今日は大東亜戦争開戦の日

大東亜戦争開戦の日 忘れ得ぬ出来事

 
大東亜戦争開戦の日
 
1941年12月 8日(日本時間)
午前1時過ぎ 帝国海軍は
ハワイの真珠湾を攻撃しました。

戦勝国の都合により 真珠湾が
軍港だったことは誰も言いませんけど。

攻撃を受けたのは 戦艦と港湾 
及び軍事施設のみだったのですが

そこらあたりは触れないようにして
「攻撃を受けたことだけ」を
声高に叫ぶプロパガンダに利用されました。

この時点ですでに日本の艦隊が
ハワイ沖に着いていたということで
確かに太平洋は大きな海ですが 

これを米国が知らなかったとは
到底思えないんですよね。

大東亜戦争は 勝ち目のない相手と
わかっていて あえて戦いを
挑んだ形だったと 私は思っています。
 

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戦争に巻き込まれたというべきか?

 
物流を絶たれ 孤立させられて
いたわけですから。

第一次世界大戦の後 統治を任された
南の島々がもう少し
日本の本土に近い位置にあったら 
また違っていたかもしれませんが。

少なくとも日本の本土より南にある国々を
「植民地」にしていたのは
欧米の白人たちであり日本人ではありません。

日本の統治の仕方は 
現地のインフラを整備し 
農業や産業を育て 教育を施し 
現地の人々と一緒に生きていく道を
探る方法を取ります。

人によっては 日本の統治をなぜか
恨む人たちもいますけど。

そういう人たちは白人の奴隷だった方が
合っていて良かったんでしょうね。

なのに白人を追い出してしまったので 
お怒りなのかもしれません。

これは本当で 実際に他民族を
支配する際の白人セオリーですが
現地の人の中から一部の人間だけを
特別扱いするんですって。

そうすると同族同士の間に嫌悪を
植え付けることになるので 

万一の時の現地民の結束を分断し 
それ以前の状態に戻せなくするのです。

実際に白人支配のおかげでいい思いを
した者もいたということです。

時勢が変わった時には 裏切り者として
粛清されたと思いますけどね。

日本本土より北西の方…つまり大陸ですが 
こちらは…関東軍の思惑が
どうだったかが最も重要なのですが…
実際やらかしてるけど…よくわからんです。

戦後の態度を見る限り やられた~と
言っている人間たちの言い分や

その人間性まで含めて
信用に値しませんからねえ。

大陸に駐留してみて 
満州国だけならともかく 
本気であんな広い国を制圧できると
思っていたんでしょうかねえ。

海戦は強かったかもしれないけれど 
陸の戦いは綿密な作戦が必要で

地の利がある現地の人の方に
「分」がある気がするのですが。

ここで戦争というものの
定義をはっきりさせる必要があります。

戦争とは国と国が武力をもって
戦うことなのですが

このころ日本に近い部分の大陸には
なんという「国」があったのでしょうね?

大清帝国は無くなっていましたし
正確には無政府状態だったのでは?

蒋介石は「中華民国」を名乗っていましたが
紫禁城から歴代皇帝の宝物を持ち出して
盛んに白人さまたちに贈っていたとか?

連合国側に「国」の承認をしてもらわないと
都合が悪かったもんねえ。

蒋介石の国民党軍や毛沢東の八路軍などは 
米国と旧ソ連から資金やら武器弾薬を
支給 配給 援助してもらっていました。

まあほとんどトップに立つ者が
着服していましたけどね。

おまけにこいつらは 裏で結託してたし。

そういうやつらと消耗戦を強いられたの
ですから勝ち目はないですよ。

限られた物資でしかも
補給はほぼゼロですからね。

焦土作戦というやり方で
国民党軍はゆく先々で破壊を繰り返して
広い国内を逃げ回りました。 

後を追いかける形で 日本軍は
壊れた道路や橋 病院などを
直しながら進軍したといいます。

適当な所で切り上げて 他の戦場で
仕事してくれればよかったのに…。

ここまで来てみろ~とばかり 
広い国をあちこち引きずり回されて

そうでなくても足りない物資の
無駄遣いをさせられた格好ですね。

消耗戦のアリ地獄に引き込んでおいて 
戦後になったら何十万人もの人を
虐殺したことになっているとか 
どう考えたら整合性がとれるですかねえ?

戦勝国で国連安保理国だそうですが 
わかるように説明してもらいたいです。
 
 

まじめな正直者が貧乏くじを引いてしまった

 
戦場が広範囲に散らばり過ぎて 
そうでなくても物資が足りないのに
兵站が追い付かず

日本兵の死因の多くが
餓死または病死だったという
話も聞いたことがあります。

慣れない水や食料は病気の原因にもなりますし 
伝染病だったら大変ですね。

しかも戦場のほとんどが とても
暑い場所で ムダに体力が消耗しました。

すべて他人様の土地のものですから 
勝手にとって食べれば泥棒ですし
人を脅して取り上げれば それは強盗です。

皇国軍の名を汚す云々以前に
人として日本人には
そういうことができなかったと…

だから限界まで…倒れるまで
我慢してしまったのでしょう。

捕虜をとるとかムダなことも
律儀にやっていましたし。

米国がやってみせたように 
捕らえた日本兵たちを飛行機から
突き落とすとか

沈んだ船の乗組員は
白人だけ助けて 残りは戦闘機から
機銃掃射を浴びせるとか
「消費」すればよかったんですよ。

欧米各国が捕虜をとろうとせず
「消費」ばかりするので 

さすがの監視委員会も
無視(黙認?)できなくなり 
一応文句を言ってるじゃあないですか。

そこまでやらなきゃ五分にもなりゃしない。

律儀に規律や決まりをしっかり守って
礼節を重んじるのは
それが通じる「人間」に対してだけに
するべきだと 学習しましたね。

途轍もなく高い授業料に
なってしまいましたが 
私たちがしっかり伝えます。

開戦の日にあまり関連のない話に
なってしまいましたけれども

戦争にはたくさんの面があり 
多角的にとらえないと
全体像が把握できません。

特に戦後生まれの私たちは
戦勝国の干渉を受けた内容しか
教育されていませんので

もう一度 一つ一つの事柄を
丁寧に検証していく必要があると思います。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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