ワシントンが亡くなった日

G.ワシントン 忌 未分類

 
G.ワシントン 忌
 
今日は米国の初代大統領
ジョージ・ワシントンが
亡くなった日です。

1799年のことで
67年の生涯でした。

今はバージニア州という
名称になっていますが 

ワシントンさんが生れた頃は
「バージニア植民地」と
言われていたみたいですね。

大西洋に面した場所で 
大陸の奥側(西)にはアパラチア山脈が
どーーーんとあります。

米国は大きいので
詳しく地図にしようとすると 
巨大な紙が必要で大変なのですが

アパラチア山脈というのは
6千3百万分の1の世界地図にも
その場所が載るくらいですから 
か~なりでっかい山脈ですよ。

またその頃は今のウエストバージニア州や
オハイオ州のピッツバーグとかも

このバージニア植民地に入っていたそうで 
この大きな山脈を超えて向こうまで
広がる広大な土地だったんですね。
 

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イメージより古い時代の人だった

 
さてワシントンさんちは大きな農場や
鉱山などを経営していました。

比較的裕福だったと思いますが 
それでも中級の郷士だったそうです。

お父さんは11歳の時に亡くなっていて 
14歳も年上のお兄さんが
父親代わりだったそうです。

有名な桜の木のエピソードは
創作だってばれちゃいますね。

実際そんなころに桜の木なんて
米国ににあるわけないですし。

成長して測量を学んで公式の測量士として
仕事にしたそうです。

1748年には(まだ16歳ですけども)
農園主としても自ら経営に乗り出し

測量の仕事で得た収入で新しく農園を
買い足すなど その後の資産拡大に
つながる第一歩を踏み出しています。

そしてバージニアの副総督とも
知り合いになります。

誰でも知っていますが 南北の米国大陸は
無人の土地ではありませんでした。

もともと人が住んでいた土地なのに 
ずかずかと入り込んで行って 勝手に農地や
鉱山やらを切り開くなどしたわけですね。 

当然最初から武装していたと言っても
過言ではないのですが 農園ごとに
軍が組織されてようで 最終的には
この集団が独立戦争へと向かうのです。

この頃はまだ大英帝国の植民地で 
新大陸に入植した人々だったのですね。

私たちは米国へ入植したのは 英国から
ばかりのようなイメージが大きいですが

カナダから北米大陸の東半分は ほとんど
仏国が占領していたって知ってました?

「フレンチインディアン戦争」などで
検索してもらえば 詳細がずらずらと
表示されますけれども そこに
当時の勢力図が載っているので見てください。

英国領よりもはるかに広大な土地を
占有していたのがわかります。
 
 

功績も大きいし 引き際もかっこいいね

 
ともあれワシントンさんはこの戦いには
負けてしまうのですが 若い頃に入った
フリーメイソンのご加護か
無事兵役を終えて帰ってきます。

そして1759年からは農園の経営など
家業をしっかり発展させ「貴族」のような
暮らしができていたそうですよ。

街の名士として議員にも選ばれるなど
徐々に政治の道に入って来るのです。

1769年から植民地で本国に対する
反抗というか反発が強くなりまして
ワシントンさんはその指導的な立場にいました。

1774年バージニアの最初の議会で 
第一次大陸議会の代議員に選出され
翌年には大陸軍が創設されました。

で、ワシントンさんは
植民地軍総司令官に任命されます。

こうしてアメリカ独立戦争を戦うのです。

この時のワシントンさんたちの敵は 
故国大英帝国だったんですよね。

自分のご先祖さんたちの国と
戦火を交えるというのは…なんだかなあ…。

まあ途中から独立を宣言したばかりの
「アメリカ」と同盟した仏国が
加わったりしていいんだか悪いんだか…。

結局1783年パリ条約で大英帝国に
「独立」を認めさせました。

この独立戦争はもう一つ別の一面を
持っているように思えます。

戦争中の1779年にワシントンさんは
ネイティブのイロコイ族の「殲滅」を
命じているのです、「殲滅」ですよ? 
一人残らず殺せと命じているのです。

独立戦争のもう一つの面 それは
ネイティブの掃討作戦だったということ。

しかもワシントンさんは
「インディアンは狼と同じ猛獣だ」
と発言しています。

1789年に行われた 
初のアメリカ合衆国大統領選挙において 

米国の選挙制度の選挙人投票率
100%を得て大統領に選出されたのは 
このワシントンさんだけだそうですが 
時代とはいえ まあ……ねえ。

偉大にして輝かしい業績には
濃くて長い影も同時に存在するのは歴史の常。
そ・う・い・う・も・の なのですね。

もう一つワシントンさんがやったので 
後に合衆国憲法で決まるまでになった事柄に
大統領の任期は2期までというのがあります。

ずっと大統領でいてほしかった
みなさんの期待をあっさり蹴っ飛ばして

1797年大統領職を退いた
ワシントンさんは懐かしの
我が家へ戻ってきました。

ところが翌年仏国とのドンパチが
始まりそうでアメリカ陸軍の
中将としてワシントンさんが
最高司令官に指名されます。

ただこれは仏国への警告みたいな
ものだったようで 

実際にワシントンさんは
急性咽頭炎に罹っていて 
職場復帰はしていません。

それどころか1799年の暮れ 
悪天候で寒いのに馬に乗って
見回りをしたそうで

たぶん風邪を引いたんでしょうね、
また咽頭炎を起こしてしまいました。

これが肺炎へと悪化し 12月14日
67歳の生涯を閉じることになります。

とんでもなく広いんですからね 
米国の農園は…見回りなんて若い者に
任せておけばよかったものを…。

それでも最晩年は自宅で過ごせたのですから 
穏やかな日々だったと思います。

激動の時代の最前線に立った
猛将のイメージですが 当時も今も
米国の人たちに尊敬される偉大な
大統領の一人です。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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