7月15日、無人の列車が暴走?!「三鷹事件」

三鷹事件 障子窓

 
三鷹事件
 
今日 7月15日は1949年に 
当時の国鉄中央線三鷹駅の構内で 

無人の列車が暴走して脱線転覆する
という事件が起こった日です。

車庫から出てきた7両編成の列車が 
下り線に入ってきて
そのまま車止めをぶっ壊して突き進み

沿線にあった商店街に突っ込んで
脱線転覆して止まりました。

時速60kmとか書いてありますが 
車庫から出てきた列車って

そんなにスピード出して構内を
走るものなんでしょうか?

無人とあるけれど 例えば 当時の列車の
構造か何かで人が適切に制御しないと
スピードがどんどん上がってしまう…とか?

私は鉄道はど素人で 乗せて運んで
もらうだけの乗客なので全然わからなくて 
余計にもどかしい思いがするのですが…。
 

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不満分子の腹いせみたいな事件…?

 
残念なことにこの事故で
死傷者が多数出てしまっています。

事故は午後8時半ごろ起きていますので 
商店街に居合わせて列車の
下敷きになり5人が亡くなって 
けがをされた人が20人にのぼりました。

捜査によって当時の国鉄労働組合員で
共産党員でもあった10人と

人員整理によって国鉄を解雇されていた 
元運転士の竹内景助という人が
共同謀議の犯行として逮捕されました。

時代が時代ですので 取り調べは
ドラマみたいだったのかしら。

この竹内景助という人は共産党員では
なかったのですが
解雇されていた、計画性がない、
人的被害まで想定していなかったなどが

酌量されたとかで 東京地裁では
無期懲役の判決が出されています。

そして共産党員らは共謀して
いなかったとして無罪でした。

当時から公安の監視対象だった組織の人が
無罪で そうでない人が有罪って
どのように解釈すればいいのでしょうか?

しかし大手新聞などが 被害者や遺族などの
観点から批判したので 検察側が
全員の有罪を求めて控訴しました。

ところが東京高裁は竹内さんだけに
死刑を言い渡し 他は無罪が確定しました。

さらに最高裁でも死刑判決が
下されてしまいました。\(◎n◎)/!

この時東京高裁では書類による審理だけ 
最高裁では口頭弁論も開かれず

死刑判決を下しているそうで 
昔とはいえ随分なやり方だったんですね。

地裁なら時として乱暴とも思える判決が
出ることがありますけれど

この事件に限っては 高裁や最高裁の方が
こんなやり方をするなんて… 

ちょっと有り得ない展開で 
被告人でなくても納得しかねますよ。

きちんとした審理が行われた上での
判決ならば まだ納得もするでしょうが

思い切り 手を抜かれた上に
「臭い物にはフタ」よろしく 
テキトーに切り上げられてしまったとしか 
思えない状況ですよね。

しかも無罪と死刑なんて
差が大き過ぎやしませんか?

これでは上告した意味がないどころか 
しない方が良かったくらいです。
 
 

とんでもない判決の上に…

 
実はこのころ竹内さんは 
無罪を訴えていたそうですが

1967年に 脳腫瘍のため獄中で
亡くなってしまいます、45歳でした。

なんだかもやもやしますね この事件。

地裁の判決は情状酌量されているので 
取り調べ段階でも公判での罪状認否も
罪を認めていたと想像できるのですが 

時間が経過するにつれ 無罪を訴え始めた
ということは心情の変化がうかがえます。

何が心情の変化をもたらしたのか…。

「俺だけ有罪かよ? しかも死刑だと?!」

同じような境遇に立たされた
複数の人間のうち一人を除いて

他の全員が自由を得るなどした場合 
自然な感情として
何でおれだけ…と感じると思います。

共謀はなくても 巧みに「利用された」
可能性は否定できませんよねえ。

直接の接触はせず 
息のかかった第三者などを介して 

不当解雇だとか何とか 少しずつ
負の感情を植え付けて焚きつけるとか…
まあ立証は極めて困難ですが…。

無罪になった人たちだって バリバリの闘士か
共産かぶれ程度かわかんないけど

立派な国鉄職員だったのだから 
列車についても熟知していたはずですよね。

どうやら列車に細工がされていたみたいだし 
竹内さんに有利な証言もあったのに

取り上げてもらえなかったりと…
何だか釈然としないのよね…。

確かに人的被害も出してしまい 
重大な結果を招きましたが

本当に竹内さんの単独犯という
確たる証拠でもあったんでしょうか。

ただ最高裁の評決は 8対7の1票差
というものだったそうで この点も 
当時かなり物議をかもしたそうです。

何だか強引に幕引きをしようとした感じが
するのは気のせいですかねえ…。

一人をスケープゴートに 後は全員で知らん顔 
のうのうと生きてきたということ。

こういう破壊活動をする あるいは
目論む連中はこんなことをして 彼らに
何かいいことがあったんでしょうかねえ? 

いったい何がしたかったのでしょう?

もしかしたらどこからか ご褒美でも
もらっていたのかもしれませんが…。

もしも竹内さんが病に倒れなかったら 
どうなっていたでしょうかねえ…?

都合よく(?)竹内さんが病気になったので 
幕引きが早まったのかもしれません。

そうそう拘置所では脳腫瘍のせいで
激しい頭痛に襲われていたのに

適切な治療を受けさせて
もらえなかったそうです。 

ちょっと…やり過ぎじゃないの。 

この点については 竹内さんが
亡くなった後になってからですけれども 
国から遺族に慰謝料が支払われたそうです。

でもやっぱり 色々と
もやもやが止まらないわあ…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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