今日は春のお彼岸の入り

彼岸の入り

 

今日は春のお彼岸の入りです。

今年はお中日が20日ですので
17日の今日が入りにあたります。

「盆盆と待つ盆は ただ三日 彼岸のばかは
六日(むいか)一日(いちにち)」
な~んて ちょっとひどい言われようですが

お彼岸は春と秋 年に二回もありますし
それぞれ7日間ですからね。

七日(なのか)と言わずに七音にしているところも
がんばっていますね。(笑)

きちんとリズムをとって 形を整えているあたり
美意識を感じます。

この感覚が言い出した人も 聞いた人も
しっくりくるリズムなのです。

また七五調は覚え易いし 日本人のDNAが
好む調子なのではないでしょうか。
 

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仏教と八百万の神さまは共存した

お彼岸はもちろん仏教の教えというか考え方です。

今では昔からの習わしとか伝統になっていますが
そうなるまでに 日本に入ってきてから
1400年の時間がかかっています。

西暦600年代に入ってきた当初は
国を代表する者や政を担当する人たちが
深く信仰することで 仏の加護を以って
国を守り治めようとしました。
一部の人たちの信仰だったのですね。

遣隋使ならびに遣唐使でもって
それぞれのタイミングで微妙に解釈の違う
仏教の教えが入ってきたり

あるいは日本の僧たちの間で
解釈が変わったりと 長い時間が
経っていますから いろいろあって
宗派が分かれるなどしました。

時には武装して朝廷や武家などに
実力行使をした宗派や時代もあります。

日本の場合 仏の教えが入ってくる
ずっと以前から自然を崇拝してきました。

度重なる自然災害は いやでも人々を
信心深くしたのでしょうし
困ったときは助け合う精神を養う
素地にもなっているかと思います。

そういうものを根底に持っていたところへ
新しい教えが入ってきました。

一部の人たちの信仰だった仏の教えが
広く一般の人も救ってくれると教えて回った
宗派の僧たちががんばったからです。

すべてのものに神が宿る八百万の神と
仏の教えはわりと上手に共存できました。

厳しい戒律や決まり事 祈祷などは
専門職にお任せする形で一般の人々にまで
あれこれやかましい教義などを
押し付けなかったのが 成功の秘訣かなと。

もう一つは仏教にしても後のキリスト教にしても
それらが禁じていることって
日本人があらためて教えてもらうほどの
ことじゃなかったのではないかしら。

古いハリウッド映画に「十戒」というのがあります。

あれをTVで見た時 こんなのって わざわざ
神さまの力で 石に刻んでもらわんと
いけないことかい?と思った覚えがありましてね。
(すみません、個人の感想です。)

そうすると日本人はいったい誰に
十戒のようなことを教わったんだろうという
素朴な疑問が浮かんできます。

 

八百万の神さまは どこから…?

まあ誰かに教わったかどうかもわかりませんけれど
少なくとも八百万の神さまは あれはいけないとか
これはだめ…とはおっしゃいません。

でも日本人は穢れを嫌うんですね、
この考え方の根っこはどこにあるのか
深すぎてよくわかりませんが

強引に妄想すると 神さまを
お祀りするのが好きというか
ほとんど何でもお祀りしちゃうあたりに
あるかもしれないなあと。

つまりお祀りしたら その辺りをきれいに
しておこうとか ばっちい所にお祀りされてても
気分がよくないのではないか…とか

基本的に自分にされたら嫌なことはしないと
そんな感じが始まりじゃあないかなと思うのです。

あと…やっぱり災害が多くて どうしても
助け合わないと社会が成り立たなかったのかな。

極端に利己主義に走る者が少なかったか
いたとしてもそのコミュニティには居ずらくて
つかず離れずの位置で また別のグループを
作ら座あるを得なかったかも…?

日本人の場合は どこへも逃げていく所が
なかったので やっぱり災害にしつけられて
きたのではなかろうかと…思うのです。

私の妄想の中では縄文時代から ずっとずっと
この日本の地に定着する中で 起こったこと
という位置づけなので 2万年近い時間が
経っているというイメージなのです。

で、あまりにも長くそうして来たので
八百万の神さまに感謝を捧げるのと同じくらい
生活の中の当たり前になってしまっていて
意識すらしなくなったとか…?

 

DNAに刷り込まれるほど昔から…?

もちろん人間の集まりですから
いろいろなことは起こったと思いますが
長とか長老とか まとめ役のような人が
若い者に説教するとかはあったと思うのですが…。

どんなに神さまに救いを求めても
災害がちっとも減らなかったから
ただひたすら祈るだけとか
救いを求めるだけといったことは
しなくなったのかもしれない…。(θ.θ)

また神さまみたいなもので
富を蓄える人も現れなかったんですね。
宗教は儲かるんですが…。(^艸^)

災害は富める者も 持たざる者も関係なく
破壊するので 商売がやりにくかったんでしょう。

そしてもう一つとても大切なことは
災害さえなければ 生活水準が高くてみんなが
豊かに暮らせる社会だったのではないかなと…。

なぜなら宗教というのは 普段の生活環境が
厳しい場所で発生する傾向があるので…。
あはは…また どえらい横道に…。

あと仏の教えがうまいこと 日本人に
受け入れられたのは このお彼岸とかお盆とか
身内が寄り集まる形の…いわば
お祭りがあったからじゃないかなと。

日本人は何でもお祀りしちゃいますからね、
ましてご先祖さまを偲ぶのだなんて
言われた日には 喜んでお祭りにしちゃうし
しっかり続けちゃうでしょう。

今 伝わっていることは多くの場合
平和が続き文化の花が開いた江戸時代に
形が整ったものと思われます。

普段は忘れているけれど
こういう伝統が継承されるってことは
とてもいいことだと思います、
ずっと続いて行きますように。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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