今日は歴代で4人の帝が崩御されている日

四人の帝 忌 障子窓

 
四人の帝 忌
 
今日 1月 7日は1989年に 
昭和天皇が崩御された日です。

当時はほぼ毎日ニュースなどで
報道されており 私たちなどは
固唾をのんで見守るしかありませんでした。

天皇が代わるという事象は 
多くの日本人にとって初めてのことであり 

どうなるのだろうと 
こちらの経緯も見守っていたものです。

本来なら天皇を頂くことになった
来し方や歴史など あれこれを

私たち戦後生まれもみっちりと教育されて
当然だったのですが

GHQの置き土産に 洗脳され続けた
日本人が多かったせいか

自国の歴史の重要性に気づかないまま
放っておかれたように思います。
 

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あらためて知っておくべきと…

 
天皇を頂く話を持ち出すと 
すぐに戦争などと結びつけたがる向きが
あるようですが その方たちにとって

日本の歴史ってのは たかだか
70年ほどしかないのでしょうかねえ。

…確かにタイ国と日本を除いた
アジア諸国は 独立してからそのくらいしか
時間が経っていませんけども… 
そちら方面からいらした方たちですか?

天皇を頂くようになって 
ざっくり1200年以上あるのですが… 
そのあたりはどうなのでしょう。

黎明期の混乱と戦乱の時代を経て 
形を整えながら平和で豊かな文化を築いた
平安時代が約400年 鎌倉、室町、

安土桃山 戦国時代を経て江戸時代と 
事実上武士が治めた時代がおよそ670年 

そして明治維新から今日まで
約150年 その間途絶えることなく
連綿と天皇を頂き続けてきたのです。

直近の70年ほどだけを取り上げて 
あれこれ言うのは正に印象操作ですよ。

誰の人生でも苦悩はつきものですが 
まして国を背負う立場となれば
その重みは常人には想像もつきません。

武力によって打ち倒し分捕ったものなら 
守るために必死になるし

その苦労は当然のことなので 
勝手にやってればいいのですが 

日本の天皇はそういうものでは
ありませんので 一層大変だったと思います。

昭和天皇にとっては重責を担い 
困難な日々を多く過ごされた人生と 

肉体を持つ苦痛から この日ようやく
解放されたのではないでしょうか。

御霊安かれとお祈りいたします。
 
 

長い歴史を紐解いてみると…

 
実は過去歴代の天皇でも 
他に3人が今日この同じ日に
崩御されています。

それらの天皇たちが崩御されたのは 
いずれも1100年以上前です。

一番古いのは武烈天皇で 
崩御されたのは507年となっています。

「記紀」にはどちらも この帝には
お世継ぎがいなかったと記されていて

9代も遡った仁徳天皇のご兄弟子孫から
迎えた皇子が 継体天皇として即位されます。

この武烈天皇は「記紀」によって
記述が異なり 実在したかどうかとまで
言われていますけれど御陵もあることですし 
おいでになったのは事実かと。

次に古いのは天智天皇で
672年のこの日に崩御されました。

中大兄皇子というお名前で 
通された時間の方が長くていらっしゃるし
このお名前で歴史的なことをされていますね。

長い間天皇に即位されなかったことが 
現在の研究者さんたちを悩ませていますよ。

「蘇我入鹿暗殺」も本当は 
どのような意味で行われたことだったのか
いろいろな説が出されていて 

私のような妄想人間も はるか遠い
隅っこの方であれこれ妄想しては
楽しませていただいています。

大化の改新でもたらされた元号は 
今でも使われていますし これからも
日本がある限り 続いていくことを
願ってやみません。

そして最期は清和天皇で 
崩御されたのは881年のことでした。

清和天皇の御世は平安時代の初期に当たり 
まだ唐風の様子が色濃い時代です。

天皇や公達 そして女性たちの
お召し物も唐風のものだったはずで

ちょうどこのくらいの頃に作られたっぽい
「竹取物語」も もしも挿絵があったら

かぐや姫の装束は唐風の どちらかと言えば
「竜宮城の乙姫さま」のような
姿だったのではないかなと 推測されます。

平安時代は400年もありましたし 
日本独自の国風文化が花開くのは

菅原道真公が遣唐使を廃止した
894年以降で 私なんかざ~っくりと
900年ごろからだよね~って 
覚えることにしてます。

当然ですが 文化文物が急にころっと
変わるものではないですからね。

お手本が入って来なくなって 
さあどうしましょう…と、考え始めるので。

それでもずううっと後の世まで公文書は 
漢文だったりしましたけど。

清和天皇といえば 私の大好きな
在原業平さんのお友達 惟喬親王
(これたかしんのう)の異母弟です。

惟喬親王は清和天皇が第四皇子として
誕生された時 すでに6歳でした。

でも母君が藤原家の出身ではなかったため 
第一皇子だったのに
皇太子になることはできなくて 

わずか生後8か月の赤子が
「東宮」として立太子されました。

天皇に即位できるのは 一人だけですからね…。

そうそう京都の祇園祭が始まったのも 
ちょうどこの清和天皇の御世でした。

崩御される5年前に陽成天皇に譲位され 
その後出家されていました。

病気になったとはいえ 30歳という
若さでの崩御は早すぎるのでは…。

そのかわりと言ってはなんですが 
清和天皇のお血筋は繁栄して 
いわゆる「清和源氏」として
多くの武家を輩出しています。

たくさんいらした皇子さんたちが 
臣籍降下され源氏や平氏といった
姓を名乗り、またそれぞれ
子孫が栄えていったのでした。

このように昭和天皇の
ご先祖さまにあたる方々も 
同じ日に崩御されていて

ずーっと続いてきているからこそ 
こういうこともあるのかなあと。

偶然にしても4人の天皇が同じ日付で 
崩御されているというのは 
少し多いような気もします…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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