今日はあの「ハリマオ」が生まれた日

ハリマオこと谷豊生誕 障子窓

 
ハリマオこと谷豊生誕
 
1911年の今日11月 6日は 
あの「ハリマオ」こと
谷豊(たにゆたか)の誕生日です。

えええ「ハリマオ」って
実在したんですねえ 
知りませんでした。

しかも日本人だったなんて。\(◎o◎)/!

「マレーのハリマオ」というのが
正しい呼び方のようです。

一応 私は昭和も真ん中よりも 
少しだけ後ろ寄りの生まれなので

テレビ番組で そういうヒーローものが
あったということしか
知らなかったですし 
創作だとばかり思っていました。

「ハリマオ」とはマレー語で
「虎」という意味だそうで 

しかもこの人 職業は
盗賊だったんですって。(◎o◎)
 

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実在した「ハリマオ」

 
現在の福岡県福岡市の出身だそうですが 
2歳の時に一家で当時は英国領の
マラヤトレンガヌ州という所へ
移住したのだそうです。(舌を噛みそう…)

ですが親たちは日本で
教育を受けさせたいと 
学齢期には一旦祖父母の元へ帰国。

小学校へ入ったのですが 
1924年マレーシアへ
戻ってしまいます。

で、1930年ごろ 
イスラム教徒に改宗しています。

翌年 徴兵検査のために
一時帰国しました。 

当時の天皇陛下は「現人神」でいらしたので 
イスラム教徒がそんなことを
受け入れられるわけもなく 
立派に不合格を食らいます。

…というか異国に育ち
異教徒であっても 
徴兵検査って受けられたんですね。

この時20歳だったそうですが 
そのまま会社に就職しています。

ほぼ時期を同じくして 
満州事変が起こり マレーにいた
華僑たちが排日暴動を
繰り返すようになっていました。

これって民族性なのでしょうかねえ? 

何時の時代でも どこにいても 
その国の人間として
生きていくことのできない 
迷惑な人たちなのです。

その迷惑行為が豊さんちにも及び 
家を襲撃され妹さんが惨殺されました。

このため一家は日本に
戻らざるを得なくなったのです。

お母さんから話を聞いた豊さんは大激怒~!
1934年単身マレーに戻ります。

そして現地の友人たちと徒党を組んで 
主として華僑を襲う盗賊団になり

マレー半島を転々と
暴れまわるようになります。
(妹さんの弔合戦じゃい)

現地の人たちは普通にマレー語をしゃべり 
敬虔なイスラム教徒だった豊さんを
マレー人だと信じて
疑わなかったそうです。(◎艸◎)

そして大東亜戦争の勃発で 
帝国陸軍参謀本部は 
マレー半島を手中に収めるべく

諜報活動をする手先というか 
実動部隊を探していました。

そして日本人が頭目の
盗賊団に目をつけたのです。
 
 

「ハリマオ」の活躍は語り継がれる

 
ちょうどそのころ豊さんはタイ国で 
とっ捕まって投獄されていました。

満州国の警察官にして
諜報員の神本利男氏は 

保釈金を払って豊さんを釈放させ
大日本帝国のために働いてよと誘います。

初めは難色を示した豊さんでしたが 
説得に応じ盗賊団を再集結させ

ここに「ハリマオ盗賊団」が
組織されることになったのです。

といってもスパイ大作戦ですから 
現地の人に紛れて英国軍の工場に
潜入して破壊活動を行ったり 

敗走する英国軍が残していった
爆弾などを除去することが 
主な仕事内容だったそうです。

時代とはいえ こんな危険な任務を
素人にやらせるとか… 
ちょっと考えられない。

また豊さんも根が真面目な人だと 
よくわかりますね。

とても一生懸命 命がけで
任務を遂行してくれたのだと思います。

そんな中 豊さんがマラリアに
罹患してしまいます。

日本軍には英国軍から分捕った…いえ
捕獲したキニーネ剤がありましたけれど
本物のマレー人だったら
白人が作った薬は飲まないと 断固拒否。

でも これが災いして
病状はますます悪化して 
自力では動けなくなりました。

当時は野戦病院などありましたが 
どこも病院といえるほどの環境ではなく
豊さんはますます衰弱していきました。

最初に豊さんを諜報活動に誘った
神本氏も見舞いに訪れ 
ふたりはただ黙って
手を握り合っていたそうです。

映画とかドラマにありそうな
シチュエーションですけれど 

現実でもこういう時って 
言葉とかは要らないものなんですね…。

お互いに一つの目的のために 
死力を尽くして戦った
戦友同士ですから…万感の思いで 
ただ見つめるだけだったのでしょう。

そして1942年 3月17日
「マレーのハリマオ」こと谷豊さんは
30年という短い生涯を閉じたのでした。

信念を貫いたのはとても立派ですが 
ちょっと若すぎてもったいないです。

妹さんの分も もう少し生きていて
ほしかったと思わずにはいられません。

遺体は彼の部下たちが引き取って 
イスラムに則り葬られたそうです。

残念ながら墓所がどこなのかは 
今もってわからないそうですが。

普通なら諜報や破壊工作などに
従事した人は あまり表舞台には
登場しませんが

この「ハリマオ」の活躍を 
国威発揚にも使えると考えた軍により 

彼の死は 当時の新聞などで
大々的に報道されたそうです。

実家にも戦死報告がされたそうですし 
イスラム教徒ですけど
靖国神社にもおいでになるそうです。

軍に利用された面もありますが 
直属の上司や一緒に苦楽を
共にした人にとって「ハリマオ」は

本物の英雄だったのでは
ないかなと思います。

彼らの活躍がなければ 
実現しなかった作戦だって
あったと思いますし。

虚像と実像がないまぜですが 
後世の私たちにも伝わりましたから。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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