今日は醍醐天皇より弘法大師の名を贈られた日

弘法大師の諡号 障子窓

 
弘法大師の諡号
 
927年の今日10月27日は 
醍醐天皇から空海さんに「弘法大師」の
諡号(おくりな)が贈られた日なのです。

空海さんは835年 4月22日に
亡くなっているのですけれど

(おっと これは内緒なんですが 
空海さんは今でも高野山の奥の院で
生きておられるということでしたね… ^・^)

諡号(おくりな)が贈られたのは
それから80年以上も
経ってからでした。

どうしてなんでしょうね。

空海さんは讃岐佐伯氏の出身なのですね。

都に出てきて大学寮で勉強した…
辺りまでは分かりますが

当時の大学寮というのは 
朝廷に出仕してそこで
出世するための勉強を
したところだったようです。
(漢文とか中国の歴史とか)
 

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空海さんの知られざる修業時代

 
あれですよ 中国の科挙に倣って 
試験で出世を決めていましたから。

実は空海さん 私の大好きな
在原業平さんが子供だった
くらいの時代の人なんです。

業平さんは歌ばかり詠んでいたので 
出世が遅かったとかなんとか…。

あはは…その話はこっちにおいといて…。

大学寮とはそんな所だったので 
空海さんは何か違うと
感じたのかもしれませんね。

もともと人のために何かしたいと
志を持っていたようなので

次第に仏教に目覚め 
深く帰依したんですな。 

しまいには 山野で荒行・苦行の
修業を始めちゃうくらい…。

室戸岬の近くの洞窟で
修業したそうで その時

彼に見えていたのは
空と海だけだったので 
空海と名乗ったそうです。

そんな洞窟で空と海を見つめながら 
何を思われたのでしょうねえ。

いつ出家したのか 誰が得度したのかは
諸説あってはっきりしないとか。

つまりすごく高名な人ですが 
若い頃のことはよくわからないのですね。

大学寮に在籍していた時から
優秀だったからなのか 

本人が熱心で得度してくれた
お師匠さん辺りの推挙だったのか 
詳しい経緯は不明ですけれども

804年に突然留学僧として 
遣唐使に選ばれているのです。

国の予算で勉強に行く人たちを
選んでいるので 本当に
民間の僧侶でも選ばれたかどうか 
かなり疑問も残るのですよね…。

まあそれなりの後ろ盾が
あったのだろうと考えるのが
普通ですけれど…ねえ…。

この時の遣唐使は留学期間が
20年だって! 
ちょっと長くないですか。
 
 

満を持しての遣唐使

 
ご一行さまの中には 当時
すでにお寺を持っているほどだった
最澄さんとか

橘逸勢(たちばなのはやなり)さんなどが
一緒だったそうです。

この頃のみなさんが唐の国へ入ることを 
入唐(にっとう)といいましたが

はっきり言ってよくわからない経緯
(表現が悪くて申し訳ありません)の 
民間の僧に過ぎなかった空海さんが 

唐のえらーーいお坊さんに
めちゃくちゃ高く評価されてるんですね。

恐らくネイティブレベルの語学力と 
あらゆる仏教経典とか読み漁ってて

とんでもなく広く深い知識が
あったのではないでしょうか。

ものすごーーく優秀だったんですね。

たいへんな努力家でもあったと思いますが 
幅広い文物を集めて持ち帰っています。

「虚しく往きて 実ちて帰る」と
ご本人が言っているように 空海さんの
この留学は大変に大きな成果を
もたらすことになります。

私のような凡人からみれば 
遣唐使に選ばれるのだって
とんでもないことなので

「虚しく往きて」なはずはないと
思われるのですが…。

日本で修業した素地がなかったら 
唐でも通用しなかったと思いますし

空と海しか見えないような場所で
苦行を積んだからこそ 己を無にできて

乾いたスポンジが水を吸うように 
真言密教を収めることができたのですよ。 

当時最新の文化体系を 
ほぼまるごと持ち帰ったと
言ってもいいくらい。

しかもたった2年やそこらの滞在で 
やってのけたんですからね。

最初は最澄さんとも
仲良くやっていましたが 

やはり考え方の違いから
袂を分かつことになりました。
 
 

帰国後も多大な功績

 
ご存知の通り高野山に
金剛峰寺を建立し 総本山として
「真言宗」を開きました。

ご自分がさらに修業に励むために 
人里離れた山を選んで 
お堂などを建てたのです。

やがてたくさんのお弟子さんや
信者さんを獲得していきました。

今では大きな町が丸ごとあったりして 
聖地になっていますね。

大変な能筆家 つまり字が
上手だったことでも
知られていますよね。

「弘法も筆の誤り」なんて
いわれるほどですけれど 

やはり書けば書くほど
文字は整ってきますし 

若い頃から膨大な量の経典やら 
その注釈書やらを
書きまくっていますので 
上手にならないわけがないです。

筆文字は特に腕の運びの
感覚だけですので 

ひたすらトレーニングすれば
かなり上手くなるはずです。

実際筆でなくても 
キーボードばかりで
鉛筆やシャーペンなど 
手書きの機会が減ると 

自分でも驚くくらい字が
下手になりますから。(実感)

そんな偉大な空海さんに対して 
京にある東寺の観賢さんという
お坊さんが奏上(天皇に申し上げること)して
「弘法大師」の諡号を賜るのです。

開祖さまに諡号がないのはどうなのと 
思っていたのかもしれません。

だって866年には
先に最澄さんが「伝教大師」という
諡号をもらっていたので。

それはやっぱりいただきたいと
思うはずですよね。

日本の仏教に途轍もなく
大きな足跡を残した 
偉大な人ですもの。

少し遅くなってしまいましたが 
めでたしめでたし。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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