七十二候 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)

水沢腹堅

 

今日は七十二候の 水沢腹堅
(さわみずこおりつめる)にあたります。

まあ寒さも極まってきていますので
流れる水も凍りつく そんな寒さである
と言いたいのでしょうね。

今の当用漢字とは使い方が
まるで違うので かなり戸惑いますが
季節柄 言わんとすることはわかる気がします。

先日は冷たさの中にわずかな暖かさが
宿るという風に言いました。

沢の水はどちらかと言えば
人里離れた場所の水という感じです。

井戸や清水といった人の暮らしに近いものは
見る触れる機会も多いでしょう。

でも山の中や人里離れた沢などは
冬場に訪れる場所ではないです。

雪も多いでしょうし そもそも冬の準備は
秋にしておくものですので。

そういう場所に寒さが厳しい時期になってから
出歩かなくてもいいように
冬支度ということをするものなのですから。
 

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一番寒い時期に 寒い外をイメージする

それでも七十二候に入れるということは
そんな場所もきっと凍りついているに違いないという
イメージが生んだものかなと思われます。

またそうこうイメージを持たせるほど
寒さが極まってきたことを みなが感じている
だろうという ある種共有できる感覚として
入れたのかなと思います。

せっかくの共有感なんですが 人里や街で
感じる寒さと 沢など山の中の寒さとでは
全く違うんじゃないかなというのが
山の民の私の感想です。

寒いのは当然なのですが 沢の水の多くは
ほとんどが湧き水なので 恐らく周りよりも
温度が高めではないかと思うのです。

つまり「氷詰める」には 流れ下る中で
冷たい外気温に晒されるから 次第に
温度が下がってくるんですな。
なので少~し下流になるのではないかなと。

湧き出しているその場所は たぶん雪も氷も
融けてしまっていて 小さな泉 または岩肌などが
露出しているように見えるのでは
ないかなと思います。

いわゆる「水源」と言われる場所の
多くがそういった状況です。

大河の最初の一滴は ちょっと湿った感じの
する場所で そこらへんに水が 何とな~く
留まっているというか 土などと
混ざっているとかそんな感じです。

岩などから滴り落ちるような場所でなければ
目に見える「最初の一滴」を探すのは
ちょっと難しいかもしれませんねえ。

美しいイメージをぶち壊して
申し訳ないですけども。(笑)

そんな訳で湧き水状態である場合は
一年中ほぼ同じ水温です。

冬でも とりわけ「大寒」の今であっても
氷が張り詰めるようなことは
まず ないだろうということです。

七十二候のイメージをぶち壊して
申し訳ないですけれども。(笑)

 

寒さを「見る」こともできる

もちろん湧き出した水が 方々から集まって
小川(これも沢水ですが)になり

硬い岩や石の間を抜ける間には 水温もすっかり
下がっていますので緩やかな流れなら
凍りついてしまうことは十分考えられます。

たとえ流れが速くても 岩や石
周りの枯れ草や木の枝などに繰り返し
しぶきがかかり それが凍り重なって
平たい氷がつくこともあります。

時には大変大きく成長することもありますが
不思議な自然の造形でユニークな形は
とても面白いです。

この現象が滝のレベルで起こることがありまして
巨大な氷の壁になった滝をよじ登るスポーツとして
「アイスクライミング」があります。

もちろん自然の滝を登る人たちもいますが
滝の場所へ行くまでに 冬山の装備で
登山する必要があったりすることも多いです。

わざわざ寒中の山の中へ行くのは大変ですから
屋外のスポーツ施設などに
作られているものもあります。
(あまり多くはないですけどね。)

この時期なら 水をかけて放っておけば
勝手に凍るので管理は楽かも?

人が登るような大きさで しっかりと凍らせる
必要がありますけど 原理は沢の水のしぶきが
凍りついてできる氷柱と同じです。

山岳遭難の救助を想定した訓練施設にも
たしか似たようなものが
あったような気がするのですが…?

ニュース映像で見ただけなので
もしかしたら山にある本物の滝での
訓練だったかもしれません。

いずれにしても わざわざ氷壁を
登るとか危ないのでやめませんか…。

 

体感の寒さとイメージの寒さ

考えてみるとおかしなものですね、
自分が寒さに震えていると きっと山の水も
カチカチに凍っているだろうと
人間は勝手に思い描きます。

ところが実際の山では 気温こそ
人里や街よりもはるかに低くなりますけれど

水源のように湧き出している水であれば
冬でも凍ることはなくて ずっと
あふれ続けているという…。

人間の経験則からくるイメージというのは
知り得たことの範疇を超えることはできない…
そんな限界があるのかもしれません。

それでもほぼ同じ経験を積み 生活してきている
先人たちが 暦に入れたのは やはりそこには
感覚の共有があるのかなと思いました。

現実的にどうとか理論上はああだとか
そういうことはちょっとおいといて
寒い時には やっぱりそんな風に思うだろ?
そうだよな?みたいな…。

感覚的に納得できてしまうのは
やっぱり日本人DNAのせいかな?(笑)

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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