「応仁の乱」は何で どうして起こったの?

 
応仁の乱
 
日本史の中でも 特にわけが
わかんないのが「応仁の乱」です。

始まった原因も それぞれが何を旗印に
何のために戦ったのかさっぱり。

私だけ…という可能性も
否定できませんけどね。^^;

一応 1467年(応仁元年)
 5月26日にちょっとした事件が起こって

これからおっ始まったらしいので 
今日のネタにしてみましたけど
やめといたほうがよかったのかなあ?

…という今の私の心境のような
世にもぐだぐだな戦だったという印象です。

そのちょっとした事件というのは 
室町幕府の管領家 畠山さんとこと
斯波さんとこで 家督争いが
起こったらしいんですね。
 

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本当はさ、何が原因だったの?

 
つまり「お家騒動」なわけで 
今の感覚だと極めて個人的な
話ではないかいな…?

そうはいっても管領ということになれば 
やっぱり利害関係が小さくないのか。

人んちの後継ぎ問題に山名宗全とか
細川勝元なんて人たちが それぞれ勝手に
口を挟むから 室町幕府将軍足利義政の
後継ぎ問題までからんじゃってもう大変。

どういうわけか それぞれに味方がつき
東西に分かれて ぐだぐだの戦闘状態に。

で やる気がないというか決着を
つける気がないというか

よくわかんないうちに11年も
戦闘が続いちゃったんですね。

一番迷惑というか被害をこうむったのが
主な戦場にされてしまった京都です。

都を戦乱でめちゃくちゃにしてしまったので 
貴重な文物や伝統が途絶えてしまって 
本当に迷惑至極ですよ。

この時それまであった女房装束 
いわゆる十二単に使われた 
薄い絹織物の技法とか完璧に
途絶えちゃっているんだそうです。

今再現されている絹の着物だと 
すごく重量が増えてしまうのですが

当時あった技法で織られたものは 
これほど重くなかったと
考えられているそうです。

そりゃそうでしょうね 女房装束といって
ほぼ制服みたいなもんだったので

重量が10キロも15キロもあったら 
当時の女性は小柄だったし
身に着けるだけで 
全然動けなかったと思いますよ。

戦火を逃れるために 時の天皇や皇族方も
一時的に都から避難されてますからね。

政治的な対立が原因の武力衝突とかなら 
原因も理由もはっきりしているし

どちらの味方につけば有利かとか
損得勘定で どっちについたなとか

そういう推測もできるのですが 
ただの内輪もめしているところへ

他人が横やりを入れるような
余分な介入から始まったらしいのです。

戦線が都から地方へ飛び火して 
だらだらと散発的な戦乱が続いたという…

本当に何がしたかったのか 
わからない状態になってしまった
何かちょっと情けない感じの戦なんですね。

もしかすると下手にやめようとか言い出すと 
寝返ったとか謀叛だとか
余計な嫌疑がかかるので 
言い出せなかったのかもしれません。

普通に考えると 戦というのは
とてもお金がかかることですから

適当に切り上げたり やめたりしないと
とても浪費することになるはずなので

やっぱりやめたい人たちも
一部にはいたのではないでしょうかねえ。

大義名分があれば まだまとまりもあり 
士気も高かったかもしれませんが

素性も素行も怪しい「足軽」を
雇い入れた形を取ったため

ただの盗賊みたいなことをやらかした
奴らも少なくなかったようです。

いつでもどこにでも
湧いて出るんですねえ こういう輩は…。

武功を上げることと盗賊行為は
全く別物なはずですが 
何でもアリの状態ですね。
 
 

色々な階層の人達が それぞれ勝手をやり出す

 
武士が勢力を持って 国を治め始めたころ
とはいえ まだ盤石ではなかったようで

国元の人々、商人や農民なども
台頭し始めて 武士さんたちの既得権益を
脅かすまでになっていたのだそうです。

制度として定着する前の
黎明期にありがちな社会的に
不安定な時期だったのかなと。

よく戦国時代の幕開けとかいわれますけど 

代表的な「下剋上」は 自分のほしい
地位は自分で手に入れるとか 
可能であれば人から分捕るとか 

まるでどこか 大陸の国で繰り返されてきた
歴史をなぞっているみたいですよね。

その結果 いつだれが裏切りを起こすか
わからないという疑心暗鬼と
謀を弄しての簒奪も已む無しとか 

極めて利己主義で
どんな手段でもやったもん勝ちのような

とんでもない発想が武士さんたちの中に
充満していくことになるのですねえ。 

文字で書くと情けない言葉ばかりで 
遠いご先祖さまがしたことだとか
思いたくない…。

誰だって負けたくないので
結束は固くなるでしょうし 

そういう小さな集団は 
より大きな集団に取り込まれる形で 
勢力を拡大させていったのでしょう。

しつこいようですが 
武力で分捕ったものは 
武力で分捕られるもんですよ。

これを実戦で始めちゃった
時代だったのですね。 

分捕られたので分捕ってやる!とばかり 
人の修羅の面に落ちてしまったのです。

こういうことを繰り返してしまうから 
人心が乱れ 静かで穏やかな日々が
遠くなっていったのでしょうね。

ぐだぐだと続いた戦乱でしたが 一応ですね 
幕府はまだ機能していたらしくて

みんなさあ 和睦してよと
言い出したみたいです。

だったらもっと早く言い出せばいいものを 
ここでもぐずぐずしてて もお。

西側の人たちに対して 
不問に付すからさあと説得したら 
わりと応じたようです。

やっぱりほとんど意味のない戦いで 
やめる口実すら掴めないでいたみたいね。

もお 始めから終わりまで
本当にどこを切っても
ぐだぐだなんだから。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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