七十二候 草木萌動(そうもくめばえいずる)

草木萌動

 

今日は七十二候 草木萌動
(そうもくめばえいずる)を取り上げます。

光の春に向かって 日足が
確実に伸びてきています。

日差しに力が戻ってくると あるいは
それを感じると植物たちは静かに静かに
活動を開始するのでしょうね。

何が…そのスイッチを押すんだろう…と
想像するのは楽しいです。

ただもしかすると 優しい春の妖精とかではなくて
まだ冷たくて強い季節風だったり
するかもしれないなあ…と。

だってほらスイッチですから 押されてすぐに
稼働するかどうかわからないじゃないですか。

木々などは風に体を晒しているわけで
いわば全身がスイッチみたいなもの。

寒さに耐えるため 仮眠のような状態でしょうけれど
スイッチがいっぱいついているし

いつどのタイミングで春の準備を始めるのかは
いくつスイッチが入ったかとか いつだったかとか
木々が決めているのかな。
 

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季節の巡りと草木たち

木の種類によっては 前年の秋に
新芽の用意を整えてから
冬の眠りにつくそんな子もいるようですね。

もともと木は動きませんが 光の量や方向
温度 湿度 風の向きや冷たさなど全身に
高性能なセンサーがついていて
同時にそれらがスイッチなのかも。

用意されている新芽は硬くて 厚い防御壁に
守られているけれど センサーの情報でそれらが
少しずつ武装解除していって 最後に
芽吹きがやって来ると。

冬眠せずに冬を越すシカさんとかは
新芽が準備されていることを知っていて
木の皮をはがすなどして
食べてしまうのでしょうね。

数が増えたし 寒いし お腹空いてるしで
全部そういう木ばかりじゃないのに
かじりまくってしまうから 木が傷んで
枯れてしまうこともあるのでしょう。

木がそういう動物を養っていることも確かですし
それができていたのでバランスを保てて
いたのですけれど 食べる方だけ
一方的に増えるのが一番困るですね。

日本では山の際まで人の生息域が広がり
「里山」として 人間が管理をしながら
長い間共存してきた経緯があります。

特に田んぼとして切り開かれた場所は
用水路を巡らすなど 人の手が入っており

農業というのは 自然の一部を
人間の都合で変えてしまう行為なのですね。

そんな場所も後継者がないため 荒れ果てて
元の山に戻っている所も少なくないです。

せっかく農地にしましたが
あえて山に戻すのも一つの方法かも…?

植林も広葉樹を多く植えるようにするなど
人間の生息域と動物の住むエリアの間に

広い緩衝地帯を設ける必要が
あるのではないでしょうか。

あれれ またあさっての方向に話が行っちゃった…。

 

植物のおかげで 生きられる私たち

一方 草本というか草の類はというと
ほとんどの場合「種」の形で冬を越しますね。

「種」は強いですよねえ 適度な水分と
暖かさがあれば どんどん芽を出しますから。

山の木々の葉が分厚く堆積した豊かな腐葉土は
それだけで適当に暖かいのです。

それだけに他の根を張る植物が
群生するようにもなりますので

何かの加減で飛んで来たり
落ちたりしただけの草の種が芽を出すのは
ちょっと厳しいかもしれませんが…。

それでも草たちは ものすごい生命力で
しっかりと芽を出し、はびこります。

恐らく彼らの一生が短いので
繰り返しどんどん世代を
交代していってるんだろうなと。

春まだ浅い今時期は 落ちたその場所で
じっと時がくるのを待っているのでしょう。

「種」の状態であれば ほぼ完全な
休眠状態であると思われますので
少しくらいの寒さなど平気で
全くへこたれないのですね。

こぼれている「種」の量も多いですので
生き残って芽を出す確率がとても高いのです。

自分では動けないので 動物の体にくっついて
遠くまで運んでもらうとか

ツルを伸ばして背の高い木などに登り
高い所から羽のついた「種」を飛ばすとか

中には小さいけれど
美味しい果実などを用意して
動物や鳥さんなどに食べてもらうとか…。

あの手この手で…それこそどんな手を使ってでも
何とか子孫を残そうとする植物のしたたかさが
小さな体にぎっしり詰まっている…
それが草たちなんだなあと。

そういう植物たちに 私たちは
支えられて生きているのですねえ。

 

生き物のほとんどを支える植物

あらためて植物の凄さに驚かされます。

ただそうした凄さの中には
注意しないといけないものもありますね。

山野草の中には 食べられるものと
食べない方がいいものとがあって
なぜか両者は 見かけがとても良く
似ているケースが多いのです。

食べられる方だと思って 取って来て食べたら
具合が悪くなったということが
私と同じ山の民限定かもしれませんが
毎年数件ニュースになります。

命を落とすほど危険ではないにしろ
体調を崩すなどない方がいいですので。

秋の味覚きのこなどと同じで 知らない草などは
取って食べない方がいいと思います。

そういう風に春の味覚として
「取って食べる」ようになるのは
今はまだかなり先のことです。

もう少し日差しが強く長くなったら…

もう少し風が暖かくなったら…

そう思いながら 木々も草の「種」たちも
じっと待っているに違いないのです。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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