七十二候 虹始見(にじはじめてあらわる)

虹始見

 

4月15日ごろは 虹始見
(にじはじめてあらわる)のだそう。

え?そうだっけと思って虹を調べてみましたら
大気中の水蒸気の量とか漂っている位置など
空気の条件と太陽の位置などの条件が
合わないと 虹は見えないんですね。

春はよく霞がたちますけれど
これは大気の暖かい空気と
冷たい空気がぶつかって
境い目付近で結晶になります。

そうすると人間の目にみえる
大きさまで成長するなどして
遠くの景色を隠してしまうのですね。

私は霞や霧とか風情があって
好きなんですけどねえ。

ただあまり濃い霧は どうして
そう感じるのかよくわからないのですが

見慣れた風景の中にいても
そこはかとなく恐怖を覚えます…。
 

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虹や雲 霧に霞 ほぼ共通の原因

雨上がりもそうですが
空気中に細かい水蒸気の粒がたくさんあります。

そこへある条件の角度から光が当たると
細かい水滴一つ一つがプリズム(分光器)の
役割を果たし 光を分解して反射します。

反射した光を見ているので
虹として見えるのは光を背にした人
あるいはそういう位置からだけなのです。

空気が冷たく乾燥気味な冬は
そもそも大気中の水蒸気が少なめですし
きれいに太陽の光を分解して
くれそうもないですね。

そういう気象条件から 少~しずつ
暖かい空気が入ってくるとか
あるいは気温が上がるなどして
大気が潤い始めると 春~!

で、凍てついた雪から雨になると
さらに水蒸気が増えていって
優しい雨は木々を冬の眠りから
目覚めさせ 花を誘います。

そして桜前線が日本を駆け抜け
一斉に新芽の準備で 春本番~~!

そんな頃の雨上がりに
虹を見られることが多くなるので
七十二候では 今頃を虹始見
(にじはじめてあらわる)としています。

昔の人たちは 本当によく観察していますね。

虹は儚いですけれど それだけに
美しくてずっと見ていたいです。

でも虹として見えている時間は
とても短いのが現実で 悲しいのです…。

本当に儚いという字 そのものというか…
儚いという字が直球すぎるというか。

人の夢と書いて 儚いとか…
ちょっと悲しすぎる…。

気象条件云々の理屈はそれとして
きれいなものをきれいだと感じられることが
大切なのかな…とかいって
自己弁護をしておこうと思います。(^^;)

私は子供のころから暇さえあれば
ぼんやり空を眺めるのが好きでしたが

親などには ただのサボリにしか
見えなかったようでよく叱られました。

空は雲の形が絶えず変化していて
二度と同じ光景を見ることは
できないのに…と思っているのは
たぶん今でも私だけでしょうねえ…。

 

虹始見のころ やっと暖かくなる

私の住む地域でもようやく
外仕事が始まる頃になります。

夏野菜の種をまいたり 苗を植え付けたりと
どちらかと言えば下ばかり向いているような
気がしないでもないです。(笑)

そんな中で ぼけ~っと空を見上げていたら
やっぱり悪目立ちするかも…。

でもね 他の人は作業に夢中で
下を向いているから へ・い・き・さ。

人をさぼりと見とがめる
あなたの手だって止まってる。ぷぷぷ…

冬が長いので ハウスなどを使って
専業で農業をされている方以外は
この時期まで外仕事は
できないため 何もしません。

やっと暖かくなったから 苗などを
植えるのですが 実は5月ごろまでは
「遅霜」の心配があり 備えなくては
ならないので余計に面倒です。

自然と植物を相手にするのは
根気と労力が必要で やっぱり下ばかり
向いてしまうことが多いです。

それでもきちんと手をかけてやれば
植物たちはちゃんと答えてくれるし

その点は励みにもなるのですが
天候ばかりはどうにもなりません。

実は私の苦手な暑さが 野菜たちには
必要だとわかっていても
やっぱり涼しい夏がよくて
涼しくあってくれと思ってしまいます。

寒冷地仕様は 植物さんたちの
天敵なのでしょうか。

少なくとも温暖な気候を好む植物には
評判が悪いことでしょうね。

食べることは好きなのに
これではよろしくないなあと思う気持ちは
虹のごとく儚かったりするのです。でへ。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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