今年の「春分の日」は今日なのだ

春分の日

 

今日は太陽が「春分点」に巡ってきて
昼間と夜の長さが同じになる
「春分の日」そして「お彼岸の中日」です。

太陽暦では「春分点」の今日が
すべての起点になるんですよね。

でもって その太陽暦を
おっ始めた教皇グレゴリオさんも
その前から使ってたユリウス暦を
作ったシーザーさんも住んでいた場所は
欧州でしたので 緯度が40度を超えていて
昼と夜の長さが同じになることは
ほぼなかったと思われます。

「春分」と「秋分」に昼と夜の長さが
同じになるのは中緯度帯だけなのです。

ただシーザーさんは 一時期
エジプトにいたことがありますね。

当時から有名だった女ったらしが
入り浸っていたのですから
クレオパトラさんは本当に
「いい女」だったんでしょうね。
 

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計算で導き出すとか すごいんですけど

彼の地は歴史も古く 数学が
得意だったりする知の都でしたし
都のアレクサンドリアも日本と
ほぼ同じくらいの中緯度帯に入ります。

しかも太陽を神と崇めていた
人たちの子孫ですし 現地の人々は
太陽が「春分点」を通過する時は
昼間と夜の時間が同じになると
知っていたのではないかと思います、たぶん。

ですが 占領したローマ人が
現地の暦など顧みることなんて
なかったのではないかなあと…

ローマ人も自国の文化には
大いに誇りを持っていたでしょうから。

そしてこのローマ帝国でこのあと
1500年以上にも渡って使われる
カレンダーのユリウス暦を作ったのですね。

これも一応は太陽暦なのですが
「閏日」とか「閏年」とかをちゃんと
入れてなかったもんですから

グレゴリオさんの時代には
すんごくずれてしまって
とても使いにくくなっていたのです。

グレゴリオさんは教皇でしたし
たぶんバチカンから外には
出なかったのではないかと…
あ 当時はローマにいたのかな?

それともどこか(ローマから見て)
辺境の地の出身だったり…しても
欧州ならほぼ一緒だし そんな田舎者が
教皇になれる理由がないよねえ。

どのみち 当地では太陽が「春分点」を通っても
昼間と夜の長さが同じに
なることはなかったと思います。

まー、実際は私が知らないだけ
かもしれませんけど…。(^^;)

地中海に突き出た ハイヒールをはいた
女性の足みたいな形のイタリア。

ここも昔から都市国家の集まりで
互いに激しい攻防の歴史があります。

温暖な場所というイメージを持っているのですが
実際には思いの外 高い緯度にあるんですよね。

まあ「春分の日」に昼と夜の時間が
同じになることを知らなくても
太陽暦のカレンダーは作れますので
どうでもいいことなのですが

もしも白人さまたちが知っていたら
また別の意味で 面白かったかもしれないなあと
ムダな妄想がさく裂している最中です。

 

「春分」を日の長さで実感できる場所

ともあれ カレンダーの起点となる
「春分」はとても大切な日です。

日本では「お彼岸の中日」として
わざわざ休日にしていますし
みんなでご先祖さまや送った人を
偲びましょうということですね。

私は もしかすると仏教より以前から
あった八百万の神さまの祭祀などでは
「春分点」のこと知っていたかも
しれないと妄想していますよ。

何のためのものなのか解明されていない
古い遺跡のような構造物の中には
日時計みたいな使い方をしたものだって
あるかもしれないと思うので。

英国の「ストーンヘンジ」なんかは
巨大な日時計といわれていますよね?

「春分」と「秋分」には
真東に当たる場所から日が昇ることが
確認されていますので。

小難しい理屈はわからなくても
毎年必ず同じ場所から朝日が昇る
こういうのって どこの地域でも
とても分かり易い指標になりますから。

妄想はどんなことを思っても自由だし
何も要らないので…。

私の住んでいる地域は この時期は
まだ肌寒いことも多いのですが

陽だまりの草たちが土のあちこちを
緑色に染め始めたりするなど
だいぶ春めいてきて うれしくなります。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが
冬の寒さが厳しい土地柄ゆえか 春の歩みは
本当にじれったいくらいゆっくりなのです。

そうそう私は田舎者なので 公立の学校しか
知りませんが 昨日あたりから
ほぼ一斉に春休みに入ります。

そしておよそ二週間ほど経ったころ
ピッカピカの一年生が真新しくて
でっかいランドセルを背負って
登下校する姿を見かけると
やっと春が来たなあと実感します。

今年もそんな春がもうすぐそこまで
来ていますね。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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