日本三大仇討の一つ 鍵屋の辻の決闘

鍵屋の辻の決闘 障子窓

 
鍵屋の辻の決闘
 
1634年の今日12月26日 
渡辺数馬と荒木又右衛門が
数馬くんの弟の仇を討ったのだそうです。

私でも荒木又右衛門という名前を 
何となく知っていたのは 

このお話がとても
有名だったからなんですね。

映画だけでも すごい数ですし 
主人公は荒木又右衛門になっていて
主演俳優も錚々たる名前が
ずらりと並んでいましたよ。

又右衛門さんは剣客としてならしていたし 
助太刀したんですよねえ 

無念の死を遂げたのは 
義理の弟にあたるわけですから…。

いつの間にか主役になってますけども。
…まあいいか。(~_~;)

1634年のことですから
戦国の世から太平の世へ 世の中がようやく
落ち着いてきた頃のことだったで
あろうと思います。
 

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発端は何なのか よく見てみると…

 
ことの発端は「男同士の恋愛沙汰」
だったというので 思わず
二度読みしちゃいましたが 
当時はとても普通のことだったのですね。 

ですから自分の好みや今の感覚でもって 
あれこれ考え ものを言うのは
差し控えさせていただき 
触れないでおきます。

渡辺数馬くんの弟君 源太夫くんは
お殿様の お小姓を務めていたそうで
「美しくて有名」だったんですってね。うふ…。

お殿様のご寵愛もめでたく 
お気に入りだったのでしょう。うふふ…。

そんな源太夫くんに河合又五郎くんも
「恋」しちゃったんですね。ぐふふふ…。

ストレートに 強引に 迫ったりするから
拒絶されちゃうのですよ。 

でも…若いから激情に突き動かされて 
無理もないですかねえ。

だけど自分の思い通りにならないからって 
相手を死なせてはだめでしょう。

1630年 7月11日 源太夫くんは
花の命を散らしてしまいました。
(こんなにはっきりと日付の記録が
残っているって ある意味すごいです)

お殿様は大激怒~!だし 
河合の又くんは脱藩して逐電しました。 

そして江戸の旗本安藤さんという所へ
匿ってもらうことになります。

お殿様は 幕府に又さんの引き渡しを
要求するも 旗本が手を組んで拒否。

ただの色恋沙汰が 
直参旗本と外様大名との
争いになっちまいましたがな。

そして2年後 なんとお殿様が
疱瘡に罹って亡くなってしまします。

で、臨終間際に又さんを討つように
お命じになったため 上意討ちという
名目がおっ被さることになって 

話がますますややこしい方向へ展開し 
お兄さんの渡辺数馬さんは 
仇討をせざるを得ない状況に…。

お殿様ってば いろいろと
悔しかったんでしょうけど… 

後が大変なので変なことを
遺言しないでもらいたかったですねえ。

家督を息子が継ぐタイミングで
幕府は国替えを命じ 喧嘩両成敗で
この件の幕引きを図ろうとしまして 

旗本たちを謹慎させ 
又五郎さんを追放にします。  

仕方ないので仇討をするため 
数馬さんは国替えには
同行せず脱藩しました。

とはいえ剣術が得意でない数馬さん 
困ってしまって…お姉さんの旦那さんで
剣客で名高い荒木又右衛門さんに 
助太刀をお願いすることになるのです。

ほら、この辺りまで来ると 本来はただの
色恋沙汰のいざこざだったのに

「上意討ち」という ドでかい名分が
くっついちゃったもんだから随分と
印象の違う話に聞こえっちまうのですよ。
 
 

確かに年若い身内を殺されたけど…

 
この後二人は仇をあちこち探し回り 
1634年の11月奈良の旧郡山藩士の家に
潜んでいることを突き止めます。

そして再び江戸へ逃げようとするところを 
この鍵屋の辻で待ち伏せしファイト!

この決闘で荒木又右衛門さんが 
まるでスーパー戦隊のような活躍をしたと
言われているそうなのですが…。 

実はそれって
「講釈師 見てきたようなうそを言い」
という辺りの「盛り」だそうで 

実際には 同じような剣術指南役の
つおい人を二人 倒しただけですって。

でも指南役だから 相当な
手練れだったと思いますし 
やっぱり只者ではないです。

この時刀が折れるという
不覚を取ったとかで 別の
おっさんに指摘されちゃいました。 

すると又右衛門さんたら 
後でその人の所へ
弟子入りしちゃったりしています。

今でもその時の誓詞がちゃんと
残されているそうですよ。

数馬さんと又五郎さんの方は 
5時間も切りあったそうで…
あ…あの…剣術下手過ぎ。

お互いに腰が引けてて 
恐々やってる姿が想像できます。

でもね 気持ちはよくわかります、
刀が当たれば切れるし 痛いし 怖いし
誰だって死にたくないですもんねえ。

ようやく勝負がついて 本懐を
遂げることができたのでよかったですけど。

仇討は無事終わりましたが その後の
展開の方がミステリアスで興味深いですよ。

この仇討組をどこが引き取るかで
揉めに揉めて その間伊賀上野の藤堂家に
4年間も預けられていて 結局鳥取藩に
引き取られることになりました。

ところが1638年の8月の下旬に鳥取藩は 
同藩に到着して 2週間余りの
荒木又右衛門さんが亡くなったと公表します。

ちょうど又右衛門さんの妻子が
鳥取藩に着いたころのことです。

何だか 唐突だし不自然な感じが
しますよねえ? 

又右衛門さんもまだ38歳ほどでしたし 
剣客の身にいったい何があったのでしょう?

ここから先を妄想して お話にしたらば
面白いかも…。

そうか!だからいつの間にかお話の主人公が
荒木又右衛門さんになっていたのね。ぷぷ…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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