今日 8月11日は 作家吉川英治の誕生日

吉川英治生誕 障子窓

 
吉川英治生誕
 
今日 8月11日は 
作家 吉川英治の誕生日です。

私は「宮本武蔵」や「新・平家物語」の
作者として知っていましたが

明治中ごろの生まれの人で 
私が生まれた頃にはすでに
故人になってしまっていました。 

だから作品名しか知らないのね…。

でも大衆小説というジャンルを
走り抜けたというか 第一線で
活躍し続けた作家さんでしたね。

どの作品も長編でしたし いろいろな
新聞社や出版社から 原稿の依頼が
引きも切らさず どれだけ
日本人に愛されたかよくわかる気がします。

私の勝手な言い分ですが 歴史ものは
史実とフィクションの混ざり具合が
大切なのではないかと思います。
 

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学業は修めていなかったけれど…

 
バランスというか線引きをする必要は
ないと思いますが さりとてあまりにも
荒唐無稽な描写になってしまっても 
読者が離れてしまうでしょうね。

読み手の気持ちを鷲掴みにして 
離さない筆致が要求されると。

長い話になればなるほど 
筆の勢いというか 引き付けて止まない
ものが要求されるのではないでしょうか。

明治のころの人って 家計を助けるためなど
環境で 学業を断念する人が
多かったのですが 吉川さんも
そうだったようです。

学校は途中で行かなくなりましたが 
独学でもしっかりと文学の
素地を育てていたのだと思います。

若い頃は川柳もたしなんだようで 
こちらの方が小説よりも先に
吉川さんを助けることにも 
なっていたようです。

貧困から脱しようと書いた
3篇の小説が 講談社の懸賞小説に入選し

新聞に「親鸞記」を発表、この時1921年 
吉川さん29歳の時のことです。

ところが残念なことに関東大震災で 
この新聞社が無くなってしまいます。

そんな不運にもめげず 講談社などに
いくつも作品を送るなどして 作家として独立。

吉川英治のペンネームも本名の
「英次」で出そうとしたのに誤植
(間違って活字を組んでしまうこと)
されてしまいました。

けれども当の本人が気に入って ペンネームで
使うことにしたのだそうです。

時代ものの長編小説を精力的に発表し
「現代大衆文学全集」なども人気で 
映画化された作品が数多くありました。

1935年の8月から
「宮本武蔵」の連載が始まり 
4年あまりに渡って新聞小説史上 
空前の人気を博します。

私でも知っている「宮本武蔵」は 
新聞に連載された小説だったんですね。

日本では新聞の宅配が定着しているので 
新聞の小説は多くの人に読んでもらえる
最良のメディアだったのでしょう。

もともと講談などでも人気のある
演目だったのですが 吉川さんが
より深く掘り下げて人として
成長していく姿に焦点を当てて
描いたのが良かったのかな…。

戦争の空気の中「宮本武蔵」の
生き様が人々の心をしっかりと
掴んで放さなかったのでしょう。

これが吉川英治の名を不動の地位に 
押し上げることになります。

そして「三国志」は「三国志演義」という方に
基づいたお話で 日本人好みというか
吉川さん自身が好んで書いていらしたのでは
ないかなと思います。

人物像に独自の解釈を加えてみたり 
戦闘のシーンは大胆に削って描いたりして

いわゆる「血湧き肉躍る」よりか 
ぐっと人間ドラマの方に
寄せた語り口なのかな。

日本人は昔から 
中国の古典が大好きですから 
さらに親しみ易くなったので
一層人気が高まったのだと推測します。

ほぼ同時期に書かれた人気作品に
「新書太閤記」があります。

これは実際の秀吉さんが亡くなる
15年くらい前で 
終わりになっているそうですね。

なんでも吉川さんが 
この家康さんとの対決が強まる辺りから後の
秀吉さんのお振る舞いがあまり好きでは
ないらしくて 書きたくなかったみたいです。
 
 

プライベートでは…

 
吉川さんは貧しさとは縁を切りましたが 
下積み時代を支えてくれた奥さんとは
うまくいかなくなり離婚し 
別の女性と再婚しました。

不思議なもので苦しい時代を
支えてくれた奥さんは 
巨額の印税が入って生活が安定したのに 
その変化についていけなかったようなのです。

やがて人気作家も召集され 
戦地に赴くという経験をしました。

戦後はしばらく 筆を取れなかったそうです。

友人だった菊池寛がとりなして 
ようやく執筆を再開し「高山右近」や
「大岡越前」などで本格的に復活します。

実はこの頃 馬主をしていたそうで 
いい成績を残した名馬の馬主さんでした。

ところがあるレースで馬さん同士が接触したのか 
騎手が落馬してお馬さんも
転んでしまうという事故が起こってしまいます。

この事故で騎手の方も 二度と馬には
乗れなくなってしまいましたし

お馬さんも足を痛めてしまい 
かわいそうですが殺処分となりました。

これをきっかけに競馬からも馬主からも 
一切 手を引いてしまったそうです。

その後の趣味は お医者さんの勧めなどもあって 
晩年までゴルフを楽しみました。

悲しい出来事もありましたが 
もう押しも押されもしない大作家ですからね 
出版社や新聞社が放っておくわけがありません。

自叙伝も執筆していますし 
精力的に仕事をこなしています。

そして1960年には文化勲章も受賞しました。

ところが肺がんが見つかり 
翌年には転移するなどあっという間に悪化し
1962年にこの世を去ってしまいます。

ほぼゼロの状態から 自分自身で
作家の道を掴み取り 多くの人に愛される
作品をたくさん残した吉川英治の人生こそ 

小説みたいでドラマチックな
生涯だったとつくづく思います。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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