今日は「鎖国令」が出た日でござる

 
鎖国令
 
今日 5月28日は三代将軍家光さんが
1634年と35年の2回

奉書船以外の海外渡航を禁止した
「鎖国令」を出した日です。

どうやら律儀にかっきり1年後に
出したみたいですねえ、性格が現れてるし。

何かと話題の多い家光さんですけども 
三代目がしっかりしないと

家が傾くとか あまり信憑性のない
プレッシャーでもかけられたのかな。

それともお祖父さんのおめがねに
かなった賢い乳母の教育が しっかりと
実を結んだからでしょうか?

お祖父さんの家康さんは
戦国の世を生き抜いてきて 

平和がどれだけいいものか
身をもって知っている人でしたからね。
 

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個人的には大変良い決断だったと思います

 
秀吉さんの中途半端なバテレン追放令より
少し踏み込んで鎖国に踏み切ったのも 

あえて不穏分子となり得るバテレンを
自由に徘徊させない方が 

世の安寧のためにはいいと
踏んだのだと思います。

個人的に外国や外国人を
どう思うかとかいうことよりも 

為政者というか 政のトップに
立ってみなけりゃ見えてこない
風景もあるということですね。

それを孫の家光さんもちゃんと
理解していたようで 何よりです。

外国の文物を取り入れて来なかったから 
江戸時代はどうたらこうたらと
いう方もいらっしゃいますが 
鎖国って大変だと思いますよ。

この閉じられた世界で 全てをちゃんと
回していられたのだから
これはこれですごいことだと思います。

ま、それだけ日本は豊かだった
ということでもあるのですね。

私が尊敬するある方は 
日本が外国と仲良くしない方が
いいことは 歴史上はっきりと
見てとれるとおっしゃっています。

交易すると 入ってくるのは
文物だけじゃなくて人間も
ついてくるんですって。

で、日本のように外国から
隔絶されていると 人々の
警戒心が低くて お人好し。

大陸育ちの人間が
異民族に対してとる行動は…
言わなくてもわかりますよね?

素行のよくない奴にとっては 
やりたい放題できて天国だったんですと。

当然入り込まれた方は
極端に治安が悪化するわけです。

ここでも隔絶された場所で育った
「人間性善説」がマイナスに働くですよ。

大陸では自分が持っていなくて
他人が持っていたら 
分捕ろうと考えるんです。 

欲しいものは分捕れば自分のものに
できると考えるわけです。

それが国土であろうと 
人のうちの金品であろうと 
収穫された農作物であろうと 
企業秘密であろうと 
そこに違いはほとんどありません。

みんながそれをやって来ているので 
そこではそうするのが普通なのです。

そうするのが普通のところだけで 
やっててもらいたいものですね。

現在でも輸送トラックが積み荷を落とせば 
人がわらわら集まってきて

みんな持ち帰ってしまう
衝撃の映像を何度か見てますが…。

えっと江戸幕府がどこまで
理解していたかはわかりませんが 

ろくでもない報告が 各方面から上がって
きていたであろうことは想像できます。

そして交易というものはそれによって
潤うのは ごく一部の人たちに

限られてしまうというデメリットも
はらんでいるのです。

一部の人しかいいことがないのに 
多数の人が迷惑を蒙る治安が悪化するとか

ちょっと考えたら交易なんて
やめた方がいいとわかりますよね。

さらに実際 交易を絶って少し経つと
後は平和な時代が長く続いているんです。

どの時のことを言ってるか 
想像がつきますでしょうか?
 
 

繰り返しますけど…、もう一度 鎖国しない?

 
日本は歴史上何度か外国人と
触れる機会があって その度に
付き合いをやめています。

付き合い慣れない人たちと
無理に付き合おうとすると 

何かと気苦労も多いし いいこと
ばかりではないということですね。

まして泥棒や強盗など重犯罪を
生業にしているようなのが 
入ってきた日には…。

あれ?…何だろう このデジャヴ…。
(ワザとらしい…)

ガラパゴス島の例ではありませんが 
隔絶された地では
独自の文化が花開くのです。

動物の進化は膨大な時間が必要ですが 
人間の文化はもっと短い時間でも
ちゃんと独自の花が
咲き誇るものなのですよ。

鎖国令なんてことができたのも 
海で守られていたからこそですが。

江戸時代は安定した時代だったので
庶民も文化や娯楽が
楽しめるようになりました。

教育水準だって同時代の白人さまの国よりも
はるかに識字率が高かったのです。

基本は論語や儒教など中国の教えでしたが 
日本人の感性に合わない考え方は排除され

日本風にカスタマイズされた
バージョンが普及したそうです。

わざとなのか偶然なのかわからないのですが
この鎖国令を出した同じ日付で

1859年に 神奈川 函館 長崎を
開港させられているのです。

225年後のことで 英国 米国 ロシア 
仏国 オランダと通商を始めます。

事実上 鎖国令が解かれた
瞬間だったといえるでしょうね。

本当に本当に恵の海だったのに…
壁も境界もないもんだから ごみが寄り放題…。

あれから158年 先人たちのおかげで
豊かに暮らせている 私なのに

思うことと言ったら エネルギー源と
食料自給を確立して領海線に沿って

エネルギーシールド張って 三度目の正直 
もう一回本当の鎖国しない?ばっかり…。

すみませんね 性格が
ひきこもっているもんで…。(笑)
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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