「中秋の名月」今年は今日!なぜ月を拝むの?月と日本人

中秋の名月 暦・季節

 
中秋の名月
 
今日は「中秋の名月」十五夜に当たります。

旧暦の8月15日のことなのですが
満月の夜を十五夜といいますね。

月がおよそ15日毎に満ち欠けを繰り返すので
これを見てのことでしょう。

ちなみに「中秋」は「仲秋」とも書きます。
これらは中国の「暦」でそれぞれ季節を3つに
分けて呼んでいたことに起因するそうです。
旧暦の7月を初秋、8月を中秋、9月を晩秋と。

で、およそ1ヶ月ほど「ゆらぎ」があるので
中秋はちょうど今ごろに当たるわけです。

空気も澄んできて月もきれいに見えるし
ちょうどいいんでないかい。

結論から言っちゃうと かなりざっくりですが
「中秋の名月」を愛でる由来は
月の満ち欠けを 実際の事象になぞらえ

成長や実り そしてそれらへの感謝をしてきたと
捉えるのがよさそうです。

長く続いてきたように思いますので
途中でいろいろなことがくっついてきて
今に伝わっているのだろうなと…。
 

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「中秋の名月」今年は今日! なぜ月を拝むの?その由来は?

 
月を拝むとか書いといてナンですが
眺める、愛でるの類でほぼ間違いないかと。

明るい月を見上げて 古えの人々は
この月に何を思ったのでしょうか。

「暦」を日本に持ち込んだのは
たぶん遣隋・唐使さんたちの成果でしょう。

ですが これだけ目立つ星を日本人だって
気が付かないはずはないとも思うのです。

想像の域を出ませんが 古くから月を愛でることは
していたのではないかなと思います。

その時々の月の姿に 様々な事象をイメージして
喜びや感謝を表わしてきたのかもしれません。

だからこそ大陸からもたらされた「暦」というものに
すんなりと感覚を添わせることができたのだろうと。

月を愛で いつしか間もなくやって来る
収穫が豊かであることを願うように
なっていった… ごく自然な感覚に思えます。

時期的にイモやクリなどの収穫時期にも当たるので
「芋名月」なんて呼ばれ方もあります。

日本人が普通にやってる「感謝すること」が
月に向いたとしても これまた普通のことでしょう。

もちろん「観月の宴」なんて優雅なことは
お百姓さんや庶民には無縁だったかもしれません。

ですが江戸時代くらいまで下って来ると
庶民の間にも広まってきていたようです。

日々のカレンダーが月を基準にしていたので
連綿と続いて来たのです。
維新後に明治政府が太陽暦に変えるまでは…。

天体事象には「ゆらぎ」がつきものですので
毎年同じ日に「中秋の名月」を
迎えるわけではありません。

ちなみに昨年は9月13日でした。
これを面倒な!と思うか まあいいじゃんと捉えるか
う~ん…どちらもアリということで。

私は季節になったら探してみる派ですけど。
 
 

「中秋の名月」今年は今日! なぜ月を拝むの?どんな行事?

 
日本人の「願い」「祈り」「感謝」が
混然一体となって 形として
受け継がれてきたのではないでしょうか。

実際中国でも受け継がれていますが
長い時間が流れているので
本家とは違って かなり日本の
独自色が強くなっているかもしれません。

とりあえず日本では 月のよく見える場所に
月見台なる台を用意してそこに御団子と
すすきなどの花を供えします。

田舎ですと河原などにありますけども
わざわざ買って揃えるほどのことも
ないような気がします…。

もちろんあった方が気分は上がりますけど。
で、みんなで月を見上げる…と
そんな様子が浮かびますね。

わざわざ台なんて用意しなくても
キッチンのテーブルをちょいと
窓際に移すとかでもいいのでは?

