今日 8月 4日は 小説家松本清張が亡くなった日

松本清張忌 障子窓

 
松本清張忌
 
1992年の今日 8月 4日 
昭和を代表する小説家
松本清張さんが亡くなりました。享年82。

明治の末に生まれ 大正 昭和 
平成と4つもの時代を生き

小説家として大成し
昭和を代表する作家になりました。

でも幼い頃は貧しくて 早くから
働き始めるなど苦労しました。

お父さんがよく小説を
読んで聞かせてくれたそうで
本が好きな少年だったようです。

やっぱりそういう環境にあったから 
なるようになったんですね。

様々な仕事をこつこつと続けながら
本を読む日々だったようです。

芥川龍之介や菊池寛 夏目漱石 
森鴎外 泉鏡花など ほとんど
手当り次第に読みまくっています。
 

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本の虫の苦労人は やがて作家に…

 
そして翻訳された探偵小説にも熱中し 
江戸川乱歩に憧れながら
愛読し 読みふけったそうです。

ここらあたりで素地が耕され 
種がまかれた感じですね。

ただ時代もだんだん戦争の影が
忍び寄ってきていましたし

清張さんが文壇に登場するのは 
これらの嵐が去ってからになります。

そうなんです 清張さんが
「松本清張」になったのは
40歳を過ぎてからなのですよ。

1951年に仕事の合間をぬって
書いた作品が 雑誌「週刊朝日」の
「百万人の小説」という(たぶん文学賞)の
三等に入選し それは同時に
第25回直木賞候補になったのだそうです。

処女作がいきなり直木賞候補って… 
むむむ…やっぱりね。

で、翌年「或る「小倉日記」伝」という作品は 
また直木賞候補になったけど

芥川賞に回されて選考委員の坂口安吾から
めっちゃ褒められて同賞を受賞!

直木賞と芥川賞を2年続けて
受賞するとか 考えられん。

遅咲きだったためか 
華々しいデビューを飾ります。

1953年の暮れには 朝日新聞社の
本社勤務になり上京しています。

もともと縁があって朝日新聞の西部本社で
デザインの仕事をしていたのです。

3年ほどして朝日新聞を退社し 
執筆活動に専念することになります。

まあその後の活躍は「松本清張になった」
この一言でおしまいです。(笑)

作家さんというのは
小説でもまんがでもそうですが

評価の高い作品を
世に「送り出し続けること」が
求められる職業なんですね。

その意味では 「松本清張」はやっぱり
「松本清張」だったということ。

恐らく膨大な量の知識の引き出しを持っていて 
さらに緻密で執拗なくらいの取材でもって 
小説に仕立てていったのではないかなと思います。

どのくらい「松本清張」なのか
分かり易い事象は 広島市と北九州市が
それぞれ出生地と本籍地を主張していることかな…。

別にけんかしてるわけではありませんけれど 
誰だって郷土の有名人に

加わってもらいたいと思う…
そのくらい輝かしい功績を残したのです。

両市の気持ち とてもよく分かります。(笑)
 
 

リアリズムにこだわった作品群

 
松本清張の作品は一般的には
社会派小説と言われていますね。

ミステリーとか謎解きの形を借りながら 
社会の暗部を抉り出すとか…

人の中にある暗くて悲しい
業のようなものを描き出すとか…

それから手練手管を使い 
非情なまでに徹底した上昇志向とか…。

すっきり解決! というものではなくて 
何となく重たいものを読者の中に残して
去っていくみたいな感じでしょうか。

どこにでもあるような日常から 
ほんの一足で良く似た全く違う世界に
突き飛ばされるような
非常にリアルな怖さもあります。

そのリアリズムこそ 松本清張の作品
らしさなのかもしれません。

どのくらいリアリズムに徹することが
できるか どうすればリアルに
描き出せるかということに 
力量を問われる作業なのですね。

私はドラマになったものをいくつか見ました。

具体的な映像になると作品が 
俳優さんを選ぶなあと思いました…。

そして少しだけですけれど「松本清張」から
離れてしまう部分もあるかなとも。

小説の執筆だけでなく歴史などにも
関心が高かったみたいで あくまでも
アマチュアの立場からとして書かれた
「古代史疑」は 一般まで巻き込んで

「邪馬台国」のブームに火を
点けちゃいましたっけ。

このテーマは私も大好物なんですけれども… 
みんなでわいわいやってるのが
楽しいんですよねえ… 

決着が着いてほしいような ほしくないような…。(笑)

それと小説「火の路」は 飛鳥時代に
ペルシャ人やゾロアスター教が 

日本に来ていたりして…という着想で
描かれている 40年以上も前の作品です…。 

ちょっと逸れますけれど 
確かに飛鳥時代にはインド人の僧とか
いたんですよ、日本に。

当時の飛鳥の都は 私たちが思うより
はるかにすごい国際都市だったみたいなんです。

その記録もちゃんと残っているし 
たぶん「松本清張」ですから

その辺りだって
きちんと調べて上げてて
その結果 こういう作品にしたんだろうと…。

ところが先日 奈良時代の遺跡から
木簡が出土しましてね、

そこにはペルシャ人を示す
言葉(氏族を指す名前)が書かれているとか…。

うわ…も…もしかして…?!(◎o◎)

まあともあれ今日はそんな偉大な
作家がこの世を去ってしまった日。

私が「松本清張」の名を知った時から 
もう晩年の写真でしたけれど 
明治の生まれだったとは知りませんでした。

本はきらいではないので 
手に取るきっかけとしてはいいかも…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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