七十二候 水泉動(しみずあたたかをふくむ)

水泉動

 

今日は七十二候 水泉動
(しみずあたたかをふくむ)にあたります。

どこにも暖かいを意味する字が
入っていないんですが…。

これでかっこ内のような読み方を
させるのって かなり無理があるのでは?

まあ仕方ないですねえ…
壁に向かって文句を垂れているようなものなので
気にしないことにして先に進みましょう。(~_~;)

字は入っていませんけれど
言わんとすることはわかる気がします。

実際に湧き出している水というのは
一年を通して水温がほぼ一定です。

なので触ると 冬は気温よりも
温度が高いので暖かく感じられ
夏は低いので冷たく感じる…のでしたね…。

同じものを触っているのに
外気温の差で体感が変わるわけです。

おまけに長時間の濾過作用で
とてもきれいな水ですよねえ…。
 

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水、豊かなり 我がふるさと

日本は山が多い上に
たくさんの雨が降ります。

雷雨のように一気に降る雨は
表面を流れ下るのも早いですが

静かに穏やかに長い時間降る雨は
やっぱり静かに少しずつ
長い長い時間をかけてゆ~っくりと
地中に染み込んでゆきます。

もちろん普通に流れている川からだって
染み込む水はあるでしょう。

あまり詳しくないので
確かなことは言えませんが 恐らく
気化する水分よりも 地中に入る
水の方が量としては多いのでは…?

そういう水が これまた途方もない
時間をかけて 地下に集まってきます。

また一部は地表に湧き出すなど
するものもあるのでしょう。

特に大きな山や連峰の中腹から
麓(ふもと)などには 伏流水といって
豊富な湧き水をたたえる場所が数多くあります。

大昔からの自然の貯水池が
地下にあるようなものですね。

降水量も多いですし 大昔からの地下の
貯水池にも豊富な水がある…日本は本当に
水に恵まれた豊かな大地を持っていますね。

たくさんの火山もそれらの水を
勝手に温めて温泉にしてくれますし

正真正銘の災害列島ですが
それと同じくらい恵みもあります。

 

水の存在は 自然とほぼ一体

昭和の初期くらいまでは
飲み水のほとんどは井戸か泉でしたから
毎日水を汲むので 清水が井戸の場合などは
特に感じるものもあったでしょう。

また茶の湯などもこだわって
楽しむ向きは わざわざ名水を汲みに
行ったりするのではないかなと想像します。

あと意外なことに神社などには
湧き水が多いのですよ。

命の源である水が湧き出す場所は
人も動物も自然に集まるでしょうし
そういう場所に何かを感じ お社などを
置こうと思っても不思議はないです。

大地には目に見えない力の線が
走っているそうで そういうものが
交差する あるいは集まるような場所に
神社やお寺があるそうです。

毎日使う水の感じ方で 季節を思うなんて
のんびりしてておおらかで
豊かな感じがしていいなと思います。

何というか自分たち人間も自然の一部なのだと
自覚していて 自然の摂理に合わせて
生きていたような そんな感じがするのです。

みんながそうだったから 特別認識は
していなかったかもしれませんが。

今ではそういう感性を
どこかに置き忘れてしまったのかな…。

 

感覚を研ぎ澄まし 伝える

私たちの感覚ではかなり不便に感じることも
それが当たり前だったころには 決して
不便とは思わなかったのだろうと思います。

水が冷たいのは当たり前だけど
そういう中でわずかな季節の移ろいを
掬い取っては実感していたのでしょう。

あるいは冷たい水の中に
ふと温かみのようなものを感じた時

そんな時期かねえと まだ兆しでしか
ないけれど 春の訪れを心待ちに
していたのかもしれません。

新しい年を迎えておめでたい中で
春を先取りしたい気分でしょうか。

今よりもずっと自然が身近だったころは
人々の感性も豊かだったので わずかな兆しも
逃さずに あるいはきちんと感じ取ることが
できたのかもしれません。

身近だった自然をしっかり観察して
記録や記憶を残すことは 生きて行く上でも

大切な指針と成り得ますし
必要なことだったのでしょう。

そしてそういう大切な指針をしっかりと
暦のような形で残して 感覚の共有というか
確認というか 目に見えない季節の移ろいを
感じていたのかもしれません。

今でこそ どうしてこの字で
こう読むでしょうか?に
なってしまっていますが

言われ始めた頃は それでよかったのかも
しれませんし 時間が経って伝わるうちに
変化してしまったのかもしれません。

いずれにしても字面にこだわらず
ゆる~い感覚で捉えておきましょ。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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