要するに「中秋の名月」を
見られればいいわけなので。

御団子は満月を模して真ん丸な形が
多いようですし 数も十五夜になぞらえて
15個とかにすることが多いみたい。

ただし全部いただくのがお約束ですって。
月見団子も お雑煮並みに地域色が満載でしょうね。

うちの方はただの上新粉を丸めた
普通の御団子ですけども。

きれいな満月の光を浴びながら
ひんやりしてきた夜風に当たる…
結構気持ちがいいかもしれません。

昔の人でしたら これからお米の収穫が
本格的な作業に入る時期なので
鋭気を養う意味もあったりして…?

季節の行事とか 法要、神事とかっちりとした
心持ちで行うのももちろんアリです。

でも敬虔でも信心深くもない私の場合は
なあんにも考えず ただ月を眺めるだけ。

たまにはのんびり夜空を見上げて
果てしない宇宙に思いを馳せるのも
よろしいんじゃないでしょうか。

月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月
詠み人知らず
 
 

「中秋の名月」今年は今日! なぜ月を拝むの?月と日本人

 
夜空でも特別に目立つ存在である上に
毎日大きさが変わりますからね 月は。

やっぱり何で?どうして?という好奇心と
不思議に対する探究心でもって
観察をする人は していたと思います。

つくづく残念に思うのは長い間
「文字」を持たなかったこと。

縄文時代くらいまで遡れば今日まで含めて
余裕で2万年近い歴史を持っているというのに…。

当然 その頃から月は夜空にありました。
太陽と同じで光っているし 移動します。

日ごとに昇る時間と姿を変える不思議な星に
見えたでしょうし 気づかないはずがない。

もしかしたら縄文の人々も
「中秋の名月」の「お月見」を
楽しんでいたかもしれませんよねえ…。

あ?そんな文化的な時代じゃないでしょと
思われましたか?

では文化が育つ条件や背景を考えてみましょう。

縄文の遺跡からは「対人用の武器」が
ただの一つも出土していないそうです。
とても長い時間 平和だったことが窺えるとか。

少なくとも私は「縄文は狩猟採集の時代だった」
と学校で教わりましたので この話を目にした時
え、ほんと?!と思いました。

諍いや揉め事などはあったかもしれません。
ですが痕跡からは「武器を手に人間同士が戦う」
ようなことは無かった…としかいえないのです。

人間が集団で生活をしていたはずなのに
1万年以上も戦争が起こらなかったとか
ちょっと考えにくいことですよねえ…。

そうです、文化が育つには「平穏で豊かな生活」を
「一定期間続けること」が絶対条件なのです。

芸術が爆発したみたいな独特の土器、
硬度の高い石を加工して 装飾品にしていたこと
硬い実がなる樹木を 畑のように
栽培していたらしい不思議な農業…。

現状の出土品から見るに 文化の育つ条件は
満たしていると思われます。

乱暴な発想だと思われるかもしれませんが
私は縄文の人々も日本人だと思っています。

だって…大陸のように人間がごっそり
入れ替わったりしていませんから。

縄文の人々もみんなで「中秋の名月」を
「お月見」していたのでは…?

仲間と楽しいひと時を
過ごしていたのではないかと
妄想が爆発しているのです。

もしも文字があったら その様子を現在に
伝えることができたのになあ…。

もしかするとあったかもしれないけれど
伝承されなかったため失われたのでしょう。
もう元に戻すことはできません。

それは今私たちが当たり前のように
思っているものだって 同じです。

きちんと継承していかないと
失われてしまうのです。

まあ…「中秋の名月」とか「お月見」など
楽しいことは 放っておいても
続いていくと思いますけどね…。
 
 

まとめ

 
何てざっくりな話なのでしょうねえ。

でもね 長く受け継がれてきたことって
そんな受け止めでいいのではないでしょうか。

もちろん知っている方がいいけれど
知らなくたってそんなに問題はないかなと。

夏が過ぎて 空気が澄んでくるこの季節
煌々と輝く月を愛でる心

月の光の中で感謝と祈りの心が
生活の中に溶け込んでいる…

どうして始まったのかわからなくなるほど
昔からそうしてきたのですよ。

杓子定規にあまり小難しく考えないのも
日本らしくていいんじゃないかと…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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