七十二候 葭始生(あしはじめてしょうず)

葭始生

 

今日は七十二候 葭始生
(あしはじめてしょうず)を取り上げます。

ちょうど二十四節気の穀雨も
同じ日ですが だいぶ気温も上がって来て
水辺の葦も芽を出すころという意味ですね。

本当にようやくほっとできる
陽気になってきました。

「あし」の字が違いますけれど
無事に変換できているでしょうか。

長年 不思議に思いながら
きちんと調べることもせずにいたので
今回ようやく知ることができたのですが…

「あし」とも「よし」とも読むし
どちらでも正しかったのね。

ただ本来は「あし」だったけど
音がよくない意味の「悪し(あし)」と
同じだったもんで いい音も
付け加えちゃったという…。

いかにも「言霊の幸う国」らしい
柔軟な発想で 言葉を大切にかつ

良い意味の音を使いたいという
思いを感じますねえ。
 

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あしでもよしでも オッケー!

「古事記」では「豊葦原の瑞穂の国」と
自称していましたから 昔から日本には
た~くさんの葦があったのでしょう。

実際日本人の生活に深く根を下ろしていて
今でも使われていますから。

私も「よしず」には毎年お世話になっています。

直射を避けながら風も通り
非常に快適な日陰を得られます。

本当によく考えられていますよね
まさに生活の知恵。

戦後の浅はかな乱開発の影響で 一時は
その群生地もだいぶ減ったようでしたが

水辺に葦があることで自然の浄化作用が確認され
その価値が見直されるなど あらためて
植えられるなどして「葦原」の復活が
なされてきました。

日本人は自然に手を加えながらも
適度な距離感で生活してきました。

圧倒的な力ですべてを破壊し尽くす
自然の猛威の記憶が DNAに刻まれているので
自然を克服する対象とは微塵も考えなかったのです。

反対に 壊されても潰されても焼かれても
芽を出してくる植物たちの力を
自分たちの生活に取り入れ
活用して来たのだと思います。

人類の歴史をざっくり振り返ると「文明」と
呼ばれる発展を遂げるのに重要な場所の共通点は
多くの場合 大河のほとり「水辺」だったりします。

日本の場合は水が豊かであるという意味で
やっぱり「水辺」が多くて そこには「葦原」が
広がっていたのではないでしょうか。

弥生時代に入ってきた「稲作農耕」には
うってつけの場所だったと。

長い間にはせっかく作った治水施設も
自然の猛威にぶち壊されたことが
数限りなくあったと思いますが

その度に今度は壊れないように
何とかしようと立ち上がって来た
ご先祖さまたちの姿が想像できます。

欧州では「葦」というのは強い力になびき易く
あてにならないものの例えとして使われる一方
上手に受け流す強かさの面も理解されています。

パスカルさんの「人間は考える葦である」
なんてのはそんな「葦」の両面を人間に
なぞらえているのかもしれませんねえ。

 

人間の生活を根底で支えてくれた葦

「葦」に話を戻しますと 地下茎を伸ばして
繁茂していくのですね。

ですから根っこの周りに土が溜まり易くなって
来年も残っている根から
また芽を出すという多年草の仲間です。

同じイネ科の稲とは根っこの形が
かなり違いますが 茎や花の穂などの形を見ると
ああ似ているなあと思う点はいくつもあります。

とても背高のっぽで 夏が暑いほど
生育がいいそうです。
それから茎の中は空洞なんですって。

だから長くなるのに軽量で 強い川風を受けても
上手に受け流せるのかも。

水辺にある草たちが風にそよぐ姿は
見ているだけなら 涼しげで好きなのですが

「葦」の場合はそれだけじゃなくて
根もとの環境を浄化してくれたりとか
とてもありがたい存在だったのですね。

秋 稲刈りが終わった後 河原で
「葦刈り」をするのが風物詩だったそうで

そうして刈り取った「葦」で
屋根を葺き直したり よしずを編んだり
繊維から紙をすいたりもしたそうです。

忘れてはいけないのは「葦船」なんですが
世界の古い伝承になぜか共通する
大洪水の話に出て来ますね。
(大元はどこでしょうねえ?)

よその国の「葦船」は種類が
若干違いますけれども 仲間です。

そうそうエジプトのパピルスも
「葦」の仲間だそうですよ。

楽器も作っちゃってますねえ、
「葦笛」とか西洋の木管楽器の振動部分を
「リード」と言いますが まさに「葦」の
ことだったりするのです。

古今東西 人間との関わりが
とても深い植物なのですね。

日本人の役に立ってくれているからこそ
七十二候にも入れたのでしょう。

風情ある景観のためにも
大切にしていきたいものです。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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