8月30日 極寒の富士山頂に測候所を私費で開設

富士山測候所開設 障子窓

 
富士山測候所開設
 
今日 8月30日は 野中 到
(のなか いたる)という気象学者が 
夏でも寒い富士山の山頂に 私費で
測候所を開設した日なのだそうです。

今はもう使われなくなってしまいましたが 

最初は気象学者さんの情熱と私費で
開設されたんですねえ、
1895年のことでした。

この野中さんのことは
「芙蓉の人」というタイトルで

映画やドラマになっていますので 
ご存知の方もいらっしゃるでしょう。

奥さんと二人で粗末な小屋で 
冬の観測をしようとしたんですね。

信じられませんよお 冬の富士山なんて
今の装備があったとしても
遭難するかもしれないのに…。
 

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吹きっ晒しの高山 怖くなかったのかしら

 
野中さんは今の東大を中退していますが 
同じ年(1889年)に別の2名の研究者が
富士山頂の久須志岳の石室で 

また麓(中腹?)の山中湖畔では
1名の研究者さんが38日間に渡って
初めて正式な気象観測を始めていました。

いつも仰ぎ見ている霊峰の気象は 
関心も大きかったのでしょう。

江戸時代には 富士山を信仰の対象とした
「講」があったくらいなので 
みんなが登りたいと思っていたのでしょうね。

信仰の方はともかく 場合によっては
夏でも雪をかぶっている様子は
不思議だと思われていたことでしょう。

このころ高地での観測所は信州にしか
なかったのだそうで

野中さんは無謀にも 富士山で年間を通して
観測をしようと思いました。

1895年の2月中旬 冬の富士山に
初めて登頂し 富士山の上で
越冬ができると確信して この年の夏に
測候用の小さな小屋を建てました。

ほどなく中央気象台の技師さんたちも合流します。

剣ヶ峰と言われるところで 風が強いけれど
雪がないので そこにしたんだそうです。 

きっと息もできない強風で みんな
吹き飛ばされてしまうのでしょう。

小屋とはいえよくそんな所に建てましたね 
周りは何もない吹きっさらしですよ?

転んだらそのままはるか下まで 
転がり落ちてしまうんですよ?

草の1本もない 灰色の砂みたいな
小石や礫 岩しかない荒涼とした場所ですよね。

ほとんどが火山灰や風化した溶岩の
かたまりだと思われますが 寒々とした風景は
麓から見上げる山のイメージとは全然違います。

9月には食料補給などのため 一旦下山しますが 
10月には今度は奥さんも
一緒になって登ってきました。

ところが栄養失調と高山病で
動けなくなってしまいます。

身体一つで登るだけでも難儀なのに 
例え食料であっても余分に荷物を持つことは
とてもできなかったのでしょうね。

おまけに10月っていったら 
富士山はもう冬ですよ 冬!

ほぼ遭難ですよね 本当に
よくぞ生きていてくれました。

野中さんの弟さんが12月(!)に
様子を見に来たところ 二人の
具合が悪いのがわかって 中央気象台の
技師さんたちも支援してくれて

二人を下山させ 麓の村で
療養させたのち 東京へ返してやりました。

野中さん夫妻の決死の行動は 
残念ながら越冬の観測を成し遂げるには
至りませんでしたけれど 
二人はあきらめませんでした。

1899年に富士観象会を立ち上げて 
本格的な観測をするために 気象観測への
理解と資金援助を呼びかけました。 

その間にも登山を繰り返して 
気象の観測を続けたそうです。

そしてその事業は中央気象台へと
受け継がれていったのです。
 
 

観測への努力と情熱が実を結ぶ

 
いやあ無事で何よりなのですが 
この後富士山レーダーなんかも設置されて 

日本一高い場所から360度のパノラマでもって 
気象観測に役立ってくれるわけです。

空気は薄いし バランスを崩しても
つかまる場所すら無いような
ものすごく狭くて 
しかも風が強い場所に建物を建てるとか 
本当に途方もない労力です。

さらに気象観測というのは 
自分のためにすることではないですもん。

富士山の山頂は日本一高い場所ですし 
遮るものはありませんから 気象観測には
もってこいの環境だったのは理解しますが 

その分 鳥すらも飛んで行けない
途轍もなく厳しい所でも あったわけです…。

明治の野中さんの行動に始まり 初めのころは
資金面などで厳しい時代もありました。

ですが1934年、閉鎖の危機に
大手企業からの援助があり 継続が決定され

1936年には剣ヶ峰に常設の測候所
「中央気象台富士山頂測候所」
として移設されました。

そして1959年の「伊勢湾台風」で 
大規模な高潮被害が出たのをきっかけに 
富士山頂に雨雲監視のためのレーダーを 
設置することになったのです。

遮るものがない富士山は 最大800km
先にある積乱雲を監視できたそうです。

富士山の測候所が無人になったのは
2004年のことだったそうで。

気象衛星やら他の場所にも
高性能なレーダーを設置したりと 

技術の進歩が人の手によらなくても 
観測が可能になったというのがその理由です。

そうでしょうねえ… 気象観測は好きだけども 
必ずしも登山が好きとは限らないし

私のように高地が体質に合わないと 
登山なんてただ辛いだけですから。

明治の先人ほど危険を伴わないとしても 
気象観測に適した場所というのは 

そこに滞在するには かなり厳しい場所と
考えて間違いないと思われます。

実際 富士山のような高山は 
行楽気分で登る場所ではないと思いますので

気象観測も安全な場所で
続けていただきたいと思います。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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