七十二候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)によせて

枯れ葉と夕暮れ 暦・季節

 
枯れ葉と夕暮れ
 
蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)で
思ったことを書きます。

わりと最近になって知られるようになりましたが
「虫の声」を愛でるのは日本人だけのようですね。

感性の一つでしょうか。
平安時代から「虫愛でる姫」とかいました…。

個人的には「虫愛でる姫」は
ジブリ映画「風の谷のナウシカ」の
ヒロイン ナウシカなんじゃないかと
思っているのですが。

…あ 彼女は虫に魅入られてるのか…。

蟋蟀(きりぎりす)も平安時代からいたのかしら?

もっともこの七十二候の蟋蟀は
コオロギさんのことらしいですが。

ともあれ 声(というか音)を
出す虫は 好まれたのかも…。
 

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平安時代から虫を愛でてきた日本人

 
夏の暑い盛りが過ぎた頃
暗くなると 庭の草むらからいろいろな
「音」が聞こえてきて不思議に思ったのでしょうね。

しかも「音」の主ごとに 少しずつ違う
虫だったりしたのでもっと驚いたかも。

これらの「声」がラブコールだと
いつから気が付いたのかなあ?

きっと自分たち人間になぞらえて
かなり親近感を持ったのではないでしょうか。

日本人の感性として 命が短いとか
儚いものに 感情移入が激しいので

時としてきれいな音に聞こえる
「声」を発する虫たちには 一層
気持ちが入っていったのかもしれないですよね。

高い音では 儚げで哀愁を帯びていて
秋の寂寥感をかきたてられるのです。

大勢で大合唱するように
騒ぎ立てる風でもないので
寂しさを我慢して がんばってるような
ちょっと意地っ張りというか
やせ我慢というか そんな感じも
好まれる要素ではないかと。

比較的長い期間 鳴き続けますから
虫本体を探すこともできますし
「虫愛でる姫」のように
捕まえて 観察することもできたでしょう。

小さな虫にも命を感じ それを
愛おしむ心は非常に大切だと思います。

そうそう平安時代は 人の命さえ
儚いものと捉えられていましたから

小さくて弱い虫ならなおさら
その感覚は強かったでしょう。

そして最も大切なことは 人間が自分たち以外の
小さなものや弱いものに目を向けるようになるには
平和で安定した生活を送れる環境が必要です。

そうでなければ周りに目を向ける余裕など
ないはずですから。
そのことが大きいと思います。
 
 

七十二候は江戸時代だと思いますが…

 
わざわざ平安時代から起こしているのは
やはり日本人が日本人たる元になっているのは
平安時代だと思うからです。

一口に平安時代と言いますが400年ほどあります。

小競り合いの戦や疫病などもあることはあったでしょう。

たぶん台風は毎年来たでしょうし
大きな地震や火山の噴火も…。

ですが全体として 平和に推移し 概ね
この時代に日本の基礎が作られたのだと思います。

特に「国風文化」になってからは
内向きになったというか 海の向こうを
気にすることなく自分たちだけの世界観で
生活することができました。

人間が長い時間を平和に過ごすと
「文化」が育まれるのです。

私たちは直近の江戸時代を振り返りますけれども
大元を辿れば 平安時代に行き着くのですね。

この時代が文字通り「平安」でいてくれたことに
大変 大きな意味があります。

間にあった室町とか戦乱の時代であっても
平安の文化が根っこのところで
受け継がれてきたので結果的に江戸時代があると…。

そしてその平和で穏やかな江戸時代には
暦の中に日本独自の解釈や自然の様子が
取り入れられて現在に至るわけです。

あれれ 蟋蟀から随分離れちゃった。ぷぷぷ…。

今頃を「蟋蟀在戸」としたのは
身近にある小さな生き物の行動で
捉えどころのない季節の移ろいを
見つけようとした結果ではないでしょうか。

にぎやかに鳴いていた虫たちも
徐々に声が静まり 思いがけず
家の中で蟋蟀の姿を見かける…
そんな時期になったんだな…と。

巡る季節を感じ取るには細やかな観察と
そこに何かしらの気持ちの動きがないと
続かないことだと思います。

それから共通する認識も必要になるでしょう。

日本人が 特別虫さんに詳しい
わけではないと思いますし
異常に虫が好きなわけでもないと思います。

とにかく身近であったこと
実際には姿は見えないけれど
独特の「声」がしてそれに興味を持ったこと

そして平和で 穏やかな暮らしがあり
ほぼ毎年同じ時期に「声」が聞こえると
認識したことが大きかったのでしょう。

例えば欧米では気候や土地柄で
虫は少なかったのではないでしょうか。

たぶんセミさんはいたと思いますが
彼らのラブコールはちょっとやかましいですし
「雑音」に捉えられても致し方ないかも…。

日本では 虫を飼育して「鳴き比べ」の
ような遊びまでありました。

コオロギさんは よその国でも
戦わせて賭け事の対象になっていますけど。

「鳴き比べ」の場合は鳴き始めるまで
辛抱強く待ったんでしょうかねえ…?

夏にはセミさんが大合唱して
いたことと思いますので 引き続き
秋の虫も「音」に注意が向いたのでしょうか。

何気ないことを拾い上げ それをみんなで
盛り上げてしまう そういう感性こそ
「文化」であり 1500年以上の時間をかけて
育まれ磨かれてきた感覚なのです。
 
お読みいただきましてありがとうございました。
 

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